bitterharvest’s diary

A Bitter Harvestは小説の題名。作者は豪州のPeter Yeldham。苦闘の末に勝ちえた偏見からの解放は命との引換になったという悲しい物語

極限-余錐と余極限の定義

2.余極限

極限と双対の関係にあるのが、余極限である。

2.1 余錐と余極限の定義

前回までの記事で、極限について説明してきた。極限は錐(cone)を用いることで定義した。即ち、ある圏の中で錐が定義できたとする。そのような錐は、複数あっても一つでも構わないが、「どの錐からも一意的な射が存在するようなが存在するとき、このを極限」と呼んだ。

双対は射の向きを反対にすることで得られる。極限の定理では、錐という専門用語を用いているが、余極限では、余錐(co-cone)という専門用語を用いる。錐は頂点(apex)から底面の方に向かって射が射影(projection)されていたのに対し、余錐は、底面の方から頂点に向かって射が射出(injection)される。余錐を用いると、余極限の定義は次のようになる。「どの余錐に対しても一意的な射が存在するような余錐が存在するとき、この余錐を余極限」と呼ぶことにしよう。

上記の言葉だけによる定義を、もう少し、明確にするために、インデックス圏を用いて定義することにしよう。下図のように、インデックス圏\(\mathcal{I}\)と圏\(\mathcal{C}\)が存在したとしよう。
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インデックス圏は、説明を簡単にするために、3対象とそれらの間の射および恒等射で成り立っているとしよう(これは一般性を失うものではない。もっと多くの対象が存在したとしても、3対象に分割して考えられることによる)。

圏\(\mathcal{I}\)から圏\(\mathcal{C}\)への関手に設けることにしよう。一つは、圏\(\mathcal{I}\)の全ての対象\(I,J,K\)を圏\(\mathcal{C}\)の同一の対象\(C\)に移す関手\(\Delta_C\)としよう。この関手は、圏\(\mathcal{I}\)の全ての射\(f,g,h\)を圏\(\mathcal{C}\)の対象\(C\)の恒等射に写すことに注意しておこう。

もう一つは、圏\(\mathcal{I}\)の3対象\(I,J,K\)を圏\(\mathcal{C}\)の別々の対象\(D_I,D_J,D_K\)に写したもので、これを関手\(D\)としよう。このとき、圏\(\mathcal{I}\)の射\(f,g,h\)は圏\(\mathcal{C}\)の射\(Df,Dg,Dh\)に移されたものとする。

\(\bf{余錐の定義}\)
関手\(F\)から関手\(\Delta_C\)への自然変換が存在するとき、\(D_I,D_J,D_K\)を面とし、\(C\)を頂点としたものを、余錐と呼ぶことにする。なお、錐の場合には、頂点を上に描いたが、余錐の場合には、頂点を下に描くことにする。従って、\(D_I,D_J,D_K\)によって作られる面は上に来るので、余錐の上面と呼ぶこととする。

\(F\)と\(\Delta_C\)による自然変換が存在するとは、上図では、
\begin{eqnarray}
\alpha_I = \alpha_J \circ Df \\
\alpha_J = \alpha_K \circ Dg \\
\alpha_I = \alpha_K \circ Dh
\end{eqnarray}
が成り立つことである。

\(\bf{余極限の定義}\)
圏\(\mathcal{C}\)内の任意の余錐に対して、ある余錐から一意的に定まる射が存在するとき、この余錐を余極限(colimit)と呼ぶ。

次の記事では、余錐の例を挙げるための準備をしよう。