bitterharvest’s diary

A Bitter Harvestは小説の題名。作者は豪州のPeter Yeldham。苦闘の末に勝ちえた偏見からの解放は命との引換になったという悲しい物語

北部九州を旅行する(2日目)ー臼杵の街を訪れる

二日目からは勝手気ままな一人旅だ。レンタカーを利用しようかとも思ったが、移動時間よりも見学時間の方がずっと多そうなので、移動には公共の交通機関を用いることにした。その方が、地元の人たちと触れ合う機会も増えて楽しめるだろうとも考えた。

この日は、臼杵の石仏と街見学をした後、由布院温泉で宿泊だ。大分駅から臼杵石仏まではバスを利用。8時40分発9時44分着だ。
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バスは石仏の入り口で停車してくれた。降りた客は私一人。受付で入場料を払い、荷物を預けていると、ボランティアガイドの方が近寄ってきて、一緒に行きましょうと誘ってくれた。あまり知識を持たずに訪れてしまったので、お願いして一緒に歩きだした。ここの石仏は平安時代の後期に作られたと推定されていて、国宝に指定されている。

入り口近くのホキ石仏2群は改修工事が行われていて、見学することはできなかった。この分だけ、入場料は減額されているとのことだった。最初に訪れたのは、古園石仏だ。
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古園石仏は建屋の中に保存されていた。
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ここには全部で13躯あり、真ん中の大きな石仏が大日如来坐像。左右に6躯あるが、それぞれ如来坐像の隣の2躯が如来像、さらにその横の2躯が菩薩像、続いて、明王像、天部像だそうだ。

次に訪れたのが、山王山石仏だ。片側が崖になっている小道を少し登りながら進んでいく。ガイドさんが崖のくぼみから灰のような土を取り出して、これは何だかわかりますかと尋ねてきた。仏さんのゴミとふざけて答えると、阿蘇山が爆発したときの灰と教えてくれた。石仏の石は、阿蘇山から噴出した火山流が溶結してできた凝灰岩だそうだ。
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山王山石仏には3躯の如来座像があり、中央が中尊、両脇が脇尊だ。

そして、最後のホキ石仏一群へと向かった。
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ガイドさんによれば、ホキは崖險(がけ)という意味の地名だそうだ。ここは四龕(がん)に分かれている。左側の第一龕には、如来座像3躯とさらにその両横に菩薩立像2躯が配されている。
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その右の第二龕には、如来座像3躯が配されている。
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なお、第一龕の青年期と第二龕の壮年期の仏像の間にある愛染明王は、結婚の仲立ちをする弓と矢を持つキューピットだそうだ。ガイドさんから説明を受けたとき、仏さんは結婚しても良かったのかと疑問に感じたが、野暮なので質問をぶつけることはやめた。
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さらに右の第三龕には、中央の大日如来坐像を中心にして、その両脇に如来座像が、さらにその両脇に菩提立像を配している。
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最も右側の第四龕には、左足を踏み下げている地蔵菩薩像を中心に、左右に十王増が配置されている。
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石仏の見学が終わった時、ガイドさんがまだ時間があるでしょうといい、散策をしましょうと誘ってくれた。石仏の付近にはいくつかの見どころが用意されている。
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化粧の井戸、蓮池、満月寺などを回りながら、ガイドさんとの会話を楽しんだ。奥さんは看護婦さんだったそうで、奥さんとの適当な距離を保つためにガイドをしているということであった。

その後、バスで臼杵の市内へと向かった。
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まずは城巡りだ。臼杵市には臼杵城跡がある。この城はいまでは陸続きになっているが、築城されたころは島の上に造られ、西端の大手門口だけが陸に繋がる海城であった。地図を示そう。真ん中の緑色の部分が臼杵城跡だ。大手門口は左端にある。ここが唯一の出入り口だ。本丸は右奥にある。

臼杵城キリシタン大名である大友宗麟により、1562年(永禄5年)により丹生島に築造され、徳川時代になると稲葉氏が城主となり、5万石の藩となる。国立公文書館デジタルアーカイブには、1644年(正保元年)の臼杵城の絵図が残されている。その一部を掲載すると以下の様である。真ん中の垂れさがっているのが城域だ。
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それでは大手門の方から入っていこう(実際は駅の方から来たため逆方向に歩いた。即ち、大手門で外に出た)。
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しばらく石段を上ると大門櫓(やぐら)に、
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さらに進むと、明和年間(1764~1772)に再建されたとする畳櫓に、
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櫓をくぐると二の丸、本丸へと続く。現在は公園になっている。本丸の近くには、1854年に立てられた卯寅口門脇櫓があり、
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卯寅稲荷神社もある。
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城を出た後、稲葉家の下屋敷に向かった。廃藩置県により東京に住居を構えることになった稲葉家の里帰りの屋敷として、明治35年(1902年)に建築された。立派な門構えだ。
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玄関は、
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さらに進むと書院造りの書斎があり、
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庭園も清楚だ。
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敷地の中には、江戸時代後期の上級武家屋敷の平井家住宅がある。玄関は、
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台所は、
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建物の全景は、
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この後は、街を散策した。寺町に入り込んだようで、立派な寺々が現れた。浄土真宗としては九州最古の寺院の一つである善宝寺、1334年(建武元年)の創建だ
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1602年(慶長7年)創建の浄土真宗の善正寺
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駅に戻り、今日の宿泊地の由布院温泉に向かう。
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臼杵から大分まで特急で、さらに大分から由布院まではリゾート特急を利用した。リゾート特急はゆふいんの森と呼ばれ、全席指定だ。
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駅員さんが親切にも一番前の席を取ってくれた。
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由布院温泉では『楓の小舎』に泊まった。ここは全ての部屋が別棟になっていて、それぞれには内湯と露天風呂がついているとても豪華なホテルだ。ミシェランガイド熊本・大分2018年特別版の宿泊施設に掲載されたそうだ。私が泊まったのは一人部屋。居間は、セミダブルのベッドとこたつ付き。別荘に来たようだ。これとは別に、洗面所と岩盤浴のできる内風呂がある。露天風呂は少し離れているがやはり利用できる。夕飯も朝食も部屋で食べるようになっていた。料理は上品で優雅でそして美味しかった。
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のんびりと旅の疲れをとることができ、幸せな気分を満喫できた。機会があればもう一度訪ねたいと思っている。