bitterharvest’s diary

A Bitter Harvestは小説の題名。作者は豪州のPeter Yeldham。苦闘の末に勝ちえた偏見からの解放は命との引換になったという悲しい物語

Maker Faireで「からくり計算器」を見学

長かった梅雨がやっと明けた東京は、これまた異常ともいえる暑い日がずっと続いている。Maker Faire に行きませんかと誘われたのは、曇り空がずっと続いた鬱陶しい梅雨のときだった。暑いころの出かけになると思ったが、これほどの暑さの中とは、不覚にも、予想していなかった。

朝の9時まえにもかかわらず、暑い夏の日差しの中、木陰を選びながら家から最寄り駅に向かったものの、熱した歩道から反射してくる容赦のない熱気を嫌というほど浴びた。限界が頂点に達していたので、人の暑さを感じるような電車に乗るのは耐えられないと思ったが、幸いなことに、日曜日の電車はそれほど混んでいなかった。催し物の会場である国際展示場駅まで、2回乗り換えをしたものの、ずっと座っていくことができ、涼をとることができた。

途中で利用した東急電鉄大井町線では「キューシート」と呼ばれる珍しい車両に乗り込んだ。この電車は座席の方向が変えられるようになっている。前向きに座れるクロスシートと横長のロングシートだ。私鉄各線では快適な通勤に力を入れているが、これもその取り組みの一つだ。平日夜にはこの電車はクロスシートで全席指定となる。それ以外の時間帯はロングシートだが、通常の電車と比べると、格段に座り心地がよい。

都内の電車は、ドアとドアの間に設けられた座席は7人掛けが普通だが、若い人たちの体格がよくなったこともあり、最近は窮屈に感じることが多い。しかしキューシートは、2人掛けの座席が3個横に並ぶため、座席一つ分広い。3組のアベックが丁度良いプライバシーを保ちながら座っているような感覚になれる。

このようなこともあって、電車に乗っている時間は楽しむことができたが、会場の最寄り駅の国際展示場駅を出ると、空は雲一つなく、太陽がぎらぎらと輝いていた。目的地の東京ビッグサイトまでは徒歩7分なのだが、灼熱の中の行軍だ。唯一の救いは、屋根のついた歩道だ。干上がってしまうことは避けられそうだ。屋根の両端からシャワーが流れていればとても快適になれると希望したのだが、果たされない夢だった。

もう歩きたくないと思い始めたころ、東京ビッグサイトにたどり着いた。
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入り口には、Maker Faireの大きな看板もあった。主催者はIT関連出版社のオライリー・ジャパンだ。日本最大の工作物の展示会、それも自作だ。このフェアーへの出店は、個人あるいは企業からの申込制で、主催者の選考によって決定されたそうだ。物品を販売しない個人出展者の場合は、出展料金はかからない。展示スペースはそれほど広くなく、多くの出展は2m四方。大きい場合でも4m四方だ。さしずめ学園祭の延長というところだ。
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開始時間を少し過ぎたころに会場に到着したが、会場の入り口付近は、夏休みということもあって、子供連れの入場者でにぎわっていた。我々は出品者用の札を頂いていたので、それを示し、同行者(今回誘ってくれた方)の甥御さんの展示場所へと進んだ。

そこはなかなか盛況で、二重、三重に人が集まっていた。人の間から展示の様子を見ると、少し大きめの机の上で『からくり計算器』のデモが行われていた。歯車やクランクを組み合わせて、2進数の基本演算を行ってくれる。素材は木だ。どのような利用法があるのだろうと考えていると、テレパシーで通じたのだろうか、見学者の一人の方が「おきもの」に良いですねと言った。これを用いて計算する機会は少ないだろうから、異質のおきものと考えたのだろう。

でも、おきものでは寂しすぎるように思う。手に取って動かし、からくりを解いてみるのが面白いと思う。さらに進んで、作れるということが分かったので、自作のハードルが低くなったはずだ。真似することなく、自身で作ってみるのもよい。抽象的なものを実体として見せることは、面白いことだ。どちらが馴染まれるかを競ってはどうだろうか。

私は「動くからくり」が好きだ。ヨーロッパの昔ながらの広場では、からくりを有する時計台を見かけることが多く、その仕掛けが判明する時報を楽しみにしたものだ。日本では、江戸時代後期から明治時代初期にかけて、田中久重さんが「弓曳童子」や「文字書き人形」を作成した。また彼の「万能時計」は平成16年に東芝セイコーの技術者によって復元されたが、そのとき群を抜いた発想力であったことが改めて確認された。

からくりは人に見せる楽しみもあるが、作る方が格段に面白いと思う。マイコンを用いれば、今日ではこの手のものは、ロボットとして、簡単に作ってしまうことができる。ただ歯車とクランクの組合せだけで実現しようとすると、その複雑さは尋常ではない。しかしその難しさゆえに、苦労を重ねて、実現したときの喜びは並大抵でなく、ものづくりの醍醐味を味わうことができる。

これらの優れたからくりは、たくさんの試行錯誤を重ねた末の結果だろう。逆に、どれだけ試行回数を重ねられるかが、良い製品を生むための決め手となる。同行者によれば、製造は随分と簡単になっているようだ。設計データを電子化して、ファブリケーション(製造)してくれるメーカーに送りさえすれば、3Dプリンタや自動カッターを用いてメーカーの方で、完成度の高い部品を作成してくれるそうだ。そのあとはそれらを組み立てるだけで済む。ファブリケーションが簡単になったことで、設計により多くの時間を割くことができるようになり、良い製品ができるようになったともいえる。

展示を見て、出店者の多くの人々が自作を楽しんでいることに、改めて気づかされた。もちろん自身の工作物が世の中に出ていくことを望んでいるだろうが、それ以上に、作ることを楽しんでいるだろうと感じさせてくれた。このような人々の環境を良くしてあげるためには、もっと身近なところでファブリケーションを助けてくれる施設が必要だろう。希望するものを短い時間で簡単にファブリケーションしてくれる工房が、近いところにあれば、今まで以上に試行を重ねることができ、その結果としてもっと優れた工作物を生み出せるようになる。そしてそれらの中から優れた製品が生まれる機会も高まるだろうと思いながら会場を後にした。