bitterharvest’s diary

A Bitter Harvestは小説の題名。作者は豪州のPeter Yeldham。苦闘の末に勝ちえた偏見からの解放は命との引換になったという悲しい物語

三河国分寺・尼寺と豊川稲荷を訪ねる

秋分の日(23日)は、三河国分寺・尼寺を訪ねた。741年に聖武天皇が全国の国々に国分寺国分尼寺を建立するようにとの詔を発した。三河の国は、この当時の中心的な地域であったのだろう、豊川の地に二つの寺が建立された。

三河国分寺・尼寺は、豊川市国府にある。国府は、地元の人でないと分からないのだが、「こう」と発音する。
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名鉄線の国府で降り、徒歩で20分程度のところに三河国分寺・尼寺がある。この日は幸い秋晴れで、散策しながら、訪れるのに最適であった。

名鉄豊川線豊川稲荷駅から国府駅行の2両電車で向かった。
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最初に訪れたのは三河国分寺である。ここは、野草が生い茂る広場だ。お彼岸のこの日、曼殊沙華がきれいに咲いていた。
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このお寺には、銅鐘以外に残されているものはない。
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しばらく、国分寺跡の周りを散策した後で、国分尼寺へ向かう。ここは、南大門が復元されている。
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金堂や講堂の跡も復元されている。
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国分尼寺を発掘する前には、これらの遺跡の上にお寺が立っていたそうだ。このお寺を敷地の横に立て直して、発掘作業をし、復元したと自称ボランティアのおじさんが説明してくれた。下の写真は立て直しされたお寺である。しかし、現在では、ご住職もなくなり、その奥さんもなくなってしまって、お坊さんのいないお寺になっているとのことであった。
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近くに資料館があったが、ボランティアのおじさんが、「見てもつまんない」と言うので、国府の駅に向かい、豊川稲荷駅に戻った。

豊川稲荷駅前には、お稲荷さんの狐の像がある。
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参道に沿っては、狐さんの好物の稲荷寿司のお店が多い。
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豊川稲荷は、神社かと思っていた。しかし、境内に入るとお経が聞こえる。「あれ」と思って、調べると曹洞宗のお寺だ。
曹洞宗法王派の東海義易によって1441年に創建され、室町時代の末期、今川義元によって伽藍が整備されたそうだ。

お寺にもかかわらず鳥居がある。ただし、見慣れた朱色ではない。
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本殿は立派だ。
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奥の院に向かう参道にはのぼりが立ち並んでいる。
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奥の院の先には霊狐塚がある。狐さんが沢山いる。
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本殿の近くには、小さな庭園もあった。
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産まれたばかりの赤ちゃんの健康をお祈りして、病院へと向かった。