豊川に用事があったので、ちょっと足を延ばして南信州の飯田を訪ねた。豊川から飯田までは、秘境駅で知られている飯田線を利用した。豊川駅の出発は午後6時半。豊川駅には売店もないということなので、豊川稲荷にお参りがてら、近くのお土産屋で、今夜の夕食にするための稲荷ずしを入手した。
今回の旅行に先立って、新幹線はスマートEXを利用して座席を確保したが、飯田線はどうせ混みはしないだろうとたかをくくったいた。しかし他方では、もしかすると三連休の初日なので、座席がいっぱいになっているかもしれないという不安を抱きながら、豊川駅の切符売り場で、「飯田まで、特急券も込みで」と注文した。優しそうな駅員の人が、「指定席にしますか」と尋ねてきたので、「はい」と答えると、しばらく機械を操った後で、「ガラガラのようなので、自由席にして、もし混んでいるようでしたら、指定席に移られたらどうでしょう」と示唆してくれたので、言われるとおりに切符を購入した。二人分で、特急券も含めて、8,200円だった。
ホームで待っていると、特急ワイドビュー伊那路は定刻に入ってきた。乗り込むと列車は教えられた通りガラガラで、指定席券を買わなくてよかったと得した気分になった。観光列車なのだろうが、観光客には都合が良いとは思えない夕刻の列車だ。乗車したときは明るかった空も、古戦場で有名な長篠を過ぎるころには、周囲は闇に包まれ、景色を楽しむことはできなかった。少数の乗客も、一人二人と降りていき、平岡駅で最後の乗客が降りてしまうと、3両編成の列車には、我々夫婦だけが残された。真っ暗闇の原始的な自然の中に、列車の室内だけが明るい人工的な空間に、置き去りにされたというような心細さが襲ってきた。平岡駅の周囲の駅は秘境駅で知られており、行楽シーズンにはこれらの駅の訪問を目的にした秘境号が走っている。このような人気の全く感じられないところで、激しく雨が降っている夜中に、取り残されるような事態になったらと想像したりしていたら滅入ってきたが、銀河鉄道に乗っていると思うことにして気を紛らわせた。
そうこうするうちに、飯田市の市内に入ったのだろう。車窓に少しづつ街のあかりが灯るようになり、ほっとした。列車は定刻9時に飯田駅に滑り込んだ。外は激しい雨だった。今夜の宿は駅からそれほど離れていないホテルニューシルクだが、ずぶぬれになりそうなので、タクシーに乗り込んだ。近い距離だということを知らずに乗り込んだ客だと、運転手さんは思ったのだろう。とても恐縮して、「雨が激しいですね。すぐそこなので、すぐにつきますから、道一本越えたところですから」としきりに弁明しているのが、おかしかった。走っている時間よりも信号機での待ち時間の方が長かっただろう。タクシーは、数分後、ホテルの玄関前に滑り込んだ。
フロントで素泊まりでの料金12,560円を支払い、部屋へと向かった。ビジネスホテルなのであまり期待はしていなかったのだが、ドアを開けてみると期待を超えて大きく、ベッドのそれぞれの横にはサイドテーブルがついており、灯かりが相手の迷惑にならないように配慮されていたので一安心した。同じ階の大浴場でこの日の疲れをとって、明日に備えた。
次の日、朝食をとろうと駅前に向かった。飯田駅は平成4年に現在の駅舎になったとのこと、赤い屋根が特徴だ。信州特産のリンゴの色だそうだ。
駅舎のステンドグラスも綺麗だ。人形劇の一場面のようで、手前はそれを鑑賞している観客だ。
改札口でお迎えしてくれたのが、ナミキちゃん。ここ飯田も御多分に漏れず町興しに力を入れているのだろう。
ナミキちゃんから、実際の改札口の方に目を転じると、ホームへの通り口なのにそれをふさぐように看板が置かれていた。一瞬嫌な予感が走り、掲示の「お知らせ」を読んでみた。なんとそこには、早朝に東栄駅(中部天竜駅と本長篠駅の間)で通信ケーブルが破損し、豊川方面は不通になっており、復旧には相当の時間を要すると記されていた。飯田までやってきた今回の目的の一つは、飯田線からの車窓を楽しむことであった。そのため昼過ぎの特急列車に乗車することを予定し、豊橋から東京までの新幹線ひかり号の切符は既に購入済みだった。戦略を誤ると今日は帰れないかもしれないという嫌な予測さえ浮かんできた。朝食をとれそうなお店もなかったので、コンビニでおにぎりを購入し、ホテルに戻って今日の予定を考えることにした。
駅前はこのような感じだった。朝が早かったので、まだシャッターはどこもしまっていた。飯田市は10万人には少し届かない(ただし外国人を含めると超える)が、長野県では長野市、松本市、上田市に次いで人口が多く、南信州の中心的な市だ。もう少し活気があってもよさそうだが、どこの街も駅前は寂しくなっているようだ。
朝食を済ませたあと、再び飯田駅を訪れた。状況は変わっていない。開通するような気もしたが、リスクをとることはやめて、改札の窓口にいき、「今日の新幹線利用は難しそうなので、払い戻しをしてもらえませんか」と依頼。駅員の人はとても恐縮して「列車が不通でご迷惑をおかけして申し訳ありません。払い戻しの方は承りました」と言って、手数料なしで払い戻しをしてくれた。そのあと駅前の案内所に行って、午後2時の新宿行高速バスを予約した。
飯田線からの車窓を楽しむ機会をなくしてしまったが、帰るための方策は立ったので、市内の観光に出かけた。飯田駅から中心部の市役所までの地域は「丘の上」と呼ばれている。下図は飯田市の市街地だ。中央左上に飯田駅がある。中央の少し下はこれから訪れる「川本喜八郎人形美術館」だ。その右下が市の官庁街で、図書館や美術館などがある。市街地は、天竜川の二つの支流、地図の右上の「野底川」と下の「松川」に挟まれた合流扇状地だ。
段丘と川に恵まれた飯田市は、太古から人々が居住し、縄文・弥生・古墳時代の遺跡が点在している(520基にも及ぶ古墳があったそうで、現在残っている18基の前方後円墳と4基の帆立貝形古墳のまとまりは「飯田古墳群」と呼ばれている)。また奈良・平安時代には、伊那郡を治めるための伊那郡衙が設けられた(郡衙は下図の右上の恒川(ごんが)官衙遺跡のところにあった)。今回は残念ながら車での移動ではなかったため、訪れることはできなかった。
飯田市は昭和22年(1947年)に大火があり、街の中心地は殆ど焼き尽くされた。その後の復興事業で、市中心街には二本の直交する緑地帯つきの防火帯道路が設けられ、南北に走る道路には地元の中学生によってリンゴの木が植えられた。「リンゴ並木」と名付けられ、復興のシンボルとして知られるようになった。
リンゴ並木の近くに、川本喜八郎人形美術館がある。
川本喜八郎は、1982~84年にNHKからテレビ放送された人形劇「三国志」で人形美術を担当した人形作家だ。美術館のエントランスには、三国志に登場する諸葛亮(孔明)の木目込み人形が置かれていた。
ギャラリーには、「三国志」、1993~95年にNHKから放送された「人形歴史スペクタクル 平家物語」、遺作となった人形アニメーション「死者の書」で使われた人形が並べられていた。人形の着物は、全て帯を使って製作されたとのこと。その中で、曹操の着物は赤色だが、赤に染めた帯はまれだったため、入手にはとても苦労したとのことだった。全ての人形がとてもリアルに造られていることにビックリさせられた。また美術館の方から、人形の動かし方を教えて頂いた。人形を貸してくれたので試みたが、なかなか思うようにはいかなかった。
死者の書は、民俗学者で国文学者の折口信夫が著したものだ。あらすじは次のようになっている。藤原南家の郎女(姫)は、大和と河内の境のそして女人禁制の二上山に入り込み、そこで非業の死を遂げた大津皇子(天智天皇の皇子)の亡霊にまみえる。郎女はおもかげと重なる彼の姿を曼荼羅(まんだら)に織り上げ、さまよう魂を鎮め、浄土へと一緒に誘うという物語だ。郎女は、当時権力を極めた藤原仲麻呂の姪である。藤原仲麻呂と大伴家持とで郎女が二上山に行ってしまったことを話している場面もある。また大津皇子が一目ぼれした耳面刀自(みみものとじ)が出てくるが、郎女は刀自の化身でもある。この作品は、古代人の心情をうまく描き出していると言われているので、機会があれば観たいと思っている。
ベトナムからの中高校生の団体見学もあってにぎわっていた人形美術館を後にして、日本画の菱田春草の作品を鑑賞するために、飯田市美術博物館へと向かった。途中昭和4年(1929年)に新築落成した追手町小学校を通り過ぎた。時代を感じさせる校舎だが、鉄筋コンクリート3階建てでがっちりしている。長野県内では、使用中の校舎としては、松本深志高校に次いで古いそうだ。
赤門もあった。飯田城桜丸御門だが、通称でこのように呼ばれている。
そして目的地の飯田市美術博物館だ。
しかし残念なことにリニューアル中だった。窓口の方が申し訳なさそうに見学できないことを伝えてくれた後で、柳田國男館を勧めてくれた。東京都世田谷区成城にあった書屋を飯田市に移築したものだ。柳田國男は、飯田市在住の柳田家に養子に入った。兵庫県の生まれで、父は儒者の松岡操、母はたけ。生家はとても狭く、「私の家は日本一小さい家だった」と言っていたそうだ。
少し歩き疲れたので、駅までは電気小型バス「プッチー」に乗って戻った。
近くの中華料理屋で昼食をすまし、お土産などを買って、やはりガラ空きの高速バスに乗って帰途についた。
時間があれば、日本のチロルと呼ばれる「下栗の里」にも行ってみたかったが、公共の交通機関を利用してここを訪れるのはとても難しい。土日は早朝と夕方にそれぞれ1本走っているだけだ。タクシーでは随分と高い料金になるだろう。ところで、8年後にはリニア新幹線が飯田に停車することになっている。歓迎の看板を見かけることが普通だと思うのだが、それらしきものを見かけなかった。不思議な現象だ。もしかしたら街はそれほど期待していないのではとも感じた。
今年の梅雨は例年になく長いが、市内見学をしているときは、雨も降られず暑さも感じられず、快適に歩き回ることができた。街も綺麗で、良い旅行であった。