bitterharvest’s diary

A Bitter Harvestは小説の題名。作者は豪州のPeter Yeldham。苦闘の末に勝ちえた偏見からの解放は命との引換になったという悲しい物語

一遍上人ゆかりの無量光寺を訪ねる

今年初めての秋晴れの日(28日)に、相模野に一遍上人ゆかりの無量光寺を訪ねた。一遍上人は、諸国を巡り歩き、行く先々で「南無阿弥陀仏」と書かれた念仏札を配布して、人々に念仏を唱えることを勧めた時宗の開祖として知られている。人生のほとんどを遊行して過ごしたが、いっとき無量光寺のある当麻山(たいまさん)に草庵を結んで修行に励んだとされている。

無量光寺の基礎を本当につくったのは、遊行上人2世の真教上人とされている。一遍上人とともに遊行していた真教上人は、一遍上人亡きあと教義を引き継いで遊行を続けていたが、寄る年波と病弱には勝てず、遊行は智徳上人にゆだねて、この地に一宇(建物)を建立し(1303年)、そのあと16年間にわたってこの寺で宗徒の教化に努めた。

踊り念仏としても知られている時宗だが、その最も古い寺は無量光寺である。最寄り駅はJR相模線の原当麻(はらたいま)駅、圏央道の相模原愛川ICからすぐのところにある。
f:id:bitterharvest:20200930210424p:plain

秋晴れの真っ青な空の下で、たわわに実った稲穂が相模野の秋を知らせてくれていた。鎌倉時代にもそれほど変わらない風景の中で、人々は生活に勤しみ、お寺を訪れては踊り念仏に興じたことであろう。
f:id:bitterharvest:20200930211254j:plain
当麻山の麓には境内に入るための外門(総門)があり、その向こうに参道が続いていた。
f:id:bitterharvest:20200930210444j:plain
参道をしばらく歩くと山門に行きつく。腕木門の親柱の背面に袖をつけ、屋根をかけた高麗門と呼ばれる建築形式の簡素な門で、二脚門とも呼ばれている。
f:id:bitterharvest:20200930210510j:plain

門をくぐるともう境内である。静かなたたずまいの中に、十三重石塔があった。
f:id:bitterharvest:20200930210538j:plain
一遍上人が開山したことを示す石碑もある。
f:id:bitterharvest:20200930210608j:plain
一遍上人の句碑、
f:id:bitterharvest:20200930210635j:plain
さらにもう一つ。
f:id:bitterharvest:20200930210703j:plain
そして一遍上人像。
f:id:bitterharvest:20200930210746j:plain
芭蕉の句碑「世にさかる花にも 念佛まうしけり」もあった。
f:id:bitterharvest:20200930210811j:plain
手水鉢。境内は亀の形をした丘にあることから亀形峯(きぎょうほう)と呼ばれていらので、これに因んで「亀形水」と彫られたのであろう。
f:id:bitterharvest:20200930210837j:plain
仮本堂。明治26年の大火で二脚門を除いて焼失し、本格的に本堂を建て替えるには至っていないようである。
f:id:bitterharvest:20200930210901j:plain
庫裡(寺院の台所)。
f:id:bitterharvest:20200930210930j:plain
鐘楼。
f:id:bitterharvest:20200930210955j:plain
一代前に使われたのだろうか、梵鐘が置かれてあった。
f:id:bitterharvest:20200930211024j:plain
こじんまりとした池。季節の花の曼殊沙華が数本だけ咲いていた。
f:id:bitterharvest:20200930211153j:plain

久しぶりに快晴になったので、マイクロツーリズムをと思い立ち出かけた。相模原市の郊外の古刹を、他に参詣者もなく一人で独占することができ、一遍上人や真教上人の活動に思いをはせながら楽しい一日を過ごした。そしてコロナストレスの解消にもなり、有意義であった。