bitterharvest’s diary

A Bitter Harvestは小説の題名。作者は豪州のPeter Yeldham。苦闘の末に勝ちえた偏見からの解放は命との引換になったという悲しい物語

武相寅歳薬師如来霊場(4):福昌寺・薬師堂・萬福寺を訪ねる

午後は用事があるので、朝の散歩代わりに三寺を巡った(4月17日)。長津田駅を出発してこどもの国線に沿って恩田駅まで行き、折り返して田奈駅へと向かった。

福昌寺へ向かうあかね台は、八重桜が満開。

途中には藤の花も咲いていた。

新編武蔵風土記稿によれば、福昌寺を開山したのは國抽太山で、江戸時代初期の慶安4年(1651)に寂した。本堂からガラス越しに、金色の薬師如来と日光・月光菩薩を参詣した。

寺内には、水子地蔵と、

稲荷神社があった。

次は、恩田駅近くの薬師堂に向かう。
キンカンがたわわに実っている木を数か所で発見した。キンカンの時期は過ぎたと思っていたのだが、これは遅い種類なのだろうか?

恩田川駅近くにある小さな造りの薬師堂。お堂の中まで入り、薬師如来と日光・月光菩薩をお参りした。金色で、これまでに見た像の中では一番大きかった。

新編武蔵風土記稿によれば、戦国時代初めの永正3年(1506)に寂した印興が開山したそうである。かつては医王院という寺であったが、いつの頃からか住職がいなくなり、現在は近くの徳恩寺が管理している。
寺内には石仏があった。

薬師堂から道を挟んでの公園で一休み。ハナミズキがきれいに咲いていた。

子どもの夢を運ぶ電車が田奈駅をはなれた。

別の場所からのこどもの国線

次は田奈駅近くの萬福寺へと向かった。途中の田名第一公園でも八重桜がきれいに咲いていた。


新編武蔵風土記稿には、室町時代初期の応安8年(1375)に寂した快秀により開山されたとなっている。本堂。中に入ることはできず、奥の方にやっと認識できるほどの大きさの金色の薬師如来が祀られていた。

寺内には鐘楼、

弘法大師像、

堅牢地神

六地蔵の石仏、

そして、慈母観世音菩薩像。

この日は、霊場巡り半分、春の花を楽しむことが半分となってしまった。前の日の中原街道沿いの寺院と比較すると規模が小さい。恐らく主要な街道から離れていたことが影響しているのだろう。しかし近年こどもの国線周囲での開発が進み、恩田駅周りには、きれいな住宅街も広がっているので、これからは田園的な街が開けていくことを期待して散策を終えた。