bitterharvest’s diary

A Bitter Harvestは小説の題名。作者は豪州のPeter Yeldham。苦闘の末に勝ちえた偏見からの解放は命との引換になったという悲しい物語

曼殊沙華を満喫するために西方寺へ

9月最後の日、曼殊沙華(彼岸花)を鑑賞するために、横浜市の港北ニュータウン近くの新羽にある西方寺を訪ねた。この寺は800年前に鎌倉に創建され、500年前に現在の地に移築されたそうである(鎌倉極楽寺の境内古絵図の右下隅に西方寺と記されている)。最寄り駅は横浜市営地下鉄ブルーラインの新羽駅。そこから歩いて5分程のところにある。
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家の近くの曼殊沙華はすでに盛りを過ぎていたので、萎れた花を見ることになるのではないかと心配しての訪問であったが、例年よりは咲くのが遅かったということでちょうど見ごろであり、多くの見学者にも驚かされた。

参道につながる寺の入り口には、港北七福神の第一番札所であることを示す石碑があった。
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入り口を入った参道の両脇には、彩が異なる曼殊沙華が植えられていた。まず入り口の近くは、導入部ということなのだろう、よく見かける赤色の花で、とても華やかに感じられた。
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少し参道を歩いて振返ってみると、赤い帯が両側を飾っていた。
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さらに進むと階段を上る。ここからは寺院としての落ち着きを感じてもらおうとしているのだろうか、鮮やかさを落とした色の曼殊沙華が植えこまれていた。右側は黄色、
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左側は白色である。
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振り返って、色の移り変わりを見た。人がいなくなるのをと思ったのだが、そのようなチャンスは訪れなかった。
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階段を登りきると山門で、補陀洛山西方寺と記した提灯がぶらさっがていた。
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山門をくぐると300年の歴史を誇る本堂。小休止中の人たちにはコロナへの恐れを反映して、マスク姿が目立つ。
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さらに小高いところに上がると鐘楼があった。
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裏山には、秋が始まったばかりの暑いとさえ感じられる陽を浴びて、萩の花が美しく咲き誇っていた。
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澄み渡った秋空の下、お彼岸に合わせて必ず咲いてくれる曼殊沙華、万葉集の秋の季語にもなっている萩の花、鎌倉時代からの長い時を経てきた西方寺で、またまたマイクロツーリズムを楽しむことができた。