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bitterharvest’s diary

A Bitter Harvestは小説の題名。作者は豪州のPeter Yeldham。苦闘の末に勝ちえた偏見からの解放は命との引換になったという悲しい物語

称名寺(金沢文庫)を訪れる

旅行

称名寺を訪ねた。森茂暁著『闇の歴史、後南朝』を読んだのがきっかけになった。

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室町時代の幕開け(1336年)とともに始まった南北朝時代は、1392年に北朝南朝を吸収して合体することで終了する。その後の歴史は合体を主導した側(北朝)を中心に描かれた。そして、この本が出版されるまでは、南朝のその後について、総括的に記述されることはなかった。合体によって南朝は滅びたと思われがちだが、実はそうではない。そのあと(1479年までの)90年間もの間、室町幕府に反対する勢力のシンボルとなって、幕府の前に立ちはだかっている。このような状況をこの本は詳述している。

この本のなかで、永享(えいきょう)の乱(1438年)についても説明がある。この乱では、将軍権力の拡充を目指す第8代将軍足利義教(よしのり)と将軍職を奪おうとする鎌倉公方足利持氏(もちうじ)が対決した。たいした戦いもなしに、将軍家が勝利する。持氏は称名寺で出家し、その後、永安寺に移され、関東管領上杉憲実(のりざね)を介して義教に赦免を願うが、許されるわけもなく、逆に憲実に攻められ、自害する。

この本で、称名寺が出てくるのはここだけだ。なぜ、1回だけなのに注目したのだろうか。それは、先週の土曜日に横浜歴史博物館で称名寺の古文書を見たことによる。

横浜市あるいはその近辺で義務教育を受けた人は、金沢文庫について学校で説明を受けたことがあると思う。金沢文庫は、鎌倉時代の中期に北条実時(さねとき)が武家の文庫として設置したものである(北条実時は、第2代執権北条義時の孫で、金沢流北条氏の実質初代で金沢実時ともいわれる。これから金沢文庫と呼ばれる)。現在は、神奈川県立金沢文庫になっていて、称名寺所有の資料を保管展示している。今年、これらの資料が国宝となった。

これを記念して、国宝となった称名寺の古文書が横浜市歴史博物館や金沢文庫などで展示されている。先週の土曜日に横浜市歴史博物館で用事があり、そのついでに、称名寺の資料を見学した。
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今日(12月16日)は、その続きではないが、称名寺金沢文庫を訪れた。金沢文庫は撮影禁止であったので、称名寺だけ紹介しよう。

称名寺で最も大きな建物は山門(1818年建立)である。
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山門の手前には、塔頭(たっちゅう)光明院表門があった。1665年の建立で、三渓園に移設された建物を別にすれば、造営年代が判明する横浜市内の建物の中では最も古いそうである。f:id:bitterharvest:20161216181504j:plain
境内の中に入ると、阿字ヶ池がある。
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そこには二つの橋がある。
山門よりの橋は、反り橋になっている。
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もう一つの橋は平らである。
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平らな橋の先には、金堂(1681年建立)がある。
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その右側には、釈迦堂(1862年建立)がある。
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金沢文庫へはトンネルを抜けるとたどり着く。
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称名寺の宗派は真言律宗である。真言宗の開祖は空海(弘法大師)。平安時代始まりの桓武天皇の時世に、最澄(天台宗の開祖)とともに遣唐使で唐にわたった僧だ。真言律宗の開祖はだれなのだろう(ちなみに、律宗の開祖は奈良時代帰化鑑真である)。ウィキペディアで調べてみた。西大寺の興正菩薩叡尊(えいぞん)が中興の祖となっている。

金沢文庫の写真には、忍性菩薩の展示会への案内がある。忍性(にんしょう)は、第5代執権北条時頼の病気平癒のために、金沢文庫創設者である北条実時によって鎌倉に招かれた。時頼の病気回復に成功したのをきっかけに、忍性の師である叡尊を鎌倉に招くこととなった。そのため、実時は、宋版一切経の7,000帖にも及ぶお経全巻を2セット輸入し、1セットを叡尊西大寺に、もう1セットを称名寺に贈った。

叡尊にあった実時は、叡尊と志を同じにする僧を称名寺に招聘したいと思うようになり、忍性に相談したところ、審海(しんかい)が紹介された。

また、忍性は鎌倉の極楽寺の開山となった。彼は87歳で亡くなったが、多大な功績により「忍性菩薩」と呼ばれることとなった。来年2017年は、忍性生誕800年を迎える。忍性は、貧者や病人の救済に身を尽くしたそうである。特に、ハンセン氏病患者を毎日背負って町に通ったそうである。社会福祉の祖とも言われる。

称名寺は有名なお寺ではあるが、観光客は多くない。今日の見学者は10人前後。散歩に出てきたのであろう、老夫婦が目立った。厳しい寒さの日であったが、快晴だったので、静かなたたずまいを楽しむことができた。また、和泉元彌主演の映画『忍性』の上演も始まったようなので、鑑賞してさらに理解を深めたいと思っている。
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