bitterharvest’s diary

A Bitter Harvestは小説の題名。作者は豪州のPeter Yeldham。苦闘の末に勝ちえた偏見からの解放は命との引換になったという悲しい物語

谷口雄太著『〈武家の王〉足利氏』を読む

先週の日曜日、鈴木由美さんの「中先代の乱」の講演があり、聞きに出かけた。この乱は、鎌倉幕府最後の将軍北条高時の遺児の時行が、その再興を目指して起こした乱である。鈴木さんは、このときの時行は10歳以下である、と述べられた。このような幼い子に政権奪回の意思と能力があるのだろうかと疑問に思い、その答が得られることを乱の詳細な説明を聞きながら期待したのだが、かなえられなかった。数日たってもこのことが尾を引いていたが、鎌倉と室町と時代は異なるが、折よくヒントを与えてくれたのがこの本である。谷口さんは、戦国時代に足利政権がよたよたしながらもなかなか倒れないのを、政治学社会学からの知見を織り交ぜて説明してくれた。

2年前の大河ドラマ麒麟がくる」で、弱々しい姿で市場を彷徨しながら、町の貧しい人に施しをしていたお坊さんを覚えているだろうか。彼こそが室町幕府最後の15代将軍・足利義昭である。滝藤賢一さんが演じたが、義昭のおかれた錯綜した境遇が見事に表現されていた。足利義昭は、本来の姿である優しくて親切なお坊さんと、武士の棟梁として強く見せようと虚勢を張っている将軍、という大きく異なる二面性を有している。滝藤さんのぎょろっとした大きな目が、望まない境遇に置かれていることの歯がゆさと、それに反して権力を行使したいという獰猛さが、入り混じった精神の分裂状態を表出し、強く印象付けられる演技であった。

中先代の北条時行や足利最後の将軍の義昭のように、その任にあらずと思える人がなぜ担ぎ出されるのであろうか。戦国時代は不思議な時代だと思える。これに解答を与えてくれるのが、この谷口雄太さんの『〈武家の王〉足利氏』である。谷口さんは、国家成立の要件を、力・利益・価値の三要素としている。その根拠として、政治学社会学の分野から次の例を持ち出している。最初に、国際政治学者として名を馳せた高坂正尭さんの『国際政治』のなかから「各国家は力の体系であり、利益の体系であり、そして価値の体系である」を引用している。さらに続けて、長谷川公一ほかの『社会学』から、「なぜわれわれはバラバラにならず、一定のまとまりを維持してきたかという問いに対して、権力による秩序・利害の一致による秩序・共有価値による秩序が答えである」を引き合いに出している。

ある例を引き合いに出しながら他でも同じことが成り立つという論法で説明がなされていることは気になるが、この本では、戦国時代を説明するときに国際関係を例としている。絶対的な力を有する国が存在しなくなった現在の国際関係では、利益と価値によって秩序が保たれていることを根拠として、足利氏を必要としたのは、利益と価値であるとする。そして、山田康弘さんが『戦国時代の足利将軍』の中で、共通利益の観点から足利将軍が維持されたという見方をとっているのに対して、谷口さんは共通価値の点からそのことを論じている。

山田さんは、足利将軍にたいする共通利益は、「戦国時代に至っても多くの大名たちは、将軍と良好な関係を維持していくことは、さまざまな利益を得るうえで利用価値があると考えており、また実際に将軍との良好な関係は、大名たちがさまざまな利益を得るうえで有効であった」としている。これに対して谷口さんは、当時の共通価値を「足利が武家の最高貴種であり、大名たちにとっては唯一無二の存在(頂点=武家の王)であるという当時の思想(常識)のこと」としている。共通利益が経済的な側面を、共通価値が社会的・文化的な側面を強調していると言える(力はもちろん、武力・暴力である)。共通利益はウィンウィンの関係が崩れてしまえば崩壊するが、共通価値は社会の構造が変化しない限り続くので持続性が強いといえる。谷口さんはこの点を強調したいのだと思う。

足利氏が絶対的な貴種であるというイデオロギーは、武力(暴力)というハードと儀式というソフトを通して、上からの努力と下からの支持によって確立したと論じた後で、谷口さんのオリジナルだろうと思われるが、足利的秩序の中で足利一門という考え方を示す。

従来から室町幕府には、細かく定められた身分的秩序があることが知られていた。
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これまでの研究では将軍職を継承できる御一家を特別な存在としてみてきたが、谷口さんは、御一家には二つの用法があり、従来からの吉良・渋川・石橋の三家を指すものと、この当時認められていた足利氏の一門諸氏を指すものとがあるとした。谷口さんの造語だが、前者を御三家、後者を(足利)一門と名付けている。そして、足利一門が、絶対的な貴種と見なされるように、ハードとソフトの両面から、イデオロギーとして組み込んだとしている。

足利一門に属するものは、足利室町時代故実書などを参照して、源義国を祖とする(+吉見氏)一族と見なした。すなわち、御一家の吉良・渋川・石橋と、さらに畠山・桃井・今川・斯波・石塔・一色・上野・小俣・加子・新田・山名・里見・仁木・細川・大舘・大島・大井田・竹林・牛沢・鳥山・堀口・一井・得河・世良田・江田・荒川・田中・戸賀崎・岩松・吉見・明石である。
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足利一門が貴種として絶対化されている状況は、儀式や敬称などから見ることができるとしている。例えば、儀式においては上席を占め、宛名においては「殿」がつけられるなど、そのつど共通価値であることを認識させるとともに認識させられることで、強化されたとしている。

それでは、足利一門絶対化という共通価値を世の中に作り出した室町幕府はなぜ崩壊したのだろう。谷口さんは、これも足利氏自身からだと説明する。戦国時代になると、武力に優れたもの、政略や戦略に勝るものなどが求められるようになり、一門という枠を超えて、このような人材が重用されるようになった。このため、足利一門以外の人々の間で、能力さえあれば出世できるという考えが広まるようになり、足利幕府の崩壊につながったと説明している。詳しくは本を参照して欲しい。

この本は、紙幅の関係だろうか、論理の進め方に納得がいかない箇所がいくつか認められたが、政治学社会学という異分野の研究を取り上げて、戦国期の足利政権の基盤がどこにあるのかを示しており、新しい視点を得ることができて有益であった。今後もこのように異分野との交流によって新しい見方が出てくることを期待している。