bitterharvest’s diary

A Bitter Harvestは小説の題名。作者は豪州のPeter Yeldham。苦闘の末に勝ちえた偏見からの解放は命との引換になったという悲しい物語

古い街、小樽を訪ねる

6月6日(月)に増毛を後にして、小樽に向かった。増毛から留萌までは、国稀酒造の方に車で送ってもらい、留萌から深川を経由して札幌までローカル線の旅を楽しんだ。札幌でレンタカーを借りて、余市へと向かった。余市は、一昨年の秋から始まったNHKの朝ドラ『マッサン』で有名になった場所である。マッサンが創業したニッカウィスキーの酒造所を訪れてみた。
入り口から入ってすぐのところはこのような感じである。
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マッサンがこだわった蒸溜釜も見ることができた。
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マッサンが奥さんのリタと住んでいた家の外観も写真に撮った(柱が外側に曲がって見えるのは魚眼レンズで撮影したため。以下の写真も同じである)。
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この後、積丹半島を少し見た後で、小樽に向かい夕飯を取った。八角の刺身、
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柳の舞(右斜め上)の刺身、
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さらには、ナメタガレイのから揚げなど、地元でしか食べられない魚を楽しんだ。

次の日は、運河をクルージングした。その時、船長が小樽の観光客の推移を教えてくれた。往時は900万人の観光客があったが、最近は750万人に減って、しかも、そのうちの半数が中国人であると案内していた。最盛期であった頃はほとんどが日本人であっただろうから、日本人の観光客の落ち込みが著しいのではと想像した。

真偽を確認するために、小樽市のホームページから観光客の推移を追ってみた。このホームページでは、入込客という普段用いない言葉が使われている。入込客は、観光地や遊園地などの施設、観光地域などの入場者数、来訪者数を指す専門用語で、自治体などが地域を訪れた観光客数を「観光入込客数」と表現するそうである。

小樽市を訪れた人の1960年(昭和35年)からの人数の推移を折れ線グラフで示すと以下のようになる。
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目立つのは、1998年の666万人から1999年の973万人への異常とも思える増加である。この要因は、1999年3月に開業した小樽マイカルの開業であろう。ホテル、ショッピングセンターを含む巨大な複合施設で、開業1年後に訪問した時には、その大きさにびっくり仰天した。北海道最大の複合施設に道内の人をはじめとして多くの人が訪れ、バブル状態が作り出されたものと思われる。私が行った1年後には、早くもショッピングセンターは寂しい状態になっていた。案の定、小樽マイカルは2001年9月には破産となる。

次に気が付くのは、1986年から1999年にかけて着実に観光客の数が増えていることであろう。これは、1986年に運河の一部が埋め立てられ、道路と平行して散策路が設けられたことで、観光地としての環境が整い、レトロな運河を訪問してみようという機運が高まったことに起因している。

1999年以降は2011年の東日本大震災まで、観光客は減り続ける。小樽マイカルのバブルがはじけたことも大きく起因しているものと思われる。しかし、2011年を境にして、観光客の数が増え始めるので、これは、船頭さんが教えてくれた外国人客の増加によるものと思われる。そこで、統計データを探したのだが、外国人観光客の訪問者数は統計データにはない。そこで、仕方がないので、道内、道外からの入込客数と外国人の宿泊者の数を利用する。
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このデータを見ると、近年では道外からの客数が伸びていることが分かる(道外からのかなりの部分は外国人なのだろう。また、道内の中にも含まれていると想像できる)。また、外国人の宿泊者の数だけの折れ線グラフでは以下のようになる。
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グラフから、東日本大震災の後、外国人宿泊者が急増していることが分かる。小樽の事情に詳しい人によれば、外国人のほとんどの人は、小樽には宿泊せず、札幌に宿泊するということなので、宿泊者の数は訪問者の数と比較するととても小さくなっているものと想像できる。しかし、宿泊者数と訪問者数の増加の傾向は似ているだろうから、外国人の訪問者は、これと同じような傾向で増えているものと思われる(本来は、統計処理をして確認する必要があるが、ここでは省くこととする)。

現に、小樽の町を歩いていると、日本語よりも中国語の方をよく聞くので、少なくとも、訪問者の半数は中国人と想像できる。従って、船頭さんが言ったことは嘘ではなさそうである。これまでにはなかった事態がここ小樽でも進行しているのだと改めて認識させられた。

少し疲れたので、小樽の町の古い建物を見学することにしよう。最初は、日本銀行小樽支店
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次は、三井物産小樽支店
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さらに、三菱銀行小樽支店
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今はなくなってしまった北海道銀行本店(現在の北海道銀行とは別)
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今はホテルとなっている北海道拓殖銀行小樽支店
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変わったところで、手宮線の跡地
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その他にもたくさんある。これらは、小樽市のホームページを参考にするとよい。