bitterharvest’s diary

A Bitter Harvestは小説の題名。作者は豪州のPeter Yeldham。苦闘の末に勝ちえた偏見からの解放は命との引換になったという悲しい物語

本町田遺跡と町田市の土器

彼岸花は、毎年毎年、必ずお彼岸の時期に咲く。とてもパンクチュアルな花だ。暑い夏が終わりかけるころに、地中から茎が出てくる。何の花だろうと思っているうちに、30cmぐらいまで延びて、お彼岸を迎える少し前の日に、赤い見事な花を見せてくれる。お彼岸の日ともなると、満開になり、お墓参りの人々を暖かい秋の日とともに、歓迎してくれる。

毎日散歩をしている恩田川沿いの田圃のあぜ道にもきれいに咲いていた。
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散歩を始める地点は、町田市と横浜市の境で、上流の町田市側は桜並木になっているが、下流横浜市側は田や畑が連なっている。同じ川の沿岸なのに、市が違うだけで、全く異なる風景になっていて面白い。桜の時期は、もちろん町田市側を散策するのだが、そうでないときは、横浜市側を散策して、稲の生育状況や、野菜の変化を観察して楽しんでいる。また、横浜市側は、長津田と子供の国を接続しているこどもの国線が、二両連結で走っていて、のどかな田園風景を描き出してくれる。
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彼岸花はどうしてお彼岸の日を知るのだろうか。気温で察知しているとしたら、今年のように、異常ともいえるほどに猛暑となった夏の後では、間違ってしまうだろう。恐らく昼間の時間と夜の時間の比から知っているのではないかと思うのだがどうだろうか。

散歩の途中で、鶴見川上流の早淵川に沿っては、たくさんの縄文時代弥生時代の遺跡があるのに、同じ鶴見川の上流にもかかわらず、恩田川沿いにはなぜあまりないのだろうかと別の疑問がわいてくる。恩田川沿いは早くから開発が行われ、遺跡はあったにもかかわらず、保存されることなく、農地や住宅地として利用されてしまったのだろうかと想像したりする。同じような環境なのにとても不思議だ。

先日、恩田川の上流に数少ない遺跡が残されていることを知って訪ねてみた。本町田遺跡と呼ばれ、5500年前の縄文時代前期の4軒の住居跡と2000年前の弥生時代中期の住居跡7軒が見つかったところだ。

縄文時代弥生時代の住居が一軒ずつ復元されていた。
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前の写真が縄文で、後が弥生だ。見比べて違いを知ってくださいと書かれていたが、良く似ていてどこに違いがあるのかよくわからなかった。

また、近くには、博物館があって、町田市で発見された土器が展示されていた。周りの景色が入り込んでしまって、あまりいい写真ではないのだが、大きな深鉢土器が展示されていた。
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他にも深鉢土器があった。
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全体が残されていれば貴重な文化財になったと思われる中空土偶の頭部も置かれていた。
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土器の発掘場所は点在しているので、発見されていない場所にも縄文や弥生の人々は生活していたのではと、これらを見ながら考えた。