bitterharvest’s diary

A Bitter Harvestは小説の題名。作者は豪州のPeter Yeldham。苦闘の末に勝ちえた偏見からの解放は命との引換になったという悲しい物語

ハワイ旅行 プウコホラ・ヘイアウを訪れる(二日目)

ハワイ二日目は時差の克服だ。米国本土勢は3時間遅く、日本勢は5時間早く朝が来る。遅めに起床して、分担しての朝食づくりだ。Edはコーヒー、Gayeは手作りのサラダ、妻は食器並べ、そして私はスクランブルエッグの担当だ。バターがなかったので、オリーブオイルを代用にする。ハワイのたまごの黄身は、なんと淡い黄色だ。不思議に思ったので調べてみた。日経電子版に卵の色に関する記事があり、それによれば、日本では色を濃くするためにパプリカやマリーゴールドなどを餌に加えているそうだ。色が濃いと栄養価が高いように見えるけれども、それは誤解だそうだ。

この日のメインの訪問先は、ハワイの歴史を知るために下調べをしたヘイアウ(Heiau)だ。そこは神が宿る場所。国立公園に指定されていて、プウコホラ(Puukohola)にある。借りているコンドミニアムから10.5マイルと近いところにある。
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車窓から見たヘイアウ。石が積みあがっていて、小さな城郭の様にも見えた。
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プウコホラ・ヘイアウ国立歴史公園の入り口。
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入口に入ってプウコホラ・ヘイアウを望む。プウコホラ・ヘイアウは、ハワイ語で「鯨の丘の聖所」という意味だ。
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ヘイアウにさらに近づく。
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当然のことながら、ヘイアウの中に入ることはできない。内部の様子を教えてくれる看板がある。
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ヘイアウは石造りだ。これらの石は、25マイル離れたポロル渓谷(Pololu Valley)から、一列に並んだ人々の間を手渡しで運び積まれた、と考えられている。ヘイアウの大きさは、横70メートル(224フィート)、縦30メートル(100フィート)、高さ5~6メートル(16~20フィート)だ。西洋の影響を受ける前のハワイ島の中では、最後に作られた聖域の構造物であったらしい。

ハワイ諸島統一した王として有名なカメハメハ大王は、ハワイ島北端のカパアウ (Kapaau)で生まれたと伝えられている。カメハメハ大王はやがてハワイ諸島統一に乗り出す。このとき聖職者(kahuna)から、戦争の神であるクカイリモク(Kukailimoku)を祀るヘイアウをプウコホラに建造して奉じれば、統一は達成されるだろうと予言される。カメハメハ大王は1790から1791年にかけてヘイアウを建設し、1810年にはハワイ諸島を統一し、聖職者の予言が実現される。

このころのヨーロッパ人とのかかわりは次のようだった。最初の出会いはジェームズ・クック(James Cock)で、彼は三回目の航海でハワイ諸島を訪問している。1778年にはカウアイ島に、1779年にハワイ島に来ているが、このときに村人との諍いの中で落命した。1789年にはアメリカ人のメットカーフ(Metcalfe)親子が率いる2隻の船がハワイ島を訪問した。このときも島民との間で諍いが起こり、双方に大きな被害が発生した。このときの争いによって、デービス(Isaac Davis)とヤング(John Young)の二人のアメリカ人がハワイ島に残された。カメハメハ大王は、彼らを自身の軍事顧問とし、そのあと火器・火薬の調達に努めた。

プウコホラ・ヘイアウから下ったところに別のヘイアウがあり、これはマイレキニ(Mailekini)と呼ばれる。カメハメハ大王のときにこのヘイアウは要塞に変えられたと考えられている。ここにはカメハメハ大王が調達した大砲が装備されていた。
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またビジターセンターには大砲も展示されていた。
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この時代の伝統的な武器も展示されていた。これらは、木、石、骨、サメの歯などで作られていた。カメハメハ大王の時代に初めてヨーロッパの人々と出会った。道具だけで見るとその頃のハワイの人々はまだ石器時代だ。その人々が、産業革命(1760~1830)を迎えている頃の人々と出会ったのだから、大変な出来事だったろう。
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マイレキニ・ヘイアウをさらに下り海岸に沿ったところには、ペレカネ(Pelekane)と呼ばれる集落があったようで、その当時の集落の様子が描かれていた。
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この地を去り、さらに北上するとラパカヒ(Lapakahi)・ステート・ヒストリカル・パークに向かう
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ここには猟師の家が復元されている。
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ハウィ (Hawi)で遅いお昼をしたあと、プウコホラ・ヘイアウの建造に使われた石の採取場所であるプロル渓谷(Pulolu valley)に向かう。ヘイアウで建築のために使う石は神聖なものと見なされ、下に置くことを許されなかった。そのため、人間の鎖を作って手渡しで、ここからプウコホラ・ヘイアウまで運んだ。一つ一つの石は相当に重く、ビジターセンターにおいてあったサンプルを私の力では持ちあげられなかったが、当時の人々は体力に恵まれていたのだろうか。そうであったとしても、大変な仕事だったと思う。
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渓谷の眺めはきれいだ。
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写真ではよくわからないが、海岸線には黒い砂の海岸が広がっている。渓谷も素晴らしい。
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渓谷の中に分け入ることもできるが、我々は躊躇した。
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虹まで我々を歓迎してくれた。
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帰りは内陸部を通って戻った。
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ワイメア(Waimea)に向かう途中で、ハワイのサンセットを見ることができた。
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そしてヘイアウを訪れるというこの日の目的は無事達成された。

夕飯はクイーンズ・マーケットプレイスにあるいわゆるアメリカ風のお弁当屋さん(Ippy's Hawaiian Barbeque)で簡単に済ませ、明日の早出に備えた。