bitterharvest’s diary

A Bitter Harvestは小説の題名。作者は豪州のPeter Yeldham。苦闘の末に勝ちえた偏見からの解放は命との引換になったという悲しい物語

武蔵国橘樹郡の名刹:影向寺を訪問する

川崎市宮前区にある影向寺(ようごうじ)を訪れた。周辺の地図を示す。右上に多摩川が流れていて、影向寺の近くまでは沖積地だが、寺の周辺は丘陵地である。最寄り駅は、2㎞と離れているが、南武線武蔵新城だ。少し距離があるので、田園都市線梶が谷駅で下車し、バスを利用した。鷺沼行のバスに乗り、上野川で下車し、まっすぐ西に向かって歩き、第三京浜道路を越えたところに影向寺がある。道が細く、分かれ道が多くて分かりにくいので、携帯電話の地図に助けられながら、やっとたどり着いた。
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影向寺の近くには、武蔵国橘樹郡(たちばなぐん)の郡衙があったので、古代には郡寺であった可能性が高いとされている。

佐藤信編『古代史講義』によれば、郡衙の役割は、公的機能、財政機能、宗教・祭祀機能、文章行政機能、給食機能であると述べている。このうち、宗教・祭祀機能の一翼を担うのが、郡寺である。

橘樹郡は、534年の武蔵の乱の後、屯倉(大和王権の直轄地)になった場所とも重なるので、大和王権との結びつきは強かったのではと想像させられる。

影向寺は7世紀後半に造営された。遺跡からはその当時の瓦がたくさん出土している。また、圥射志国(むさしこく)荏原評(えばらこおり)の刻印のある平瓦が出土している。701年の大宝律令の成立により「郡」が使われるようになり、それまでは「評」が使われていたので、このことも7世紀後半の造営であることの裏付けを与える。

それでは、影向寺を訪れて見よう。お寺の正面は、大きな駐車場になっているが、空っぽであった。わずかに、一番奥にお寺の関係者らしい方が車を止めて、門の方へと向かっていた。
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門を入った正面には、本堂がある。薬師堂とも呼ばれ、元禄7年(1694年)に建立された。方5間、寄棟造、内陣・外陣で構成され、屋根は、最近の修理で、茅葺から茅葺形の銅板葺に改修されている。
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軒の木組みから、丁寧に建築されていることが分かる。
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本堂の横には、聖徳太子堂がある。8角形の建物である。
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さらに奥に入ると、阿弥陀堂がある。
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山門の前には、お寺の由来が記されている。
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近くには郡衙跡がある。
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帰りはバスを利用せず、武蔵新城駅まで歩いた。幼いころ、この近くに住んでいたが、幼稚園の横を流れていたどぶ川がきれいなせせらぎになっているのには驚かされた。
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