bitterharvest’s diary

A Bitter Harvestは小説の題名。作者は豪州のPeter Yeldham。苦闘の末に勝ちえた偏見からの解放は命との引換になったという悲しい物語

相模国の古墳遺跡(秋葉山古墳群)を訪れる

数年前にとある講演会で、南関東は古墳の過疎地だ、という話を聴いたことがある。

確かに全長が100メートルを超えるような大規模な古墳はほとんど存在しないが、小規模な古墳はあちらこちらに点在している。多摩川沿いの東京側には荏原台古墳群と呼ばれるものがあり、ここには50基の古墳がある。その中でも最大の古墳である亀甲山古墳は、南関東では珍しく、全長107メートルを誇っている。

この対岸の川崎側にも、川に沿って、綱島古墳を始めとして、小さな古墳が点在している。さらにもう少し内部に入ると、稲荷山古墳群がある。もっと西に進み、国境(くにざかい)となっている境川を越えて、武蔵国から相模国へと入ると、この辺りは古代には高座(たかくら)郡と呼ばれていた地域だ。

この郡には国史跡となっている秋葉山古墳群がある。最寄り駅は小田急線の座間駅あるいは相鉄線かしわ台駅だが、目的地までは少し歩く必要がある。近くにはやはり国史跡に指定されている相模国分寺跡、国分尼寺跡があり、このあたりには有力な首長が居住していたことをうかがわせるが、集落跡はまだ発見されていない。このようなことをネットで調べていくうちに、秋葉山古墳群は3~4世紀にかけての相模湾周辺での最大規模の古墳群である、という情報を入手したので3月15日(金)に訪れてみた。

秋葉山古墳群は海老名市に位置しており、そこは神奈川県の地図上の中心ともいえる場所だ。その北には縄文時代の遺跡として有名な勝坂遺跡があり、南には先に挙げたように相模国分寺・国分尼寺跡がある。さらに南には、弥生時代の人々の地域移動の一端を伝えてくれる神崎遺跡がある。この遺跡はとてもユニークで、東海地方の人々が、おそらくは豊川周辺の人々と推定されているが、この地に移動してきたが、短期間のうちに放棄されたと見なされている場所だ。このように秋葉山古墳群のあたりは、相模川に沿って広がる台地を利用して、先史時代から人々が営みを続けてきた場所だ。
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秋葉山古墳群には車で行ったが、遺跡見学を楽しんだ一方で、ナビに欠点があることも認識させられた。

秋葉山古墳群は246号線の北側に位置している。東京の方から向かうと、246号線を右折することになるが、出口の上今泉では残念ながら右折することができない。このためいったん左折したあと、近くでUターンしてここに戻り、246号線を横断して目的地に向かうのがよいのだが、ナビはそうしてくれなかった。Uターンを潔しとしないので、別のところで横断しようとし、上今泉の交差点を左折したあとすぐに右折するようにと指示してきた。
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あとで判明するのだが、この指示に従うと大変だ。山中でもないのに、こんな細いところをと思うような道を登り始め、途中さらに狭くなって車一台がやっとになり、しばらく行くと246号線の上にかかっている細い橋に出くわした。この橋を渡るようにナビは指示しているが、欄干の先端を見ると、こすった跡があった。被害に遭う車が多いためだろうか、先端には被害を小さくするためのテープが巻いてあった。一回で曲がるには狭すぎ、バックしてハンドルを切り直し、やっと車を橋の方向に向けることができた。欄干の角にぶつけることなく、橋を渡った瞬間にはほっとした。

このあと目的地でも小さなトラブルがあった。目的地は秋葉山古墳群だ。しかし地図からも分かる通り、ナビは目的地の右側を到着地として指示している。秋葉山古墳群に行くためには、山の方へと向かっている左側の細い道を登って行かなければならない。246号線を曲がった後にはあのような狭い道を指示したのにも関わらす、秋葉山古墳群への入り口へと向かう道をナビは避けたようだ。少し周りをぐるぐる回ったあと、無事に秋葉山古墳群の駐車場にたどり着いた。
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入り口には古墳群の簡単な説明が掲示されていた。
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説明によると、秋葉山古墳群には5基の古墳があり、3~4世紀のものだ。3,4号墳が最も古く3世紀の弥生時代後期から古墳時代過渡期にかけてのもので、それぞれ前方後円墳前方後方墳だ。弥生時代には、一般的に前方後方墳から前方後円墳へと移行してゆくので、4号墳の方が古いのではとも考えられている。

4号墳は民家の近くにある。
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3号墳はこの古墳群の中では立派だ。
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これらの古墳に続いて、3世紀末から4世紀末に造営されたのが2号墳だ。3号墳と同じように前方後円墳だ。ここからは他にあまり見ることができない円筒形の土器が出土している。
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次が1号墳で4世紀に造営されたと考えられている。入り口から直ぐのところにある。
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そして同じ時期に造営されたのが5号墳で、形も簡素な方墳だ。説明には4世紀前半と書かれているが、そうではなく4世紀中期のようだ。
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ここの古墳群はこぢんまりとまとまっているので、丁寧に観察してもそれほどかからない。古墳を探索しているときに、犬を連れて散策している人に何人かあったが、見学に来たのは私一人のようだった。古墳からは土器が出土しているが、これらは海老名市温故館に展示されているとのことだ。温故館には別の目的で訪問したことがあるが、次回訪問するときは、秋葉山古墳群から出土した土器に注目して見学したいと考えている。