bitterharvest’s diary

A Bitter Harvestは小説の題名。作者は豪州のPeter Yeldham。苦闘の末に勝ちえた偏見からの解放は命との引換になったという悲しい物語

コロナ禍のなか、大山阿夫利神社を参詣する

秋の天気は移ろいやすく、暖かい日差しを楽しめる日はそうそうあるものではない。時間をかけて計画した旅行が、思いもかけない悪天候のために、まったく報われなかったという経験は誰にもあるだろう。逆にお天気様任せにして気ままに行動したら、期待以上にうまくいったということもある。プランを立ててのエンジニアリング思考よりも、そのときの状況で好きな行動をとる狩猟採集民的なブリコラージュ(Bricolage)思考の方が、秋の行楽には向いているともいえる。

健康のためとはいえ、毎日毎日家の周りを歩くことには、修行僧を毎回演じているようでいささか飽きてきた。追い打ちをかけるように、東京でも「Go To キャンペーン」が始まり、周りの人々がそわそわした気分になってきた。中には本当に旅行する人も出てきて、お土産ですとお茶菓子をくれる。平静を装っているものの羨ましく思い、私にもチャンスがないかと探したりする。散歩をしているときにも、遠くに見える丹沢の山に行きたいという衝動に駆られることもある。そのようなある朝、目が覚めると部屋がやけに明るいので、確かめるために窓のカーテンを開けたら、雲一つない真っ青な空が目に飛び込んできた。瞬間的に、大山にこれから行こうと決めていた。

大山は落語「大山詣り」で噺されるほどに、江戸時代の庶民にとってあこがれの地であった。この時代の人々は、町・村あるいは職種を単位にして、大山信仰のための「講」と呼ばれる団体を結成し、行事の時期を定めて計画的に貯金をし、大山詣りを楽しんでいた。

江戸から大山への街道はいくつかあり、その一つは矢倉沢往還大山街道とも呼ばれ、現在の国道246号線に沿った街道である。落語の「大山詣り」は、行きは分からないが帰りは神奈川宿で宿泊しているので、大山を出たあと、田村の渡しで相模川を渡り、東海道に入って、藤沢で恐らく宿泊し、そして神奈川宿どんちゃん騒ぎをし、江戸に戻ってきた。地図で示すと次のようになる。片道が約80キロ、数泊の旅である。日常生活から解放された楽しい旅になるはずだったのだが、びっくりするような大事件が起きてしまう。これは落語を聴いて楽しんで欲しい。
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民謡「お江戸日本橋」は東海道五十三次の宿場名が読み込まれていて、冒頭は

お江戸日本橋 七ツ立ち 初のぼり
行列そろえて あれわいさのさ
コチャ高輪 夜明けて 提灯消す

となっている。この当時の旅は、日の出前に立ち、日の入前に宿に着くのが基本。歌にも「七ツ立ち」となっている。江戸時代の時刻は、季節に関わらず、日の出と日の入の時が六ツだった。七ツはその一ツ前の時刻なので、夜明け前である(ちなみに12時は九ツ)。このため提灯に火をともして日本橋を出立し、高輪に着いたころにようやく明るくなる。このころは1日40Km程度歩くので、江戸を出て最初の宿泊地は、保土ヶ谷あるいはその前後の神奈川・戸塚が多かったことだろう。

このころの旅と比べると、現在の旅はとても楽になった。特に昨年には新東名が一部開通し、伊勢原大山ICから車だと10分でたどり着く。ICの近くには扇谷上杉家糟屋館跡があり、新東名の工事に伴って発掘調査がおこなわれた。この館は、1486年に太田道灌が主君の上杉定正から招かれて訪れたところ、陰謀によって、風呂で襲われ殺害された場所として知られている。

今回目指したのは、大山阿夫利神社。電車・バスを利用した場合は、小田急伊勢原駅から大山ケーブル行のバスに乗り、終点で降りる。ここからケーブル乗り場までは徒歩である。
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大山名物の独楽や豆腐の店を両側に眺めながら362段の階段をあがると、ケーブルの駅に着く。多くの人がレジャーを求めていたのであろう。駅は賑わいを見せていた。
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ケーブルは開口部が大きく眺めがよい。途中駅の大山寺で下りの車両と行き交った。
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終点でケーブルを降りて神社へ向かう。参道には、講で訪れた信仰者たちの名前が石に刻まれていた。
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神社前の狛犬、信仰者によって奉献された。
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大山阿夫利神社の中心である拝殿。
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境内に飾られていた大山獅子、同じように奉献された。
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幕末明治期の国学者神道家・医者で、ここ大山阿夫利神社の祠宮(ほこらみや)を務めた権田直助の像。
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戦時中の学童疎開を伝える川崎市の像。昭和19年から終戦まで川崎市からの学童3000人が大山の宿坊に疎開したことを記憶するために建てられた。
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大山への山頂への入り口で、頂には上社がある。行き90分、帰り60分の本格的な登山道である。我々は下社だけで満足、上社は挑戦せず。
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脇から見た拝殿。
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祈祷を受ける人の待合室がある客殿。
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境内より、伊勢原市から相模湾を眺めた。写真を撮っているときは気がつかなかったが、紅葉が始まっていることが分かる。
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日本遺産に選ばれたことを記念して作られた像。
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10月の最後の日に、秋晴れのなか、大山を楽しんだ。あとで知ったことだが、大山寺の紅葉は素晴らしいということなので、その頃にもう一度来ることにして、帰路に着いた。