bitterharvest’s diary

A Bitter Harvestは小説の題名。作者は豪州のPeter Yeldham。苦闘の末に勝ちえた偏見からの解放は命との引換になったという悲しい物語

北部九州を旅行する(2日目)ー臼杵の街を訪れる

二日目からは勝手気ままな一人旅だ。レンタカーを利用しようかとも思ったが、移動時間よりも見学時間の方がずっと多そうなので、移動には公共の交通機関を用いることにした。その方が、地元の人たちと触れ合う機会も増えて楽しめるだろうとも考えた。

この日は、臼杵の石仏と街見学をした後、由布院温泉で宿泊だ。大分駅から臼杵石仏まではバスを利用。8時40分発9時44分着だ。
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バスは石仏の入り口で停車してくれた。降りた客は私一人。受付で入場料を払い、荷物を預けていると、ボランティアガイドの方が近寄ってきて、一緒に行きましょうと誘ってくれた。あまり知識を持たずに訪れてしまったので、お願いして一緒に歩きだした。ここの石仏は平安時代の後期に作られたと推定されていて、国宝に指定されている。

入り口近くのホキ石仏2群は改修工事が行われていて、見学することはできなかった。この分だけ、入場料は減額されているとのことだった。最初に訪れたのは、古園石仏だ。
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古園石仏は建屋の中に保存されていた。
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ここには全部で13躯あり、真ん中の大きな石仏が大日如来坐像。左右に6躯あるが、それぞれ如来坐像の隣の2躯が如来像、さらにその横の2躯が菩薩像、続いて、明王像、天部像だそうだ。

次に訪れたのが、山王山石仏だ。片側が崖になっている小道を少し登りながら進んでいく。ガイドさんが崖のくぼみから灰のような土を取り出して、これは何だかわかりますかと尋ねてきた。仏さんのゴミとふざけて答えると、阿蘇山が爆発したときの灰と教えてくれた。石仏の石は、阿蘇山から噴出した火山流が溶結してできた凝灰岩だそうだ。
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山王山石仏には3躯の如来座像があり、中央が中尊、両脇が脇尊だ。

そして、最後のホキ石仏一群へと向かった。
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ガイドさんによれば、ホキは崖險(がけ)という意味の地名だそうだ。ここは四龕(がん)に分かれている。左側の第一龕には、如来座像3躯とさらにその両横に菩薩立像2躯が配されている。
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その右の第二龕には、如来座像3躯が配されている。
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なお、第一龕の青年期と第二龕の壮年期の仏像の間にある愛染明王は、結婚の仲立ちをする弓と矢を持つキューピットだそうだ。ガイドさんから説明を受けたとき、仏さんは結婚しても良かったのかと疑問に感じたが、野暮なので質問をぶつけることはやめた。
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さらに右の第三龕には、中央の大日如来坐像を中心にして、その両脇に如来座像が、さらにその両脇に菩提立像を配している。
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最も右側の第四龕には、左足を踏み下げている地蔵菩薩像を中心に、左右に十王増が配置されている。
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石仏の見学が終わった時、ガイドさんがまだ時間があるでしょうといい、散策をしましょうと誘ってくれた。石仏の付近にはいくつかの見どころが用意されている。
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化粧の井戸、蓮池、満月寺などを回りながら、ガイドさんとの会話を楽しんだ。奥さんは看護婦さんだったそうで、奥さんとの適当な距離を保つためにガイドをしているということであった。

その後、バスで臼杵の市内へと向かった。
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まずは城巡りだ。臼杵市には臼杵城跡がある。この城はいまでは陸続きになっているが、築城されたころは島の上に造られ、西端の大手門口だけが陸に繋がる海城であった。地図を示そう。真ん中の緑色の部分が臼杵城跡だ。大手門口は左端にある。ここが唯一の出入り口だ。本丸は右奥にある。

臼杵城キリシタン大名である大友宗麟により、1562年(永禄5年)により丹生島に築造され、徳川時代になると稲葉氏が城主となり、5万石の藩となる。国立公文書館デジタルアーカイブには、1644年(正保元年)の臼杵城の絵図が残されている。その一部を掲載すると以下の様である。真ん中の垂れさがっているのが城域だ。
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それでは大手門の方から入っていこう(実際は駅の方から来たため逆方向に歩いた。即ち、大手門で外に出た)。
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しばらく石段を上ると大門櫓(やぐら)に、
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さらに進むと、明和年間(1764~1772)に再建されたとする畳櫓に、
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櫓をくぐると二の丸、本丸へと続く。現在は公園になっている。本丸の近くには、1854年に立てられた卯寅口門脇櫓があり、
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卯寅稲荷神社もある。
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城を出た後、稲葉家の下屋敷に向かった。廃藩置県により東京に住居を構えることになった稲葉家の里帰りの屋敷として、明治35年(1902年)に建築された。立派な門構えだ。
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玄関は、
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さらに進むと書院造りの書斎があり、
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庭園も清楚だ。
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敷地の中には、江戸時代後期の上級武家屋敷の平井家住宅がある。玄関は、
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台所は、
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建物の全景は、
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この後は、街を散策した。寺町に入り込んだようで、立派な寺々が現れた。浄土真宗としては九州最古の寺院の一つである善宝寺、1334年(建武元年)の創建だ
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1602年(慶長7年)創建の浄土真宗の善正寺
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駅に戻り、今日の宿泊地の由布院温泉に向かう。
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臼杵から大分まで特急で、さらに大分から由布院まではリゾート特急を利用した。リゾート特急はゆふいんの森と呼ばれ、全席指定だ。
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駅員さんが親切にも一番前の席を取ってくれた。
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由布院温泉では『楓の小舎』に泊まった。ここは全ての部屋が別棟になっていて、それぞれには内湯と露天風呂がついているとても豪華なホテルだ。ミシェランガイド熊本・大分2018年特別版の宿泊施設に掲載されたそうだ。私が泊まったのは一人部屋。居間は、セミダブルのベッドとこたつ付き。別荘に来たようだ。これとは別に、洗面所と岩盤浴のできる内風呂がある。露天風呂は少し離れているがやはり利用できる。夕飯も朝食も部屋で食べるようになっていた。料理は上品で優雅でそして美味しかった。
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のんびりと旅の疲れをとることができ、幸せな気分を満喫できた。機会があればもう一度訪ねたいと思っている。

北部九州を旅行する(1日目)ー久住高原をドライブする

北部九州は縄文時代から奈良時代にかけての歴史の宝庫だ。吉野ケ里遺跡が発見されたころは卑弥呼がいた邪馬台国ではと騒がれたこともあった。日本史を勉強し始めてから、一度は訪れて、現場を確認してみようと思っていた。幸いにも大分の知人から誘いを受けたので、温泉も一つの楽しみにして、北部九州の遺跡を見学することとした。

旅行は3泊4日、1月9日(水曜日)からだ。旅行の準備をしているときに、大きな荷物を持ちながら、混雑することで有名な田園都市線の朝の電車に乗るのは嫌だなと思って、インターネットを検索したところ、南町田駅から羽田空港に向かうバスを発見した。下り方向のため危険なラッシュは避けることができるので、初めての経路だが、これを用いて旅行を始めることにした。

さて出発だ。幸いなことに東京は快晴、大分も悪くはなさそうだ。羽田空港からは富士山がきれいに見えた(見つけにくいが、写真の左の方)。
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いよいよ大分に近づいた。瀬戸内海は曇っていたが、陸に近づくにしたがって、雲が少なくなり、穏やかになってきた。大分空港のある国東半島には明るい冬の光がさしていた。下の写真で、中央の右側にある茶色い部分が空港だ。飛行機は通り過ぎるようにして別府の方に向かい、その後、Uターンして空港へと降りる。
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空港には夫妻が出迎えてくれ、早速、久住高原一周へのドライブへと出発した。Googleマップによれば、ドライブの時間は4時間となっているが、途中で昼食や見学をしたため、6時間の所要時間だった。
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大分空港から湯布院ICを過ぎて九重ICまでは高速道路だ。車の数も少なく、ほぼ快適に進んだ(大分道に入るところで反対方向の福岡へ入ってしまった。地元の人でもは違えるようだ)。大分の地名は、由布院と湯布院、久住と九重のように何とも紛らわしい。ICを出た後、車2台がやっとすれ違える程度の狭い県道40号線に沿って、紅葉百選に選ばれている九酔渓へと向かった。紅葉の時期は身動きできないほどに込み合うのだろうが、冬場のこの時期は閑散としていた。お店も閉店で、渓谷の景色も寂しい。
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この後、近くにある九重夢大吊橋へと向かった。長さ390m・高さ173mで、歩道専用としては日本一の高さを誇る吊橋だそうだ。総工費200億円をかけ、過疎化と少子化で衰退しつつある九重町の再生を目指して建築され、平成18年に完成。この11月には累積入場者数で1100万人を達成したそうだ。九重町の夢をかなえるために頑張っている吊橋だ。
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橋の入り口には、まだ松飾りが残っていた。また、橋からは、日本の滝百選に選ばれた九酔渓の振動の滝を見ることができた。
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県道40号線をさらに南に向かい、くじゅう連山の南に出たところで国道442号線にぶつかったところで、竹田市の方へと西に向かった。車窓からは阿蘇山が一望でき、景色を楽しむことができた。真ん中左側が根子岳、右側が阿蘇山阿蘇山の右側からは噴煙も見えた。
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竹田市の町に入るためには、どこから入るにしても、必ずトンネルをくぐる必要があるそうだ。山で囲われた盆地なのだろう。ちなみに、同行してくれた奥さんの母方は岡藩(竹田藩)の家老の血筋だそうだ。そこで、奥さんに所縁のある国指定史跡である岡城を見学した。

竹田市滝廉太郎が少年時代を過ごした地で、そのときに遊んだ岡城は荒れ果てていて、その印象をベースに哀調を帯びた「荒城の月」(1900年明治34年)を作曲したとされている。なお、作詞は仙台出身の土井晩翠。こちらは仙台市青葉城をベースに作詞されたとされている。

入り口でもらった案内には岡城の歴史が記載されていた。それによれば、1185年大野郡緒方荘の部将緒方三郎惟栄(これよし)が源義経を迎えるために築城したと伝えられているそうだ。

南北朝時代からは志賀氏が居城としていたが、大友義統(よしむね)が豊臣秀吉の逆鱗に触れ1593年に領地を没収されると、志賀氏も城を去ることになった。

1594年播磨国三木城から織田信長豊臣秀吉に仕えた中川秀成が入封し、急いで城郭の形を整えた。1559年の検地では約7万石。1600年の関ケ原の戦いでは東軍に属し、徳川家康より領地を安堵された。このあと明治になるまで、中川秀成の子孫が城主となった。城の建物は1874年(明治7年)大分県による入札・払い下げで全てが取り壊された。滝廉太郎が遊んだころには荒れ果てていたのだろう。

駐車場から城を望んで写真を撮る。
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大手門近くには、城跡を示す石がたっていた。
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中に進んで三の丸の近くまで行った。城は急峻な崖の上に立っていた。現在は整備されていて、荒れ果てた城というイメージはなかった。
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滝廉太郎銅像も近くに建てられていた。
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この後は、大分市に戻り、ふぐ良別館でフグ料理をご馳走になった。ふぐの胆を食べることができる唯一のお店だそうだ。胆をふぐ刺しのたれにして食べたが、薬味とマッチして、とても美味しい料理で、この日一日の旅の疲れを忘れさせてくれた。

ホテルは法華クラブ大分を利用した。シングルで予約したのだが、なぜかダブルの部屋を用意してくれ、一人で広々と利用することができ、幸先の良い旅行の始まりとなった。

モナドを攻略する

1.モナド

クリスマスパーティーは大きくなった孫たちが集まりとても賑やかだった。今年は、ターキーを2羽焼いた。例によって、ブライン液につけ、ジューシーな味を楽しんだ。

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今年のターキー。焦げ具合が違うのは、250度で10分焼いた後、左側を170度、右を180度で焼いたため。両方ともおよそ1時間半焼いた。
クリスマスに掲載する記事もなかなかの大作になった。何回か説明してきたモナドだが、新しいアプローチで迫ることにした。これまでは、先人たちが築き上げてきた定義や定理を説明するという方法をとった。今回は、どのように発明・発見されたのかを知る手がかりを得るために、足場を築きながらモナドの定義を作り出すことにした。このようなアプローチをとれば、先人たちが到達するに至った深遠な意味を知ることができるだろう。さらには、格段に深いレベルでの理解も得られることにもなるだろう。それでは、始めることにしよう。

1.1 モナドの本来の意味

モナドって何ですかと問われたとき、何と答えるであろうか。数学やプログラミングに馴染みのある人は、この分野での専門用語の一つと答えることだろう。ウィキペディアで調べると、哲学でも使われていることが分かる。実はこちらの方が古くて、数学やプログラミングの分野で使われているモナドは、哲学の分野からの借用語だ。

モナドは、ギリシャ語のモナス(monas)に由来する。モナスは単子と訳されるが、それは単位としての1が原義だ。ピタゴラス(Pythagoreans)によって用いられ、ライプニッツ(Leibniz)によって発展させられた概念である。

モナドの概念を『ブリタニカ国際大百科事典』から引用すると「モナドは部分をもたない単純な実体で,物質的ではなく霊的である。生成消滅することはなく,そこに起る一切の変化は内的原理に由来し、表象によって全世界と全歴史を表現する。表象を変化させる通時的原理は欲求である。モナドは外からの影響を受けないから,モナド間に因果関係はなく、相互間の関係は予定調和の原理で説明される。世界は低級な物体から神にいたるモナドによって構成されており,この位階はそれぞれのモナドの含む表象の明瞭度による」となる。

今日の視点で見ると、ライプニッツの説明は宗教的で神秘的な雰囲気だが、モナドという概念を記述するためのキーワードは、単純な実体と表象のように見える。そして、表象は単純な実体を外に見せるための表現と捉えてよさそうだ。さらに、表象は時間的な変化により明瞭度での濃淡もあるようだ。図で示すと次のようになるだろうか。

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図1:哲学の分野で使われるモナドの概念を図示すると単純な実体と表象の列として表される。表象には明瞭度があり、実体に近いほど高い
この記事を書いているときに、若尾政希著『百姓一揆』の本をたまたま並行して読んいた。しばらく読み進むと、表象という言葉に出くわす。あまり使われない言葉なので、特別な関心を払って読んでいくうちに、表象という言葉はこのように使われるのだと改めて認識させてくれる。

歴史研究においては、歴史史料が重要な役割をなす。歴史史料は、事件の様子を伝えてくれる表象だと若尾さんは述べ、史料の扱い方について説明する。百姓一揆を研究するために使われる歴史史料には、百姓たちが幕府や藩に対して訴えた願書や、逆に百姓たちに命じる触書や、あるいは一揆の様子を叙述的に記述した物語などがある。願書や触書は事件の内容を直接伝えてくれるので一次史料と呼ばれ、物語などはエンターテインメント性をもたらせるために脚色されていて、当てにならないことが含まれているので、二次史料と言われる。モナドの説明に従えば、一次史料は明瞭度の高い表象であり、二次史料は明瞭度で劣る表象ということになる。そして、一揆という事件そのものは単純な実体だ。

話はモナドの説明とは少しずれるが、著者は、本の中で、一次史料だけ扱っていればよいのかと問いかける。歴史家たちが拠り所にしていた一次資料を精査すると、願書や触書には、前の事件を真似て書いたものが多いことに気がつくそうだ。現在の言葉で言うならばコピペが満ち溢れているということだろう。このため歴史研究をする上で、一次史料は必ずしも重宝に使っていればよいというものではないと言う。一次史料、二次史料を上手に利用して、そこから飾られた部分を除いて、真実の部分を探求することが重要だと教えてくれる。話は外れたが、事件を説明する歴史史料を表象という言葉で説明していることが、モナドの概念を深めてくれ、有意義な説明であった。

1.2 モナドの定義を試みる

話を元に戻そう。数学やプログラミングで用いるモナドは、哲学の分野で使われている概念を引き継いでいると言われている。高校数学の範囲の中で探すと、冪集合がそうだろう。ある集合の冪集合とは、その部分集合の全てを要素とする集合である。例えば集合\(A\)が3要素\( \{a,b,c\} \)からなるとする。それでは、この冪集合を求めてみよう。1)部分集合の中に複数の同じ要素が入っているものは一つにまとめられること、2)要素の出現順序は変えても構わないことに注意すると、求める冪集合は
\begin{eqnarray}
P(A)&=\{& \{\}, \{a\}, \{b\}, \{c\}, \\
&&\{a,a\}, \{a,b\}, \{a,c\}, \\
&&\{b,a\}, \{b,b\}, \{b,c\}, \\
&&\{c,a\}, \{c,b\}, \{c,c\}, \\
&&\{a,b,c\}\} \\
&=\{& \{\}, \{a\}, \{b\}, \{c\}, \{a,b\}, \{a,c\}, \{b,c\}, \{a,b,c\}\}
\end{eqnarray}
となる。今得られた冪集合に対して、さらに冪集合を作ることができる。これを下図に示そう。なお煩雑になることを避けるため2要素\( \{1,2\} \)にした。

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図2:冪集合はモナドの概念を表現していると考えられ、単純な実体は集合の構成要素、表象は集合と冪集合、さらには冪集合の冪集合となる
新たな冪集合の作成は、その構造の変化だけを観察すると、カッコが一つずつ増えていくことに気がつく。また、冪集合に対して部分集合の和集合をとると、この冪集合を作る前の冪集合が得られることが分かる。これを下図に示そう。
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図3:冪集合の構造を見ると、右に進むにつれてカッコが一つ増える。逆に、部分集合の和集合を取るとカッコが一つ減る。また、単純な実体から集合が作られるところにも特徴がある
それではこれを一般化してみよう。\(n\)重のカッコを\(n+1\)重のカッコにする操作をカプセル化と呼び、名前\(T\)を与える。また、単純な実体から表象を作り出す操作を表象の創出と呼び、\(return\)という名前を与える。そして、部分集合の和集合を取る操作をカプセル統合と呼び、\(join\)という名前を与えることにしよう。

\(return\)は最も明瞭度の高い表象を作り出し、\(join\)は操作を繰り返しているうちに最も明瞭度の高い表象に至ることに気がつく。\(return\)も\(join\)も最も明瞭度の高い表象に向かうということに特徴がありそうだ。モナドを構成するときに、この性質を取り入れることが重要に思える。それ以上に重要なことは、カプセル化をしている\(T\)だろう。

そこでこれらを用いて、圏を試しに構成してみよう。圏の名前は、\(\mathcal{C}\)としよう。そして、対象は、単純な実体と表象たちだ。即ち、\( A,T(A),T(T(A)),…\)だ。射は、先ほど定義した\( return\)と\( join \)だ。また、恒等射は、\( I_{A},I_{T(A)},I_{T(T(A))},… \)だ。射の合成は\(\circ\)とし、また単位律、結合律は成り立っているとする。そして、\(T\)は、\(\mathcal{C}\)から\(\mathcal{C}\)への関手としよう。即ち、自己関手だ。まとめると試案の圏は以下のようになる。
圏\(\mathcal{C}\)の構成 (試案)
対象:\( A,T(A),T(T(A)),…\)
射:\( return : A \rightarrow T(A), join : T(T(A)) \rightarrow T(A) \)
恒等射:\( I_{A},I_{T(A)},I_{T(T(A))},… \)
合成:\(\circ\)
単位律:省略
結合律:省略

図で示すと下図のようになる。

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図4:冪集合の構造的な特徴を捉えて、カッコを増やす操作を\(T\)、単純な実体から表象を創出する操作を\(return\)、和集合によってカッコを一つ減らす操作を\(join\)と名付け、これらを、モナドを圏として定義するときの、構成要素にしよう
このように定義すると、関手\(T\)によって、\(A\)から\(T(A)\)に、\(T(A)\)から\(T(T(A))\)に、さらに\( T(T(A)),T(T(T(A))),...\)も同じようによって移される。一般に関手は圏の間の射なので、\( A,T(A),T(T(A)),… \)は、それぞれを圏と見なすことにしよう。そこで、圏であることを明確にするために、\(A\)を\(\mathcal{A} \)と表すことにしよう。試案の圏は次のように書き直される。改めてということになるが、\(\mathcal{A}\)は圏である。
圏\(\mathcal{C}\)の構成
対象:\( \mathcal{A},T(\mathcal{A}),T(T(\mathcal{A})),…\)
射:\( return : \mathcal{A} \rightarrow T(\mathcal{A}), join : T(T(\mathcal{A})) \rightarrow T(\mathcal{A}) \)
恒等射:\( I_{\mathcal{A}},I_{T(\mathcal{A})},I_{T(T(\mathcal{A}))},… \)
合成:\(\circ\)
単位律:省略
結合律:省略

これで、圏\(\mathcal{C}\)が出来上がった。細部も加えて示したのが下図である。

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図5:冪集合を利用してモナドの候補を作り出した。\(T\)が圏\(\mathcal{C}\)を結ぶ関手、これがモナドと呼ばれるものになる。\(return,join\)は圏\(\mathcal{C}\)の射である
そして、これをモナド定義の候補としたい。

1.3 Haskellモナドで確認する

モナドを表すための候補が出てきたので、先に進める前に、本当にそうなのかを、Haskellでのモナドの定義を利用して確認してみよう。Control.Monadのパッケージを見ると次のようになっている。

class Applicative m => Monad m where
  (>>=) :: forall a b. m a -> (a -> m b) -> m b

  (>>) :: forall a b. m a -> m b -> m b
  m >> k = m >>= \_ - > k

  return :: a -> m a
  return = pure

  fail :: String -> m a
  fail s = errorWithoutStackTrace s

さらに、これらのメソッドは単位律と結合律を満たすものとする。

Haskellでのモナドのクラスで用意しなければならないメソッドは、\(return\)とバインド(bind)と呼ばれる\((>>=)\)だ。しかし\(return\)はモナドの上位クラスであるアプリカティブ(Applicative)で定義されるので、モナドのところで定義する必要があるメソッドは\((>>=)\)だけだ。2番目のメソッド\((>>)\)は、バインドを用いて定義されているので、定義する必要はないし、またそれほど重要なメソッドでもない。

繰り返しになるが、Haskellモナドで重要なメソッドは\( (>>=)\)と\(return\)である。そこで、冪集合がモナドであるという推察を確認するためには、冪集合のところで得た\( return\)と\(join\)が、Haskellでのメソッド\(return\)と\((>>=)\)に対応していることを示さなければならない。

冪集合 Haskell
1 \( return : A \rightarrow P(A) \) \(return :: a \rightarrow m \ a\)
2 \( join : P(P(A) \rightarrow P(A) \) \((>>=) :: forall \ a \ b. \ m \ a \rightarrow (a \rightarrow m \ b) \rightarrow m \ b\)

上の表で、式1は対応していることが分かる。しかし、式2、即ち\(join\)と\( (>>=)\)は対応しているとは即断しがたい。そこで、Haskellでの定義を変形してみよう。モナド\(m\)は関手なので、
\begin{eqnarray}
m \ a \rightarrow (a \rightarrow m \ b)
\end{eqnarray}
の部分は、下図のように表すことができる。

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図6:モナドの候補を確認する。Haskellの構造に変換し、Haskellで定義されているモナドの構造に対応しているかを観察する。そのためには、候補の\(join\)とHaskellの\(>>=\)が対応していることを示せばよい
上図で、左側の射\(f: a \rightarrow m \ b\)を関手\(m\)によって、右側に移される。そして、\(m \ a \rightarrow (a \rightarrow m \ b)\)は、右側に移った射の始点\(m \ a\)が与えられた時、その終点をあたえる。このとき右側に移った射は\(fmap \ f \ (m \ a)\)である。これより、
\begin{eqnarray}
m \ a \rightarrow (a \rightarrow m \ b) & = & (fmap \ f \ (m \ a)) \\
& = & m (f (a)) \\
& = & m (m \ b)
\end{eqnarray}
となる。まとめると、
\begin{eqnarray}
m \ a \rightarrow (a \rightarrow m \ b) \rightarrow m \ b \\
= m (m \ b) \rightarrow m \ b
\end{eqnarray}
である。\(b\)を\(a\)で置き換えると、
\begin{eqnarray}
m (m \ a) \rightarrow m \ a
\end{eqnarray}
となり、\(join\)同じであることが分かる。

これで、冪集合から得られた2関数がモナドを定義するのに必要な関数であるという裏付けを得たので、さらに議論を進めることにしよう。

1.4 汎用化する

一般的なモナドの定義に近づけるために、\( return,join\)を\(η,μ\)で置き換え、汎用化してみよう。

\begin{eqnarray}
η &:& A & \rightarrow & T(A) \\
μ &:& T(T(A) & \rightarrow & T(A)
\end{eqnarray}

さらに、\(T(A),T(T(A)),…\)は同じ薄茶色で表し、薄緑色の部分をなくすと、前に示した図は次のように表すことができる。

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図7:一般的なモナドの定義に近づけるために、\( return,join\)を\(η,μ\)で置き換える
上の式をもう少し変形してみよう。恒等射\(I:A \rightarrow A\)を用いると上記の式は次のようになる。
\begin{eqnarray}
η &:& I(A) & \rightarrow & T(A) \\
μ &:& T(T(A) & \rightarrow & T(A)
\end{eqnarray}
上記の式は任意の\(A\)について成り立つので、\(A\)を省くと
\begin{eqnarray}
η &:& I & \rightarrow & T \\
μ &:& T \circ T & \rightarrow & T
\end{eqnarray}
と記述することができる。そこで、圏\(\mathcal{C}\)を対象とし、関手\(T\)を射とし、モナドを表す圏\(\mathcal{D}\)をつぎのように定義できる。
圏\(\mathcal{D}\)の構成
対象:圏\(\mathcal{C}\)
射:\(T: \mathcal{C} \rightarrow \mathcal{C} \)
恒等射:\(I_\mathcal{C} \)
合成:\(\circ\)
そして、次のように、単位律、結合律を満たすものとする。
単位律:\(I_\mathcal{C} \circ T= I_\mathcal{C} = T \circ I_\mathcal{C} \)
結合律:\( (T \circ T) \circ T = T \circ (T \circ T) \)

圏\(\mathcal{D}\)は、さらに
\begin{eqnarray}
η&:& I_\mathcal{C} & \rightarrow & T \\
μ&:& T \circ T & \rightarrow & T
\end{eqnarray}
を満たすものとする。ここでは、\(η: I \rightarrow T \)から\(η: I_\mathcal{C} \rightarrow T \)に変えている。恒等射の定義域が単純な実体の領域から表層の領域まで含むようになったが、\(η: I_T \rightarrow T \circ T \rightarrow T \)であることから、矛盾なく拡張することが可能である。

圏\(\mathcal{D}\)を図で示すと以下のようになる。

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図8:モナドとしての関手\(T\)を射とした圏を構成する
ここで得たモナドの圏\(\mathcal{D}\)は、圏論の教科書で定義されているものと同一であることに気がつくことと思う。そしてこの圏の射、即ち関手\(T\)は、一般にモナドと言われる。ライプニッツモナドの概念から始めて、冪集合を用いてモナドの定義に必要とされるだろう関数\(return,join\)を求め、その関数がHaskellでのモナドの定義で用いられているものと同じであるという検証を得て、モナド\(T\)を射とする圏\(\mathcal{D}\)を定義することができた。

この圏をしばらく観察してみよう。対象\(\mathcal{C}\)を小さくし、射\(T\)、恒等射\(I_\mathcal{C}\)、そしてこれらから合成される射を描くと下図のようになる。

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図9:モナドは自己関手\(T\)を射としたモノイド圏であることが分かる
これは、その右側に描いたモノイド圏(単位律とかつ結合律を満たす二項演算子により構成された圏)と構造が同じであることが分かる。従って、モナドは、自己関手\(T\)を射としたモノイド圏であることが分かる。

1.5 精錬化する

これまでの議論でモナドの定義は出来上がったが、もう少し綺麗に纏めることにしよう。\(η, μ\)が関手から関手への射になっているので、自然変換と見なせる。

自然変換を復習しておこう。圏\(\mathcal{C}, \mathcal{D}\)があり、前者から後者へ関手\(F,G\)が存在したとする。このとき、\(F\)から\(G\)への射\(η\)が自然変換であるとは、\(\mathcal{C}\)の任意の対象\(A,B\)とその間のやはり任意の射\(f\)に対して、\(\mathcal{D}\)で\( G(f) \circ η_A = η_B \circ F(f)) \)が成り立つことである。この関係を下図に示す。

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図10:自然変換は関手から関手への射である。任意の対象\(A,B\)とその間のやはり任意の射\(f\)に対して、\( G(f) \circ η_A = η_B \circ F(f)) \)が成り立つ
それでは、自然変換\(η, μ\)を射とした圏\( \mathbf{End}_\mathcal{C} \)を構成してみよう。
圏\( \mathbf{End}_\mathcal{C} \)の構成
対象:\(I_\mathcal{C}, T, T \circ T \)
射:\( η: I_\mathcal{C} \rightarrow T, μ: T \circ T \rightarrow T \)
恒等射:\(I_ T : T \rightarrow T\) (注意:これは恒等変換である)
合成:\( \circ \)
単位律:\( μ \circ (I_T \circ η) = I_T = μ \circ (η \circ I_T) \)
結合律:\( μ \circ (I_T \circ μ) = μ \circ (μ \circ I_T) \)
となる。図で表すと以下のようになる。
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図11:モナドを最も抽象的に表した圏\( \mathbf{End}_\mathcal{C} \)で、自然変換\(η(return),μ(join)\)を射とし、モナドとしての関手\(T\)を対象とする
さらに、\(I_T\)は\(T\)と表すこともできるので、これを用いて、単位律、結合律を可換図式で表すと下図になる。
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図12:モナドとしての条件を示した可換図式。単位律、結合律に対応する

モナドの定義が出来上がったので、圏論での最も重要な概念である随伴との関係について述べておこう。ウィキペディアでは随伴は次のように定義されている。圏\(\mathcal{C}\)と\(\mathcal{D}\)との間の随伴とは、二つの関手
\begin{eqnarray}
L: \mathcal{D} \rightarrow \mathcal{C} \\
R: \mathcal{C} \rightarrow \mathcal{D}
\end{eqnarray}
の対であって、全単射の族
\begin{eqnarray}
{\rm Hom}_{\mathcal{C}}(L(Y),X) \cong {\rm Hom}_{\mathcal{D}}(Y,R(X))
\end{eqnarray}
が変数\(X,Y\)に対して自然となるものをいう。このとき、関手\(L\)を左随伴関手と呼び、\(R\)を右随伴関手と呼ぶとなっている。図で表すと、

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図13:同型なHom集合を用いての随伴の定義

しかし、上記の定義からモナドとの関係を説明するのは煩雑になるので、もう一つの定義を使うことにしよう。それは、やはりウィキペディアで次のように定義されている。

圏\(\mathcal{C}\)と\(\mathcal{D}\)の余単位・単位随伴は二つの関手
\begin{eqnarray}
L: \mathcal{D} \rightarrow \mathcal{C} \\
R: \mathcal{C} \rightarrow \mathcal{D}
\end{eqnarray}
および二つの自然変換
\begin{eqnarray}
η: I_\mathcal{D} \rightarrow R \circ L \\
ε: L \circ R \rightarrow I_\mathcal{C}
\end{eqnarray}
であって(ηは単位、εは余単位と呼ばれる)、これらの合成
\begin{eqnarray}
L =L \circ I_\mathcal{D} \xrightarrow{L \circ η} L \circ R \circ L \xrightarrow{ε\circ L} L \\
R = I_\mathcal{D} \circ R \xrightarrow{η\circ R} R \circ L \circ R \xrightarrow{R \circ ε} R
\end{eqnarray}
がそれぞれ\(L\)と\(R\)上の恒等変換\(I_L,I_R\)となることをいうとなっている。これは三角恒等式(triangle identities)と呼ばれる。これを可換図式で示そう。

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図14:余単位・単位による随伴の定義の一部である三角恒等式の可換図式
それではこの定義からモナドを導くこととしよう。圏\( \mathbf{End}_\mathcal{C} \)での射\(η,μ\)が、随伴を定めている\(η,ε\)から得られることを示せばよい。そこで、
\begin{eqnarray}
T=R \circ L
\end{eqnarray}
としてみよう。モナド側の\(η\)を得ることは次に示すように簡単である。
\begin{eqnarray}
I_\mathcal{D} \xrightarrow{η} R \circ L = T
\end{eqnarray}

それでは\(μ\)について考えよう。次のように変換して求めることができる。
\begin{eqnarray}
T \circ T = R \circ L \circ R \circ L \xrightarrow{R \circ ε \circ L} R \circ I_\mathcal{C} \circ L = R \circ L = T
\end{eqnarray}

図示すると次のようになる。

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図15:圏\( \mathbf{End}_\mathcal{C} \)での射\(η,μ\)を随伴より得る

1.6 モナドと随伴の関係

圏\( \mathbf{End}_\mathcal{C} \)の単位律、結合律を随伴から得てみよう。まず単位律から始める。
\begin{eqnarray}
L \xrightarrow{L \circ η} L \circ R \circ L \xrightarrow{ε\circ L} L \\
R \xrightarrow{η\circ R} R \circ L \circ R \xrightarrow{R \circ ε} R
\end{eqnarray}
と、およびそれぞれで左辺と右辺は恒等変換になっていることを利用すると
\begin{eqnarray}
T \circ I_\mathcal{D} = R \circ L \circ I_\mathcal{D} \xrightarrow{R \circ L \circ η} R \circ L \circ R \circ L \xrightarrow{R \circ ε \circ L} R \circ L = T \\
I_\mathcal{D} \circ T = I_\mathcal{D} \circ R \circ L \xrightarrow{η \circ R \circ L} R \circ L \circ R \circ L \xrightarrow{R \circ ε \circ L} R \circ L = T
\end{eqnarray}
を得る。またそれぞれで左辺と右辺は恒等変換になっていることもわかる。可換図式で示すと下図のようになる。

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図16:随伴の定義からモナドの単位律を得る

次は結合律だ。単位律と同様に式を展開することで得ることができる。その過程を可換図式で示しておこう。

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図17:随伴の定義からモナドの結合律を得る

1.7 冪集合をHaskellで実装する

無事にモナドを定義することができたので、考える出発点であった冪集合に戻り、これをHaskellで実現することとしよう。

ここでは、集合をリストで表すこととしよう。例えば、要素\(a,b,c\)からなる集合は\([a,b,c]\)と表すことにする。冪集合は、それぞれの要素に対して、含むか含まないかの組合せを作ることだ。リストは\((x:xs)\)と表すことができるので、\(xs\)で作られる冪集合の部分集合のそれぞれに要素\(x\)をつけたものとつけないものとの和集合となる。

\(xs\)から作られた冪集合を\(rest\)とし、これに要素\(x\)をつける操作は

rest >>= (return . (x:))

である。
確認しておこう。

Prelude> import Control.Monad
*Main Control.Monad> [[2,3],[2],[3]] >>= (return . (1:))
[[1,2,3],[1,2],[1,3]]

従って、要素\(x\)をつけるかつけないかを、ブール値\(b\)で判断するプログラムは次のようになる。

\b -> if b then rest >>= (return . (x:)) else rest

これを用いてみよう。

*Main Control.Monad> f x rest = \b -> if b then rest >>= return . (x:) else rest 
*Main Control.Monad> [True, False] >>= f 1 [[2,3],[2],[3]]
[[1,2,3],[1,2],[1,3],[2,3],[2],[3]]

少し、工夫をして、\(x\)の値を外から与えられるようにしよう。

\x -> const [True, False] x >>= \b -> if b then rest >>= (return . (x:)) else rest

確認しよう。

*Main Control.Monad> g rest = \x -> const [True, False] x >>= \b -> if b then rest >>= (return . (x:)) else rest
*Main Control.Monad> g [[2,3],[2],[3]] 1 
[[1,2,3],[1,2],[1,3],[2,3],[2],[3]]

次に\(rest\)の部分を再帰的に構成できるようにしよう。次のようになる。そして関数名を\(power set\)としよう。

powerset [] = return []
powerset (x:xs) = const [True, False] x >>= (\b -> 
               if b 
                   then powerset xs >>= (return . (x:)) 
                   else powerset xs) 

確認しよう。

*Main Control.Monad> powerset [1,2,3]
[[1,2,3],[1,2],[1,3],[1],[2,3],[2],[3],[]]

今求めた関数\(power set\)の構造を圏論モナドを用いて描くと下図のようになる。

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図18:冪集合を求める関数\(power set\)をモナドを用いて記述する

Haskellでは、より汎用的な\(filterM\)が用意されているので、\(Power set\)はこれを用いて次のように定義すればよい。

powerset = filterM (const [True, False])

一応確認しておこう。

Prelude> import Control.Monad
*Main Control.Monad> powerset = filterM (const [True, False])
*Main Control.Monad> powerset [1,2,3]
[[1,2,3],[1,2],[1,3],[1],[2,3],[2],[3],[]]

出来上がりだ。モナドを定義するために、冪集合から初めて、最後はまた冪集合に戻ってきた。クリスマスプレゼントとはいえ、長い記事になってしまったが、モナドを様々な面から観察することができ、新たな発見もあって、楽しむことができた。読者の方はいかがでしたか。

クリスマスに、アップルクランブルタルト

駅前の街頭で、歳末に向けてのイルミネーションの準備が始まると、世の中が気ぜわしくなる。以前よりは格段に回数は減ったものの、忘年会の誘いもやはりやってくる。恒例になっているクリスマス料理の準備もそろそろ始めないといけないが、今年は新作をと思い立ち、ケーキの本をばらばらとめくってみる。ついでに、インターネットも調べてみると、料理のプロが作る簡単レシピのところに、アップルクランブルタルト(Apple Crumble Tart)が紹介されていた。なかなか手が込んでいて、簡単ではなさそうなのだが、本格的なレシピと感じられたので、これに挑戦することとした。

しかしその記事は、20cm径のタルト型を利用していた。家庭では、多くの場合18cm径を用いているのではないかと思い、Amazonを利用して、18cm径のフッ素加工のタルト型を入手した。タルトを作り出す段になって、台所の隅の方を探っていると、なんとタルト型が出てきたので、損をした気分になったが、新しいのはフッ素加工されているので焦げる心配がないだろうということで、自己納得して、作業を続けた。なお、タルトの型を20cmから18cmに変えたので、食材の量の方もそれに応じて変更した。
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アップルクランブルタルトの工程は、材料の作成と本体の作成に分かれている。材料の作成は三つの作業に分かれている。それらは
1)タルト:外側の枠
2)炒めリンゴ:中身
3)クランブル:上に乗る皮
の作成だ。

材料の作成が終わった後、全体の作成となる。これは、上記の三つの材料を一緒にしてオーブンで焼くことだ。それでは順番に説明していこう。

1 タルトの作成

タルトの作成に使う食材は以下の通り。薄力粉(90g)、グラニュー糖(小さじ1.5)、バター(50g)、水(30cc)、塩(少々)、アプリコットジャム(適量)だ。
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最初にバター(50g)を5㎜角に切る。
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薄力粉(90g)を加え、
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さらにグラニュー糖(小さじ1.5)を加える。
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良くかき混ぜる。
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さらに、冷水を少しずつ加える。指に粉がつかないようになったら完成だ。なお、水を入れ過ぎた場合は、薄力粉を加えて調整する。
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サランラップの上において、手のひらサイズぐらいに四角く引き伸ばす。
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サランラップで包んで、冷蔵庫で30分程度休ませる。
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次はいよいよタルトづくりだ。まず、生地を置くための台と綿棒を用意する。また、台と綿棒に生地がくっつくのを防ぐために、薄力粉を利用する。
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生地を延ばす作業は、企業秘密なので写真がない。というのは冗談で、あまりにも夢中になって作業を観察したため、写真を撮るのを忘れてしまった。生地を延ばすことには自信がなかったので、やり方を妻に尋ねた。クレイ・フラワーを作成することに長けている妻は、任しておいてと言って、目の前で生地を延ばしてくれた。あまりにも見事なのですごいと思ってみていると、タルト型にはめるところまでしてくれた。
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焼いているときに生地が反り返らないようにするため、生地の上に重りを置くが、くっつかないようにするため、クッキングペーパーを敷く。
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そして重りを隙間がないように入れる。幸いなことに、我が家に長いこと眠っていた重りがあったので、これを用いた。
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220度で予熱したオーブンで10分焼き、重りを取り出して、さらに4分30秒焼く。
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タルトを取り出して、底面にアプリコットジャムを塗る。
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そして、タルトをオーブンに戻して余熱でアプリコットジャムを塗った表面を乾かす。乾いたら、取り出して冷ましておく。
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2 炒めリンゴの作成

炒めリンゴを作成するのに必要な食材は、リンゴ(3個)、バター(30g)、グラニュー糖(120g)、レモン(半個)、ラム酒入りレーズン(大さじ4杯)だ。
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リンゴは酸味があった方がおいしいと感じているので、紅玉を用いた。リンゴは8等分のくし切りにする。皮と種もこの時とる。
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バター(30g)をフライパンに入れて溶かし、その中にリンゴを加える。
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中火で透明感が出てくるまで炒める。
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ラニュー糖(120g)とレモン(半個)の絞り汁を加え、中火でさらに炒める。
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トロミが出てきたら炒めるのをやめ、ラム酒入りレーズン(大さじ4杯)を加えて冷ましておく。

3 クランブルの作成

クランブルは馴染みない単語だ。ロングマンの現代英英辞典で調べると、小麦粉、バター、砂糖の乾いた混合物を焼いたもので、果物を覆った甘い料理と書いてある。というわけで、クランブルに用いる材料は、薄力粉(25g)、アーモンドプードル(25g)、砂糖(25g)、ブラウンシュガー(25g)、シナモンパウダー(少々)、バター(25g)だ。
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まず、バターを小豆の粒ぐらいの大きさに切る。
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バター以外の、薄力粉(25g)、アーモンドプードル(25g)、砂糖(25g)、ブラウンシュガー(25g)、シナモンパウダー(少々)をボウルに入れてかき混ぜる。
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これにバターを加えて、手をこする合わせながらぼろぼろの状態にする。
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冷蔵庫に入れておく。今回は室温が低かったので、そのままにしておいたが、乾いた状態を作り出すためには、冷蔵庫にやはり入れておいた方が良かったように思う。

4 アップルクランブルタルトの作成

いよいよ、最終段階だ。タルト、炒めたリンゴ、クランブルは用意されている。
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タルトの中に、炒めたリンゴを入れる。そして、クランブルをまぶしていく。
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クランブルをまぶし終わると、
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オーブンを170度に温め、25分間焼く。
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皿の上に移動する。
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切り分けて食べられるようにする。
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今回初めて、アップルクランブルタルトに挑戦した。リンゴは紅玉を選択したので、酸味のある美味しいアップルタルトを得ることができた。海外のサイトを見ると、クランブルの粒がもう少し小さいようなので、もう少し細かくちぎってまぶすか、もう少し乾いた状態にした方が良かったようだ。ただ、どのようにしたら乾いた状態のものが得られるのかは不明だ。

クリスマスには改良版で、孫たちを喜ばせたいと思っている。

銀杏入り茶わん蒸し

最近、散歩をしながらTEDトークを聴いている。広い範囲にわたって話題を紹介してくれる。その中で、最近、記憶についての話を聴いた。我々の仲間内での記憶についての話題といえば、人の名前がすぐに出てこないような、記憶力が悪くなった例の話になりがちだ。しかし、今回、TEDトークで聴いたのは、失われていく記憶ではなく、創られていく記憶だ。人々は経験したことを記憶として覚えるが、その記憶はその後のイベントによって変容するそうだ。その例として、殺人現場を見た人が、刑事の誘導により、無実の人を犯人と思い込み始め、さらには、断定するまでの状況を説明していた。

今回、銀杏の実を利用して茶わん蒸しを作ることになった。今日は茶わん蒸しを作ると言ったところ、妻が、結婚した頃に彼女の得意料理の茶わん蒸しを作ったところ、私からあまり好きではないと言われたので、そのあと余り作らなくなったと過去に感じた不満を漏らした。そのようなことを言った記憶はないが、しかし争っても仕方がない。わたしの、あるいは両方の記憶が変容したのだろうと解釈して、下ごしらえをしておいた銀杏の実を使って、茶わん蒸しを作ることにした。

茶わん蒸しは失敗することも多く、難しい料理の一つだそうだ。しかし、我が家のスチームオーブンレンジには、茶わん蒸しを自動で調理してくれる機能がついている。しかも、スチーム加熱を利用して。このため卵とだし汁の量を間違えさえしなければ失敗することはない。卵とだし汁は1:3にするのが原則。計量器を用いて、これをしっかりと守れば美味しい茶碗蒸しが完成する。

今日の食材だ(右端の砂糖は使わなかった)。今回は4人分だ。主役は、何と言っても、銀杏だ。脇役は、鶏肉(モモ肉40g)、干しシイタケ(2個分)、卵(M3個)、かまぼこ(薄切りにして4枚)、ウズラの卵(4個)、みつば、調味料だ。干しシイタケはあらかじめ、水に浸しておいた。
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まず、卵を計量した。160ccだ。従って、だし汁は3倍の480ccを必要とする。
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卵を大きめのおわんに移し、菜箸を底につけたままで卵をかき混ぜた。このとき、泡立てないようにした。卵の中に空気が混じりこんでしまうと、うまく固まらない。このため、菜箸を底につけたままかき混ぜるのが鉄則だ。
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次は、だし汁の作成だ。干しシイタケを浸しておいた水をカップに入れた。さらに、白だしを20cc加え(この瓶には40cc加えるようにと示されていたが、干しシイタケを浸した水を加えたため少なめにした)、さらに水を足して必要とされる480ccのだし汁を作った。
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次に卵液を作るために、ボールに卵とだし汁を入れ、かき混ぜた。かき混ぜ方は先ほどと同じで、菜箸を底につけたままだ。
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次に、これを濾すために、金属製ざると小鍋を用意した。
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ここに流し込む。ざるには卵白が残るので、これをスプーンで押してさらに流し込んだ。
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卵液ができたので、具を作った。鶏肉に、大匙半分の酒と塩少々をまぶして下味をつけた。
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かまぼこは薄切りで4枚を取り、さらに、半分に切った。
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具をうつわに入れた。今回は、それぞれに、銀杏の実3個、鶏肉10g、ウズラの卵1個、干しシイタケ3枚だ。
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さらに卵液をうつわの8分目まで入れた。
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うつわに蓋をして、スチームオーブンレンジに入れて、後は自動で(自動がない場合は、170度で15分程度)。
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スチームオーブンレンジでの調理が終わった後(34分かかった)、5分ほどそのまま蒸した。そして、みつばを入れて、出来上がり。
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地理の高級ワインを飲みながら、美味しくいただいた。
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主役の銀杏の実も、見事その役を果たしてくれた。

銀杏の下ごしらえ

中学時代の同級生から銀杏を頂いた。職場に銀杏の木があり、仲間たちと競って実をとることが楽しくなったということで、そのお裾分けをしてもらった。

木から落ちたばかりの、皮をかぶっている銀杏の実は、多くの人がひどいと感じる程の強い臭いを発する。悪臭と考える人の方が多いだろう。このため、街の中で沢山落ちていたとしても、食べてみたいという誘惑に駆られるものの、人込みの中を家までどのように運んだらよいのかという解決策を見出すことができず、イライラ感が積もる中、持ち帰ることができないストレス感を、臭い実を踏み潰すぐらいでしか解消できない。このような嫌な気分を味わうことなく、手に入れることができるのは幸運だ。銀杏採集という最も毛嫌いする工程をこなして、皮を取り、臭いを除去し、殻だけにして、送ってくれた同級生に感謝して、晩秋の旬である銀杏の実を楽しむこととした。

「少しだけ」と聞いていたのだが、送られてきた量は思っていたそれよりは多かったので、いろいろな料理の食材に使えるようにと、実を茹でて保存することとした。送られてきた銀杏はこれ。綺麗に皮が取り除かれ、悪臭もなかった。
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殻を取り除くために、開いた間隙が銀杏の大きさにマッチする水道工事用のペンチを道具箱から取り出した。銀杏の筋に沿って上半分を縦に割ってみようと考えた。
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うまくいく場合もあったが、真ん中のお腹のあたりに割れ目が入ってしまう場合も多かった。
この後、殻を取るのだが、そのときの爪にかかる負担を少なくするために、水に30分ほどつけて殻を柔らかくした。
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次は、殻を散り除き、実を取り出す作業だ。個数が多いので、爪を傷めないようにしたいが、これにはテクニックがいる。最初のうちは、技術が伴わないので、どうしても爪の力で殻を割ろうとした。
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段々に、爪への負担が重なり、わずかな痛みさえ覚えるようになった。このままでは、最後まで、爪が持ちそうにないので、負担がかからないように工夫した。殻の上下を指で挟んで若干の力を加え、割れた部分が広がるようにした。この部分に指を入れて、片方の殻を散り除き、さらにもう一方の残された殻も取り除き、底面の殻の中に残された実をてこの原理を利用して取り出した。このテクニックを利用してからは、スムーズに殻を取り除けるようになった。
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この後は、実の回りを覆っている薄い茶色の皮を取り除く必要がある。これには、鍋に水を沸騰させ、そのあとに銀杏の実を入れて、中火で煮た。実がもちっとした柔らかさになったところで止めた。おおよそ5分ほどであった。
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煮ている段階で、皮はかなり取り除かれた。
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皮がついているものの処理を行い、食材としての準備は終了だ。
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つまみ食いしたところ、もちもち感があって、なかなかおいしい。これを使って夕飯のおかずを作ることにした。

追:
残りは冷凍保存した。
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ハワイ旅行 帰国(十一日・十二日目)

ハワイ旅行十一日・十二日目は帰国だ。リフエ空港からの出発便は8時12分だ。コンドミニアムを6時半に出発だ。朝食を取っている暇はないので、空港で食べられるようにと、パウンドケーキを購入し、また、Gayeがパイナップルのカットを用意してくれた。運の悪いことに、前日の夜から激しい雨が降り始め、携帯電話には道路が冠水する恐れがあるという警報が届いていた。

激しく雨の降る中、コンドミニアムをGayeの運転で出発。恐れていた道路の冠水はなく、空が明るくなり始めたころにリフエ空港に到着。Gayeは運転席から離れられないので、座席からお別れを言い、Edとはスーツケースを車から降ろしたあとに、大きなハグをして別れた。

我々の便は国際線との接続なので、機械ではなく、ハワイアン航空のカウンターに向かった。リフエとホノルルの間は頻繁に飛んでおり、この日は1時間ほど早い便に空席があったので、それに振り替えてくれた。荷物の計量をして、ホノルルまでの国内線のチケットと、東京までの国際線のチケットを渡された。荷物を預かってくれるところまでスーツケースを運び、そして保安検査場へと向かった。朝早いせいかとても空いていて、手荷物の検査も簡単に済んだ。

ホノルルには8時に着いた。東京への便は12時15分発のJL781便だ。1時間早い便に振り替えてくれたので、ホノルル空港では時間がたっぷりあった。国際線あるいは米国本土への飛行機に乗り換えるためには、植物検査を受けなければならない。パイナップルのカットを持っていたので、引っかかるかなと思ったが、無事通過した。JAL便が出発するC区域は、殆どのお店がまだ閉まっていて、電燈も付いていないところが多かった。搭乗ゲートを確認したあと、唯一開店していたスターバックスでコーヒーを買い、持参してきたパウンドケーキとパイナップルのカットで、ゆっくりと朝食をとった。

朝食を済ませたのが9時ごろ、まだまだ、出発まで時間があった。子供たちから買ってきて欲しいと頼まれたパイナップルの形をしたクッキーを、ホノルル・クッキー・カンパニーのお店で購入した。
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1時間前に搭乗ゲートに向かった。しばらく待っていると、名前が呼ばれた。JALのカウンターへ来て欲しいというアナウンスだった。国際便への乗りつぎだったので、パスポートの確認が行われ、搭乗券もJALのものに代えられた。

飛行時間は9時間だ。昼食を食べたあとの暇つぶしに、映画を観ることとした。今年のカンヌ映画祭パルムドール賞を獲得した「万引き家族」を鑑賞することにした。映画が始まると、不思議な現象に襲われた。耳から入ってくる音を英語のリズムで聞き取ろうとしている。このため、何を話しているのかとても把握しづらい。さらに悪いことに、字幕は英語だ。耳からの音が聞き取りにくいので、字幕を一生懸命に読む。このため、耳から入ってくる音は日本語とは程遠いものとなり、バックグラウンドの音へと変わってしまう。映画を見るのにひどく疲れ、眠り込んでしまった。

今回の旅行では、GayeやEdがいる場所では、疎外感を味合わせてはいけないと配慮して、日本語は使わず、英語だけで通した。そのため、英語耳になってしまったようだ。さらに、このあと2本の日本映画を観ようとしたが、やはり同じ現象に見舞われ、10分も経たないうちに眠り込んでしまった。おかげで十分に睡眠をとった。

Gayeは小学校の先生をしていたこともあって、英語の発音には厳しい。今回も随分と直された。特に粘土を表すclayについては、10分間の特訓をさせられた。Lの音がRに聞こえるようだ。Lの音は、歯茎に舌を強く押し付けて、舌の両端から音を出す。しかし、私のLは、舌を押し付けるのに意識が行き過ぎて、息が強く吐き出され、Rの音に聞こえるようだ。「リラックスして」と指摘されるのだが、舌を押し付けることにより生じる緊張が除かれず、息を強く吐いてしまう。帰国後もGoogle Translateで確認しながら特訓を続けている。

成田には次の日の午後4時に到着した。エアポートバスでたまプラーザに戻り、そのあとはタクシーで自宅へと戻った。心配した交通事故もなく、病気にもならず、良い旅だった。かくして10月20日から31日まで続いたハワイ旅行は完了した。彼らと約束したようにオリンピックの年の2月に、カウアイ島をまた旅行できることを楽しみにしている。

ハワイ旅行 チョコレート・ガーデン(十日目)

ハワイ十日目、カウアイ島三日目は、チョコレートの庭園だ。Googleでの道案内によると下図のように出てくる。一番端にあるはずの目的地(赤い印)が道の途中にありなにか変だ。
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56号線を北上していくと左側に目的地のGarden Island Chocolateが出てくる。しかし、Googleの道案内によれば、ここを通り越して、はるか先のハナレイ国立野生棒物保護区のロータリーで引き返すようになっている。56号線は高速道路なので、Googleは左折することができないと認識している。このため、Uターンできる地点を探しているのだ。我々はこの道案内に従ったために損をした。危うく集合時間に間に合わないところだった。

参加者名簿に名前を記入した後、朝食代わりにおかれていたハワイ名物の果物を食べたあと、チョコレート農園のツアーへと向かった。最初に驚かされたのが、ハワイの植物に外来種が多いことだ。

綺麗な花を見せてくれるブーゲンビリアやプリメリアは中南米が原産、ハイビスカスも園芸用の多くは外来種。馴染みのある果実もほとんどが外来種だ。マカデミアナッツはオーストラリアが原産。パパイヤはオーストラリア東部から、バナナはマレー半島から、パイナップルはブラジルからの外来種だ。マンゴーはインド・ミャンマーから、スターフルーツはアジアからだ。さらに、ココヤシは東南アジア・インド洋の島々から、ライチは中国広東省福建省から、ザボンはアジア南部から、グアバ南アメリカからだ。コナ・コーヒーはエチオピアから、そして、これから見学するカカオは熱帯アメリカ原産だ。

チョコレートはカカオの実から作られる。カカオの木を見るのはおそらく初めてだったと思う。カカオの花は枝ではなく幹に咲く。下の写真で幹のところどころに白い花を咲かせている。実は赤く楕円形をしている。
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もう少し大きくしてみよう。5223
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熟した実を割って中を見せてくれた。そこにはカカオの豆が詰まっている。この豆を焙煎し、いくつかの複雑な工程を得てチョコレートが生まれる。
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その他の植物についても説明があり、1時間かけてのツアーが終わった。そのあとは、チョコレートの試食会。チョコレートの種類ごとに説明を受け、それを試食するというプロセスを繰り返す。いやというほどたくさんの種類のチョコレートを食べ、やっと終了した。ツアーと試食を合わせて3時間のコースだった。ここは農場だけなので、説明を受けたチョコレートを購入することはできなかった。

昼食は近くにあるキラウエア(Kilauea)の町でとる。
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この町はかつてはサトウキビで栄えた。日本やポルトガルから入植者を迎えた。ところどころに歴史を伝える写真がある。
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午後は、カウアイ島の北にあるハナレイの町を散策することにした。
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ハナレイの街に入るためには、狭い鉄橋を渡らなければならない。ここは一車線だ。橋の前は双方から来る車で渋滞していた。一台一台が交代に渡るということではなさそうだ。我々が渡ろうとしたときは、3台の車が続いて渡ってきて、4台目が停車して道を開けてくれた。町の人に聞いてもルールはないそうで、適当にということらしい。橋を渡って、ハナレイに入ると、一面に畑が広がっていた。後で調べると、タロイモ畑だ。

街の中に入り、賑やかになったところで車を駐車し、あたりを散策する。最初に入った建物には、Old Hanalei Schoolという看板があった。洋服屋さんを皆で覗いてみる。この建物を出ると、ハワイの歴史を教えてくれる展示があった。ハワイ島で訪れたヘイアウを描いたものだ。
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その右手にアート・ショップがあったので覗いてみた。ハワイのスタイルなのだろうか、腰巻だけをつけた大男が現れたのでのびっくり。ポリネシアの美術品を扱っている店だ。YouTubeで、彼が宣伝している。
www.youtube.com

ハナレイの南側は、急峻な山が迫っている。滝というよりは、川がまっすぐ真下に落ちていくような光景だ。
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夕飯は、宿舎の近くの武士道というお店で、米国味の海苔巻きや寿司を食べた。EdとGayeは週末までカウアイ島に残るが、我々はあす帰国する。旧交を温めることができとても良い旅だった。食事の前に、日本製のビールで乾杯した。

ハワイ旅行 コーヒーカンパニーを訪問(九日目)

ハワイ九日目、カウアイ島二日目は、妻のたっての希望でコーヒー園だ。ハワイ旅行に出発する前は、ハワイに在住する知り合いからの情報もあって、ハワイ島のマウンテン・サンダー・コーヒー(Mountain Thunder Cofffee)でコナコーヒーを買うことを、妻は希望していた。Gayeに相談すると、カウアイ島にもっといいコーヒーのお店があるからと説得され、待ちに待っていたコーヒーカンパニーの訪問だ。

この日の朝食は、宿舎先の近くのオノ・ファミリーレストランでとった。
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当初レストランの名前は日本人の姓の「小野」を指すものとばかり思っていた。ただ、それにしてはあまりにもあちこちでオノという看板を多く見かけるので不思議に思っていた。帰国して何気なくBSのDlifeというチャネルをつけていたら、ハワイを話題にしたアニメが流れていた。その中で、オノはハワイ語で「美味しい」という意味だよとしゃべっていた。今まで抱いていたわだかまりが一瞬にして解けた瞬間であった。このオノでは定番のオムレツとパンケーキを注文し、分け合って食べた。朝食には少し多めだったが、美味しかったので、残さず食べてしまった。
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この後、カウアイ・コーヒーカンパニー(Kauai Coffee Company)へと向かった。
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カンパニー前の庭はブーゲンビリアがきれいに咲きそろっていた。
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お店の入り口はこぢんまりとしている。落ち着いた深い緑色の壁を背景にし、カンパニーの名前が明るい色で、対照的だ。ハワイ風の鮮やかさとでもいうのだろうか。5174
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妻が購入したかったのはこれ。ピーベリー(Peaberry)だ。小粒の豆で少量しか取れないため、貴重品だそうだ。もちろん、値段も高い。
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店内では試飲もできる。焙煎の違いによるミディアムとダーク、さらに香りつき、合わせて3種類のテーブルが用意されていた。我々が気に入ったのはダークローストのテーブルだ。その中でも、ピーベリーとブルーマウンティンが最も気に入った。どっしりとした重みと深い苦みが調和し、我々の好みにぴったり合う味だった。
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もちろん妻はどっさりと購入した。
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次の目的地は潮吹きパーク (Spouting Horn) だ。
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波が海中の溶岩の穴の中に流れ込み、それが押し出されて、岩の隙間から塩が激しく吹き上げられる。
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そして、今日の夕飯の場所へと向かう。
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レストランの名前はキーオキズ・パラダイス(Keoke’s Paradise)だ。ハワイ島を訪問しているときに予約したレストランで、カウアイ島でのビッグ・ディナーをする場所だ。

ハワイアンの演奏もフラダンスの実演も伴う、いかにもハワイというお店だった。
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ここの料理は魚がよいということなので、Keoki’s Style FishとPanko & Mac Nut Crusted Fishを注文して分け合った。また、パイがおいしいというので、デザートにOriginal Hula Pieを頼んだ。
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アメリカで食事をしたときに、どれだけチップを払ったらよいのか悩むが、相場は20%だ。ハワイはセールス・タックス(小売売上税)が4%なので、これの5倍が目安だ。暗算を得意としない彼らを見ていると、セールス・タックスの半分を求め、それを10倍している。また、演技者に対してチップを払うのも常識だ。我々の席は、非常に近かったこともあり、それぞれの家族が20ドルずつ払った。

チップになれていない日本人にとっては、何とも面倒くさい習慣だが、アメリカではサービスに従事している人たちは、チップが主な収入源だ。このため、チップを出さないと彼らの生活に響いてくるので、必ず渡さないといけない。しかし、サービスが悪い時は少なめに、気に入った時は大目に上げて、こちらの意思を示すことができる。今回の旅行では、いくつかのお店では、18%、20%、22%のチップの額を明示した伝票を渡してくれた。

今回は2家族で食事をしている。現金主義の日本では割り勘は簡単にできるが、カードでの支払いが当たり前のアメリカではどうするのかと思ったら、”Split”と言って、それぞれのカードを出せばよい。”Exactly equal?”などと聞かれた場合には、”Yes”と言えばよい。カードとともに伝票がホールダーに入れられてテーブルに運ばれてくる。伝票はそれぞれのカードに対応しているので、伝票に書かれているカードの番号を確認して、チップと合計額を書き込む。それぞれの伝票は二枚一組になっているので、一枚をホールダーの中に、残りの一枚を持ち帰る。

チップは、アメリカ独特の制度なので、アメリカ人とともに過ごしていないと分からないことが多い。カウアイ島で利用しているコンドミニアムは週3回メイドさんが来て掃除をしてくれる。この人にも当然チップを払うが、その相場は3ドルとのこと。玄関を入ったテーブルのあたりにメッセージとともにチップを置いておくそうだ。Gayeの運転にチップを払う必要はなかったのだろうか。冗談で聞いてみたが、もちろんいらないといった。

ところで、このブログを書いているときに、食事をしたオーキオズ・パラダイスから東に1Kmも離れていないところに、カネイオロオウマ・ヘイアウ(Kaneiolouma Heiau)があることを知った。草木が生い茂っていて人が立ち入ることができなかったこのヘイアウは、2010年から復元事業が始まり、昔の姿に戻りつつある。その活動は、次のホームページから知ることができる。
www.kaneiolouma.org

機会があれば、ぜひ訪ねてみたいと思っている。

ハワイ旅行 カウアイ島に移動(八日目)

ハワイ八日目はカウアイ島へ向かう。ハワイ諸島の中で、ハワイ島が一番新しい島、これに対してカウアイ島は一番古い島だ。ハワイ諸島は太平洋プレートの上にのっているが、この太平洋プレートは毎年少しずつだが北に向かって移動している。一方、火山を発生させているホットスポットは移動しない。ホットスポットの上に形成された島が、プレートの移動に伴って北に移動し、島が去った跡に、すなわちホットスポットの上に、新たな島が形成される。このプロセスが繰り返されることで、ハワイ諸島が生まれたと説明されていた。しかし、最近ではホットスポット自体も移動するという学説が出され、ハワイ諸島の成り立ちはもう少し複雑なようだが、ハワイ島は43万年前に、カウアイ島は510年前に誕生した。

カウアイ島に向かう便は15時10分だったので、コンドミニアムをチェックしたあと、コナ空港の近くにあるカロコ・ホノコハウ(Kaloko Honokohau)国立歴史公園を訪れた。
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この一帯は火山岩で覆われている。
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このような土地で、ハワイの先住民の人々はどのように生活したのだろう。説明図があった。漁村だったようだ。5146
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生活用具も復元されていた。
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近くの海岸は今日でもこのように綺麗だ。彼らにとっては素晴らしい環境の中で生活したことだろう。5155
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コナ空港を飛び立ち、カウアイ島のリフエへと向かう。
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リフエで出迎えてくれたのは、野生化した鶏。
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野生化した鶏の説明として、1992年のハリケーンで鳥小屋が倒壊したときに逃げ出したという説と、19世紀にプランテーションに持ち込まれた鶏が放たれたという説とがあるそうだ。いずれにしても、この島には立派な鶏が多い。

レンタカー会社で車を借りる。この度はシボレー・タホ(Chevrolet Tahoe)だ。一段と大きな車で、ステップを使って乗り込む車だ。このような大きな車にひるむことなく運転席に向かうGayeを見て、改めてタフな人だと感じ入った。

今回泊まるところは、カパア(Kapaa)にあるポノカイリゾート(Pono Kai Resort)だ。
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ここはタイムシェアのリゾートで、Edは所有者の一人だ。制度の細かいことはわからないのだが、ともかく、我々の宿泊費はタダ。これに越したことはない。今回利用するコンドミニアムは、ハワイ島でのそれが立派過ぎたので、狭いように感じる。日本から直接来ればかなり広いと感じるだろう。
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夕飯は、和風テイストのこじゃれたレストランのJO2 Natural Cuisineでとった。妻は気に入ったようだった。

そして、ここを拠点にして、短い期間だが、もう一つのハワイを楽しむこととなった。

ハワイ旅行 ボタニカル・ガーデンを訪問(七日目)

ハワイ旅行七日目はボタニカルガーデン。アメリカ人の休暇の楽しみ方は、日本人とはずいぶんと違っている。我々は有名な遺跡や評判のよいお店をいくつ回ったかを、ともすれば競っているのに対して、彼らはゆっくりと時間をかけて、初めてであった人とのおしゃべりを楽しんでいるように見える。そのため、彼らの旅行はゆったりとしていて、長い時間をかける。GayeとEdは春には南アフリカを1カ月も旅行したし、今回も、もっとずっと長い期間を提案してきた。日本での我々の日程を考えると1週間がやっとだったが、最大限に伸ばして10日余りにした。

今回の旅行は、彼らのスタイルに合わせて、一日一か所にしてそこで楽しむことが原則だ。観光地の名所・史跡を見るということももちろん目的に入っているが、それよりはそこで出会った人々とのおしゃべりを楽しむことのほうが大切だ。

この日は、前日カヤックツアーに行くときの道すがらに見つけたボタニカルガーデンだ。少し長いがその名前は、パウ・マウ・プレース・植物園(Pua Mau Place Arboretum and Botanical Garden)だ。植物学者のプレイス博士(Virgil Place)によって、1974年に造られた。
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このガーデンはハワイ島の西側にある。ハワイ島は東側が湿潤で、西側は乾燥している。ガーデンを作る前のこの土地は、砂漠に近かったそうだ。膨大なお金をかけて、植物が成長できるように、水やりなどの設備を整えたそうだが、それを維持していくのは大変だろうと容易に想像できる。

あらかじめ電話をしておいたので、案内をしてくれるイリナ(Irina)さんが出迎えてくれ、入場料を払うやいなや、彼女の説明が始まった。まるで、大学の講義を受けているようだった。一本、一本の木について、名前の由来に始まり、その性質などについて、質問を織り交ぜながら、分かりやすくしかもとても専門的に説明してくれた。聞いているときは分かった気になったのだが、二週間以上もたってしまった今となっては、詳しい説明だったということだけが強く印象に残っているのみだ。

ただ、蜘蛛の糸には、虫を捕まえるための粘り気のあるものと、卵を包むための乾いた糸があるという説明だけは、そうだったのかと納得したためよく覚えている。樹木の方はその場限りの知識になったので残っていないのだろう。

イリナさんの英語の発音はとてもきれいだったが、米国人の発音と比べると少し強く発音している音があったので、ヨーロッパのどこかの国から移住してきたのだろうと想像した。説明はなんと1時間以上にもわたり、その後の我々には植物園を巡る体力はあまり残されていなかった。

わすかに残っている体力で、ガーデンを小半時回った。道に沿って、ブーゲンビリアが所々に咲いていた。
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クジャクもいた。
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土地の芸術家が作った作品もあった。
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帰り道にマラサダ(ドーナッツ)を販売しているトラックを利用したお店を発見した。複数の集団が購入していたので、我々も仲間入りした。その中の一つの集団は、4人の水着姿の若い女性たちだった。写真を撮ってくれとGayeが頼まれた。あとでGayeから聞いたところでは、カリフォルニア大学サンフランシスコ校の学生だった。ここは医学を専門とした著名な大学だ。日本とは制度が異なり、米国の医学部はいずれかの学部を卒業した後に進学する。従って、アメリカの医学部は学部はなく大学院だけだ。サンフランシスコ校も大学院だけのこじんまりとした大学だ。米国中間選挙の前だったので、別れ際に、どの政党にとは言わないけれど選挙には行くように、とGayeが彼女たちにお願いした。選挙への関心の高さが伝わってきた。

そのあとマカデミア・ナッツのお店を訪れて、お土産を仕入れた(写真はTripAdvisorより転載)。
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ワイ島最後の夜は、ラバラバ・ビーチクラブ(Lava Lava Beach Club)で地元のビールを飲んだあと、食事をした。我々は、主食にココナッツ・シュリンプ(Coconut Shrimp)とアヒ(Chinese five spice rubbed Ahi)をとった。残念ながら写真は撮らなかったので、昼間の写真だがTripAdvisorより転載しておこう。
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帰宅した後、パッキングを行い、翌日のカウアイ島に向けての準備に入った。

ハワイ旅行 カヤックでアドベンチャー(六日目)

ハワイ旅行六日目はカヤック・アドベンチャーだ。EdとGayeから提案があったとき、転覆も起きるような激流を下っていくアドベンチャーと想像して一瞬躊躇した。服装はと聞くと水着(bathing suit)という。でも腰には浮き輪をつけるから大丈夫だともいう。彼らは80歳以上の老人だ。彼らが大丈夫なら、一回り年が若い我々にとってはなんてことはないだろうと賛成した。

どのような場所に連れていかれるのか、不安と期待が混じる中、午前7時半にカヤック・ツアーを運営している会社へと向かう。会社の名前はフルーミン・コハラ(Flumin’ Kohala)だ。
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会社の事務所で登録手続きをした後、ここからカヤックの乗り場まで、会社のマイクロバスで向かう。30分かかったが、この時間を利用してツアーの説明をしてくれた。「川下りだろう」と思っていたが、そうではなかった。サトウキビ農場へ水を引くための人工的に作られた水路だ。しかし入植した日本人が工事をしたと聞いて親近感がわいてきた。ガイドの説明とその後に入手した情報によれば、この水路には次のような歴史をもつ。

ハワイでは、「ワイ(wai)」という要素を含む単語に頻繁に出会う。ハワイ語でワイは「新鮮な水」を意味する。最初にハワイにたどり着いた人々にとって、新鮮な水はとても大切だったのだろう。この後に続いて訪れた人にとっても、新鮮な水がとても大切だったのは疑う余地もない。そのことを伝えてくれるのがこの水路だ。英語ではditchだ。

ワイ島北部には3か所の人工水路が造られた。以下の説明図は、Star Bulletinの記事からの転載で、1がコハラ水路(Kohala ditch)、2が上ハマクラ水路(Upper Hamakua Ditch)、3が下ハマクラ水路(Lower Hamakua Ditch)だ。
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今回訪れたのはコハラ水路である。この水路は、18カ月にわたる厳しい工事の末に、1907年に完成した。全長26マイル(42Km)、その内、16マイルがトンネルで、6マイルが開いた空間だ。トンネルの数は57、最長のトンネルはおよそ半マイルである。残りの4マイルが渓谷の上に橋のように作られた人工の水路だ。このような人工の水路を英語ではflumeという。今回のツアー会社の名前はfluminだ。酷似した単語を用いているが、こちらの方はラテン語だ。fluminは、flumenの複数形で、「流れ」という意味だ。

建設作業者の中に600人の日本人労働者がいた。一日の給料は1ドル。彼らは岩石から方形のブロックを切り出す作業を主に行った。これらのブロックはトンネルの壁として使われ、その値段は1ブロック当たり5セントだった。彼らの手作業での工賃は、空気あるいは電気ドリルを使うよりも安かったそうだ。日本人労働者は、他のどの国から来た労働者よりも、ブロックづくりが上手だったとも言われている。渓谷の中での水路の工事は難工事であり、17人の死亡者が出た。

それでは、なぜ水路を作ったのだろうか。

ヨーロッパ人が訪れるよりも前に遡って説明を始めよう。

このころのコハラ地域では、先住民たちは、タロイモ、サツマイモ、バナナなどを栽培していた。1779年にクック船長が訪れたあと、新しい人々が入ってくる。彼らは、コメ、ジャガイモ、パイナップルなどを持ち込むが、とりわけ影響が強かったのはサトウキビだ。この背の高い植物が調味料として使われるようになると、たちまちのうちにタロイモを凌駕してしまう。そして、コハラ地区で商用として栽培されるようになるや否や、土地と水と人力を必要とするサトウキビは、それまでのハワイを永遠に変えてしまった。

サトウキビでの成功は、増産への欲望を広げ、さらなる土地、さらなる人力、さらなる水が求められた。ときどき生じる干ばつは、そのつど安定的な水の供給への要望を高めた。1880年にハヴィ(Hawi)のプランテーションの長であったハイド(Jone Hide)は、湿潤な森の峡谷からハヴィの村へ、トンネルや石を連ねた水路で、水を引くことを思いついた。しかし協力者がなかなか得られなかったことと、建築コストが高すぎることで、彼はこのアイデアをいったん諦めた。

1901年に、土木技術者のタトル(Arthur Tattle)が、コハラの渓谷の水資源利用の有用性について調査をし、その結果、高価で困難ではあるが、達成可能であるという結論をだした。これに力を得て、ハイドは技術者などの協力のもと、建設に取り組んだ。いろいろな国の人が参加したが、その中で日本人労働者の技能、忍耐強さ、肉体的努力は傑出していたそうだ。

水路は、1907年に完成し、サトウキビ農園の灌漑用として利用された。しかし新興国の参入などもあってサトウキビの栽培は衰退し、1970年代にはサトウキビ農園の運営は終了した。その後は、農業、水力発電、養殖業で利用され、観光でも利用されている。

説明が長くなったが、マイクロバスもカヤックの乗り場に着いたので、話を旅行の方に戻そう。とはいっても、このときはカメラを持参しなかった。濡れるといけないので、持ってこない方がよいとアドバイスされたためだ。従って、写真がないので、トリップ・アドヴァイザーの写真を借りよう。

最初は出発地。
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峡谷の上に渡された水路2枚。。
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トンネルから出たところ。
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もしかして激流を下るアドベンチャーと秘かに期待と不安を抱いて臨んだカヤックであったが、静かな流れの中、開発当時の苦労した人々の姿が思い浮かび、有意義なツアーであった。

3時間のツアーを終えて、お昼はハヴィでとることにした。旅行の本にはバンブーレストランがお薦めと書いてあったが、カヤックツアーのガイドが地元の人から見ると、コハラ・ビレッジ・ハブがよいというのでそこにした。このお店は、コハラ・フルーミンとは道を挟んだお隣さんだった。
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皆で分けようということで、次のものを頼んだ。カラマリとハンバーグ
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帆立のポキライス
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タコス
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夕飯はコンドミニアムで満月を楽しみながらバーベキューにした。

ハワイ旅行 ビッグアイランド・キャンディーズでお買い物(五日目)

ハワイ五日目は妻の希望でヒロにあるビッグアイランド・キャンディーズに行く。先日、キラウエア火山に行ったときに、ヒロで朝食をとることに失敗したので、リベンジをしようということになった。

Gayeがそれではポールのお店はどうかと提案した。調べてみると、とてもおいしいが、2人座りのテーブルが3つしかないので、予約なしでは食べられないことが多いとあった。Edが食べられそうもないので、他にしようと提案した。Gayeは「トライしようよ」というのだが、Edが1時間半もかけて行くにはリスクが大きすぎると反論した。

このあたりから二人の感情がもつれて言い争いになった。夫婦喧嘩はどちらに味方をしてもさらに燃え上がってしまうので、私は静観を決め込んだ。

そうこうするうちに、Gayeが激しく非難した。しかし、初めて出会った単語で意味が取れなかった。”You are xxx. You are xxx” といっていた。口では勝てなくなったEdが静かに部屋から退場し、冷却の時間になった。xxxの意味を聞きたかったのだが、私の方に攻撃が回ってくると大変なので、耐えた。教科書にもなく、通常の会話にも出てこないので、とても興味があった単語だが、今となっては単語の音を忘れてしまったので、調べることもできない。

こういうときの諍いは、たいていの場合、女性の勝ちと相場が決まっている。この場合も御多分に漏れずだ。Gayeの意見に従って、ポールのお店へと向かう。往きは内陸部を、帰りは海岸線に沿って移動しようということになった。
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横断道路の右側の4分の3は、「ダニエル・イノウエ・ハイウェイ」と呼ばれる。このハイウェイは2013年に完成したが、それまでは未舗装のアップダウンの激しい道路で「サドルロード」と呼ばれていた。サドルは馬の鞍という意味だが、馬の鞍に乗っているようなワイルドな道だった。現在は整備され、北にあるマウナ・ケアと南にあるマウナ・ロアの山の間を縫う、景色の素晴らしい道路だ。

出発地のワイコロア・ビーチのあたりの道路は溶岩が広がっている。
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内陸部のワイコロア・ビレッジに近づくころから、緑が広がり始める。遠くに見える山は、標高4207mのマウナ・ケアだ。なだらかな稜線のため高く感じられないが、富士山よりも高い。
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途中には円錐形の噴石丘(cinder cone)も見える(写真右端奥)。やはり噴火によって生じたものだ。
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島のちょうど真ん中、ヒロ・フォレスト保護区に入ると、天候は一変した。深い霧に覆われ、雨の中へと入っていく。
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溶岩の黒い景色が、緑で覆われた森林に代わり、街が現れ、ポールのお店に到着する。
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二人の諍いはGayeが「正しかった」となった。お店に入ろうとした時に、食事を終わった客が出てきた。中に入ると、テーブルが二つ我々を待っていた。

小さなレストランなので、ないだろうとは思ったが、レストルームはどこと聞いてみた。このお店のオーナーのポールは、ファーマーズ・マーケットのトイレの見えるところまで、親切にも案内してくれた。トイレのドアーを開けようとすると鍵がかかっていて開かない。ポールは既にお店に戻っているので、聞くわけにいかない。しばらくトイレの前に立っていると、ファーマーズ・マーケットのお店の人が出てきて、暗証番号を教えてくれた。共同トイレの不用心を避けるための方策なのだ。

お店に戻ると、女性たちはご満悦。ポール特製の朝食に舌鼓を打っている。
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Gayeは満面のほほえみをたたえている。背後には寂しそうなEd。このあと出会った旅行者の人たちそれぞれに、ポールのお店はとても美味しいので、是非行くべきだとGayeは伝えていた。妻もとても美味しかったと喜んでいた。
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次は妻が最も行きたがっていたビッグアイランド・キャンディーズだ。
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たくさんの買い物をした。私が着ていたバークレイのTシャツを見て、店員の一人が「私も卒業生。でも、ずっと前だけど」と話しかけてきた。ハワイにもバークレイの卒業生は多いらしく、このあとも他の場所で話しかけられた。

帰路は滝めぐり。まずはレインボー滝(Rainbow Falls)に向かう。
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レインボー滝はハワイ語ではWaianuenueと言う。水の中の虹という意味だ。残念ながら、今回は虹を見ることはできなかった。

次はアカカ滝(Akaka Falls)だ。
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滝を巡るトレイルがある。Gayeは疲れたのだろう、車の中で昼寝をしたいと言うので、残りの3人でトレイルを散策した。滝だけでなく野生の花々も目を楽しませてくれた。
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次の訪問地はホノカア(Honokaa)だ。
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岡田将生初主演の映画ホノカアボーイの舞台となった場所だ。岡田将生が演じるレオは映写技師として映画館で働いていたが、それがここ。f:id:bitterharvest:20181107055230j:plain
岡田の他に、倍賞千恵子、庄司照枝、喜味こいし蒼井優松坂慶子などが出演し、とてもゆっくりと時間が過ぎていく映画だ。

ホノカアの町の紹介もしておこう。人口は2000人ちょっとで、大きくはない。産業はサトウキビだった。ハマクア砂糖会社(Hamakua Sugar Company)は、このホノカワで、1873から1994年までの長きにわたって事業をしていたが、町はこの砂糖生産に依存していた。会社が廃業する頃には、砂糖と観光の衰退によって町は活気を失ったが、現在はヒロのベッドタウンとなって生き残りを模索している。映画館は1930年にタニモト家によって建てられ、1993から2006年までと2009年にハマクア音楽祭が開かれた。

映画館をカメラに納めていたら、建物のベンチに座っている人が、この店で主人公が散髪をしたと教えてくれた。そうこうしているうちに、夕闇が迫ってきたので、帰路に着いた。

アメリカ人の夫婦と一緒に過ごしていると、チップの払い方から、出会った人との会話の仕方、夫婦喧嘩のありさままでいろいろなことが分かり、得難い経験をたくさんする。楽しい旅だと改めて感じる。

ハワイ旅行 ビッグ・ディナーで再会を祝す(四日目)

ハワイ4日目、再会を期してビッグ・ディナーをしようとあらかじめ決めてあった日だ。すでにレストランは予約してある。昨日の運転が長かったこともあり、夕飯までのんびりと過ごすことにした。朝食もしっかりとることとし、私は目玉焼きを作る。

午前中は、宿泊地のワイコロア・ビーチ・ヴィラスの周辺を散策することにした。Edが絵葉書を出したいというので、ポストがありそうなキングスショップへ向かう。ついでに、散策しようということになり、「物は買わない」という約束をして、キングスショップのお店を見て回る。素敵なお店がたくさんあり、クレイジー・シャツ(Crazy Shirts)の看板を見たとき、Gayeが約束を守れないと言って、中に入っていった。我々も昨年誕生した孫にTシャツを購入した。
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このお店の前の風景もまた素晴らしい。
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午後2時を過ぎたころ、レストランのあるワイメア(Weimea)に向けて行動を開始した。海岸沿いでも、内陸部を通ってもほとんど同じ距離だ。ただ、海岸沿いは工事している箇所があったので、それを避けて内陸部を行く。
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この道は溶岩で覆われた大地で始まるが、途中から緑が多くなり草原が広がってくる。そして、ときどきヤギが出現する。あとでレストランの方に尋ねたら、野生化したとのこと。
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また、わずかな長さであるが並木になっている箇所もある。
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パーカー牧場の入り口に来る。
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パーカー牧場は、総面積が1,000平方キロメートル、東京23区の1.5倍を有する米国でも最大規模の大牧場だ。その歴史についての説明を見つけたので、牧場が始まったころのことを簡単に纏めておこう。

始まりは5頭の牛。1788年に英国人のバンクーバー船長(George Vancouver)が、これはクックが上陸した10年後だが、ハワイを訪れ、カメハメハ大王に牛を献上した。カメハメハ大王は、牛を放し、牛がハワイ島の中を歩き回っても構ってはならないと島民に指示を出した。ハワイ語でkapu(制限なし)と言ったそうだ。

次の20年で、牛は数千頭にまで膨れあがった。1809年、19歳のパーカー(John Palmer Parker)がハワイ島を訪れたときは、焼き印のない牛が田園地帯を支配し、農家の農場や庭に大きな被害を与えていた。パーカーは大王に養魚池を献上するが、第一次世界大戦の間この地を離れた。1812年、この地に居住するために再び戻り、そのとき、当時最新のマスケット銃を持ってきた。大王は、野生の牛を狩猟することだけでなく、島内外で肉と皮を売ることを認めた。しばらくすると、塩漬けにされた牛肉がこの土地の主要な輸出産業となり、パーカーは裕福なリーダーとなり、皆から尊敬されるようになった。彼は、ハワイ語を修得し、ハワイのやり方を取り入れ、1816年にカメハメハ大王の孫であるキピカネ(Kipikane)と結婚した。マウナ・ケアの山麓に8000平方メートルの土地が与えられ、3人の子供に恵まれ、そして「パーカー・ダイナスティー」が始まった。

パーカー牧場の入り口を入ると、正面に博物館がある。
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博物館の中には当時のマスケット銃が展示されている。
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天皇とも交流があったようで、寄贈品が飾られていた。
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また、博物館とは別にパーカーが住んでいた建物が資料館として残されている。
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奥さんのキピカネが来ていた洋服もあった。背後には肖像画が飾ってあった。
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この牧場はツアーも用意されている。また、ハワイアン・カーボーイもまだここで活躍しており、その雄姿を見学するのも面白いと思う。

さて、我々は今回のメインイベントであるビッグ・ディナーをするためにレストランへと向かった。名前はメリマンズ(Merriman’s)。お店の写真を撮らなかったので、ホームページから転載する。
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我々のテーブルを担当してくれたのはダニエル(Daniel)。テキサス出身だがハワイ島が気に入って住み着いたそうだ。奥さんは日本人。彼は日本語は話せず、あいさつ程度だ。彼の今日のお勧めは、ハワイ語でアヒ(Ahi)、日本語ではまぐろを炙った料理。妻がこれを選んだので、分けることにして、私はラムにする。4人とも話に夢中になってしまったために、主食の写真がない。そこでレストランの写真を転載する。
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妻の料理は
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ラムは肉が柔らかく、ハーブの味付けも馴染んでいて、とてもおいしい料理だった。

さて、このレストランは主食ももちろんだが、デザートがとても有名だ。3品がセットになっているのがお薦めだということだったので、これを4人で分けた。このときはちゃんと写真を撮った。しかし残念だが名前を憶えていない(最初のデザートはおそらくCoconut Crème Brûlée)。
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美味しい料理と楽しい話をいっぱいして、再会を祝すことができ、幸せな気分で帰路に着いた。

ハワイ旅行 キラウエア火山を訪れる(三日目)

ハワイ三日目。この日は月曜日だ。月曜日が旅行者にとって都合の悪い曜日であることに我々は気がついていなかった。

目的地はキラウエア火山(標高1247m)。今年の5月から火山活動が活発になり、日本でも何度か報道され、ハワイ島への旅行者のキャンセルが相次いだ。しかし、8月6日の観測では、溶岩流の流出がストップし、火口でも噴火が発生していないことが確認され、8月17日には警戒レベルから監視レベルに引き下げられた。9月22日からは公園の一部開園が始まった。

キラウエア火山はハワイ島東側のヒロから行くことができる。朝食をヒロで8時半にとることにし、簡単なスナックを口に入れ、コンドミニアムを出立した。ヒロまでは一時間半弱の行程だ。
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運転をしているGayeから、朝食のレストランを探して欲しいと頼まれた。日本からのモバイルは「アメリカし放題」だが、データ量に応じて料金が発生する。どの程度になるかに不安に覚えながら、モバイルを操作した。得られた情報によれば、Paul’s Placeがおすすめだった。さらに開店時間を調べたところ、なんと月曜日は閉店となっていた。嫌な予感がしたが、次のおすすめはKens House of Pancakeだった。妻もパンケーキを食べたいと言っていたので、さらに調べると、ここは24時間毎日営業。ここに行きましょうと決めて、地図で詳しい場所を調べた。

今回借りたレンタカーにはナビゲーションがついていなかった。どうもどのレンタカーも付いていないようだ。殆どの人がモバイルを道案内に使っていることに起因しているのだろう。モバイルの地図情報を使いながら道案内をすることとなったが、困ったことに、モバイルから出てくる道路名はカタカナだ。これを頭の中でアルファベットに変換して、車外の道路上に現れる地名と一致しているかどうか確認しなければならない。このため判断が遅れる。交差点で正しい指示を出さなければとさらに焦る。幸いに一度だけの間違いですみ、何とか目的のレストランが見えるところまで来た。

このとき先ほど感じた不安がよみがえってきた。なんとレストランの駐車場には車が止まっていない。しかし妻は明かりがついているという。看板にも24時間毎日営業と書いてある。皆でレストランに入っていくと、食事をしている人たちがいた。不必要な心配をしたと思ったとき、お店の人がやっていないといった。お客がいるのにというと、月曜日は予約客だけで、もう閉店する時間だと言われた。仕方がないのでトイレだけを借りて外に出た。入れ替わりに入ろうとするお客さんがいたので、閉店だと教えた。彼らは、朝食をとるためにあちらこちらのレストランを訪れたが、いずれも閉店だったと教えてくれた。

しかたなくヒロで朝食を取るのをあきらめ、持ってきたお菓子を食べながら、キラウエア火山へと向かった。
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キラウエア火山は今回の爆発で中心の部分が陥没した。写真の奥の左半分のへこんでいるところが今回の陥没だ。
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もう少し大きく撮ってみる。
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アメリカ地質調査所(USGS)が5月22日に発表した溶岩の流れ。人家を飲み込んでいる様子が分かる。
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USGSが撮影した道路に流れ込んだ溶岩流。
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なお、USGSは自由にダウンロードしてよいビデオを公開している。
volcanoes.usgs.gov

次の仕事は、逃した朝食のリベンジに昼食探しだ。火口近くにレストランがあるのだが、再開に向けて準備中だ。ギフトショップにはサンドイッチがあると教えられたが、そこもすべて売り切れ。麓のVolcano Garden Artsで食事がとれそうという情報を得て、そこに向かう。お店の人に丁寧に迎えられるが、美術品の展示はしているが、カフェは休みと言われ、疲労感がどっと出る。とてもがっかりしたので、写真を撮るのも忘れてしまった。仕方がないのでお店のホームページにある写真を転載する。
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このお店は100年前に建てられた家を改造したとのこと。主人のOnoさんは芸術家で、彼の作品が所狭しと展示されていた。Onoさんに開店中のレストランを教えてもらい、午後4時ごろやっとこの日初めての食事にありつけた。店の名はDimple Cheek Cafe & Local Market、ここでお店と同じ名前のDimple Cheek Burgerを頼んだ。Dimpleは「小さなくぼみ」あるいは「えくぼ」という意味だ。従って、Dimple Cheekはえくぼのあるほほ。
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お腹が空いていたこともあって、とても美味しかった。また、レストランの裏にはこの地域でとれた野菜が並べらていて、その中に、ハワイの先住民の人々にとって糖質を取るのにとても重要だったタロイモが売られてた。日本のさといももタロイモの一種だそうだが、それよりはずっと大きかった。写真は別の場所で見たタロイモの栽培だ。
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旅をしていると、初めて経験することが多くとても楽しい。