6月5日に北海道の増毛に「うに」を食べにいった。
増毛は、「ぞうもう」ではなく、「ましけ」と呼ぶ。アイヌ語で「かもめの多いところ」をマシュキニあるいはマシュケというそうだが、それが転じて「ましけ」になったそうである。
留萌本線の終点の「増毛駅」である。この駅は1921年(大正10年)11月5日に開業した。手元にある大正14年4月号の汽車時間表によると、深川増毛間には、上り列車が6:55、10:25、15:20に増毛を出発、下り電車は9:20、14:30、20:45に増毛に到着する。深川までは3時間かかっている。
東京・大阪間に新幹線が開業した昭和39年10月の時刻表では、深川・増毛間に「かむい」と呼ばれる準急列車が走っている。上りは6:26に増毛を出発、下りは22:31に増毛に到着する。所要時間は1時間20分程度である。
本線となっているので、かつては重要な路線だったのだろうが、今年(2016年)の12月5日に留萌・増毛間の廃止が予定されている。これから廃止までの時期は鉄道ファンが押し寄せて、かつての賑わいをほんの一瞬だけ取り戻すことになるだろう。
現在の増毛駅の写真をいくつか掲載しよう(なお、以下の写真は魚眼レンズで撮ったので、周辺は丸みを帯びている)。
列車は一両編成の気動車だ。
線路の先は、暴走を止められるように、列車止めが設けられている。
増毛駅の駅前には、建物それ自体の重みにやっと耐えているような旅館「富田屋」がある。昭和8年に建てられたそうだが、ニシン漁が盛んだったころ、沢山の人でごった返した所であろう。
旅行をする数か月前に高倉健主演の駅Stationを偶然に鑑賞した。この映画でのロケ地に増毛が使われた。また、富田屋の右隣りの風待食堂も映画では重要な場所である。
向かった先は、「寿司のまつくら」だ。このお店の写真も、また、料理の写真を撮るのも忘れて、「うに料理」を楽しんだ(まつくらを紹介している動画はいくつかあるのでそちらを参考に)。この時期を選んだのは、うにが最高に美味しいからであることは言うまでもない。特に、「うに鍋」は絶品である。うにをふんだんに用いて、あわび、ごぼう、ねぎ、わかめで味付けしてあり、至福の時間を与えてくれる。
増毛は日の入りがきれいなところだ。この日はあいにく雲がかかっていたが、それでも、食事を中断して、日の入りを観察しに出てみた。
雲の切れ目から沈む太陽を見ることができた。
宿泊先のホテルから次の日に見た暑寒別岳の上の方はまだ雪を抱いていた。
増毛で食事を共にしたのは、国稀酒造の方である。国稀は、日本で最北の造り酒屋である(東京でも靖国神社前の天ぷら屋「もも瀬」では、ここのお酒を楽しむことができる)。国稀酒造は明治15年の創業で、創業者は本間泰蔵である。彼は、新潟県の佐渡の生まれで、明治6年小樽に渡り、呉服店の養子格の番頭として働き、ニシン漁で沸き立つ増毛には行商で来ていたとのことである。明治15年に「丸一本間」を名乗り、本業の呉服屋の他に、海運業、ニシン業、そして、醸造業を始めたそうだ。この当時の本店は、現在では、旧商家丸一本間家として、国指定の重要文化財になっており、見学することができる。
酒の名前も当初は「国の誉」であったそうだが、乃木希典の名前にちなんで、大正9年より、国稀という名が使われるようになった(希をそのまま使うのは恐れ多いので、のぎへんを付けたとのことである)。日露戦争の戦没者を弔う慰霊碑の揮毫を乃木希典に依頼したことからつながりができたとのことである。
もう少し、増毛の逸話を挙げることにしよう。前にも出てきたが、この町はニシン漁で栄えたところである。なかにし礼の小説「兄弟」にも出てくるが、ニシン漁は、当たれば大儲けをするし当たらなければ大損をするという、博打の世界でもある。
ニシン漁が最盛期の頃には、ニシン御殿と呼ばれるものがあちらこちらに建てられたが、その名残が、留萌の北の小平(おびら)町にある。旧花田家番屋である。
ニシンの運搬は、重労働であったと思われる。背負子にたくさんのニシンを詰めて、漁船から加工場まで運んだのであろう。
この後、国稀酒造の創業者が最初に北海道で仕事を始めた地、小樽へと向かう。