bitterharvest’s diary

A Bitter Harvestは小説の題名。作者は豪州のPeter Yeldham。苦闘の末に勝ちえた偏見からの解放は命との引換になったという悲しい物語

相模国一之宮の寒川神社を訪ねる

10月1日から東京都出発・到着の旅行も、GoToキャンペーンの仲間入りとなるようだ。本当に大丈夫なのかと疑われる中、昨日の朝のニュースで、推進派の人たちは社会的距離(social distance)を保てば大丈夫と主張していた。このニュースのあと、イギリスに関連した報道の中で、ロンドンの街の風景が流された。街路沿いに赤い色の旗がなびき、そこには”Keep a social distance.”と書かれていた。それを見た私は、二人のときはその間は一つ、三人以上の場合にはめいめいとの間は複数になるので、”social distance”は可算名詞だねとぼそっとつぶやいた。それを聞いていた妻は、納得できないらしく、社会的距離は抽象名詞じゃないのと返してきた。社会的距離を散らばっている状態と認識しているようだ。

ことばは人によって意味が異なることがある。それぞれの人のバックグラウンド、もう少し大げさに言うと文化が異なると、解釈が異なってしまう。エヴェレットは、その著書『言語の起源』で、言葉は正確ではなく、不正確な部分はその文化(物理学の専門用語を使ってダークマターとも彼は説明している)が補うと述べている。個を重要視する英語文化では”social distance”は可算名詞として、集団を大事にする日本語の文化では「社会的距離」は抽象名詞として扱っていると見なすと、文化の違いがこのような些細なところにも表れていることが分かり、清少納言ではないが「あなおかし」ということになる。

テレビでひっきりなしに流されるGoToキャンペーンに刺激を受けたわけではないのだが、久しぶりにマイクロツーリズムをと思い、相模国の一之宮を訪ねることにした。相模国は、横浜・川崎を除いた神奈川県の地域で、境川武蔵国との内陸部の境界になっている。国府の所在は不明、国分寺国分尼寺は海老名市に、一之宮は寒川神社と呼ばれ、寒川町にある。これらは、相模川に沿って造られたようで、南北に9kmほど離れている。

相模や武蔵などの令制国には、一之宮、二之宮、三之宮などと呼ばれる神社が存在する。これらは、律令時代、国司が任官したときに、神拝する順番を示したものと言われている。相模国の一之宮は、鶴岡八幡宮も共に加えられていた時期もあるようだが、先に述べたように寒川神社である。ちなみに武蔵国には一之宮が二社あり、一つは多摩市の小野神社、もう一つはさいたま市氷川神社である。

寒川神社の最寄り駅は、茅ヶ崎と橋本を結ぶ相模線の宮山駅である。電車の旅を楽しみたいところだが、相模線に至るまでの田園都市線小田急線は混雑していることが予想されたので、それは避けたいと考えて、自家用車で参拝した。それでも雰囲気が知りたくて、散歩がてら寄ってみた。宮山駅は、単線のコンパクトな造りの駅であった。


30年前までは気動車が使われていて、首都近郊のとてもローカルな線というイメージが強かったが、今は電車。

それでは寒川神社に参拝することにしよう。境内の入り口には三の鳥居があり、ちょうど例祭のための提灯を立てかけるところで、鳥居をくぐれなかった。

鳥居の右隣りは神池

この神社では、毎年8月15日に世界の平和を祈念して相模薪能が実演されるそうだが、演目の一つの石橋(しゃっきょう)像があった。何とも怖い顔をしており、睨みつけられているようで恐ろしかった。

境内の参道。コロナウイルスの影響だろうか、参拝者は殆ど見受けられない。

参拝者が身を清めるために手水を使うための手水舎

神社を守る狛犬

狛犬は一対なので、その片割れと社務所

立派な神門、神社に設けられた門である。

振り返って神門を再度見る。

寒川神社の御本殿。ここは、方位の吉凶を判断してくれる八方除の祓いをしてくれるところでもある。右側の人が集まっているところに、渾天儀(こんてんぎ)のレプリカがあるが、残念なことに写真を撮り損ねた。

御本殿に近づいてみる。

お客さんを接待するための客殿。絵馬やお守りなどが売られていた。

近くには、末宮の宮山神社がある。

宮山部落の人々が、第二次世界大戦終了20年後に、平和を願って建立した平和の塔もある。

寒川神社には、初孫が誕生したときに訪れたことがあるが、そのときは多くの人でにぎわっていて、神社の趣を楽しむことができなかった。今回の訪問は、夏の日差しが一時的に戻った風の強い日で、参拝者も限られていて、伝統的な神社をじっくりと参拝することができ、良いマイクロツーリズムであった。