bitterharvest’s diary

A Bitter Harvestは小説の題名。作者は豪州のPeter Yeldham。苦闘の末に勝ちえた偏見からの解放は命との引換になったという悲しい物語

四国・中国旅行―丸亀

大学時代の友人4人と四国地方を旅行、私だけさらに広島にいる友人たちを訪問、5泊6日の久しぶりの長旅をした。コロナが収まり始めてからは、カリフォルニアの友人たちは月単位で楽しんでいるので、彼らから見ると旅とは言えないほどの短さだが、それでも出発前からウキウキとした気分になれた。

四国出身の友人が案内、スタートは4月5日昼に坂出駅となっていた。私は指定された時刻に新横浜から新幹線に乗り込み、真っ白に化粧した富士山を車窓から眺めたり、明治時代の建築家・妻木頼黄を描いた木内昇著『剛心』を読んだりして、車中を過ごした。

老人の旅行はハプニングが起きるのが必然。今回も例外ではなく、スタートから、飛行機に乗り遅れた人、岡山駅で乗り継ぎに手間取った人がいて、坂出の出発は30分遅れ。先ずは腹ごしらえ。案内してくれた所は、宇多津町の「めりけんや かけはし店」。セルフサービスで、メニューの選択から始まる。かけうどん、ぶっかけうどん、ざるうどんなどいくつかが用意されている。さらに、小・中・大でうどんの量を指定。サイドメニューにはてんぷらが用意されているので、好みに応じて選ぶ。聞いたことのない名称が目に飛び込んできたので、「さぬきのめざめ天(季節のアスパラガス)」に挑戦した。選択がうまく当たり、讃岐の味を楽しむことができた。幸先よい出足に満足。

香川県は、空海(弘法大師)生誕の地。お店のホームページによれば、うどんの製法を唐から持ち帰ったという伝説があるそうだ。また室町時代の中期に現在のかたちになり、元禄時代の屏風絵に讃岐のうどん屋の出現が認められるとも書かれていた。数百年も続いた讃岐が誇る食文化が、これからも長く継承されることを願って店を後にした。

次に「石の城」と形容される丸亀城跡に向かった。この城は、石垣を築く技術が最高水準に達した江戸時代初期の建造、標高60mにある平山城、別名亀山城とも呼ばれている。生駒親正・一正父子が慶長2年(1597)より5年がかりで築城した。

堀の外側から見たところ。

堀に沿っての石垣。

堀端の大手二の門。寛文10年(1670)頃に京極氏のときに完成した。


切り込みハギと呼ばれ、見せるための石垣。

大手一ノ門。

三の丸へと向かう見返り坂から見た石垣は「扇の勾配」と呼ばれ、特に綺麗である。

三の丸から見た讃岐富士。円錐形が綺麗な山である。

本丸の丸亀城天守


このあとは桃の畑が広がる丸亀の郊外の「桃源郷」をドライブし、友人宅で心温まるもてなしを受けた後、この日の宿の「ことひら温泉敷島館」へ向かった。
ちなみにこの日のルート、人口は坂出市が5万、丸亀市が11万、県庁所在地の高松市が42万、翌日訪れる善通寺市が6万である。