bitterharvest’s diary

A Bitter Harvestは小説の題名。作者は豪州のPeter Yeldham。苦闘の末に勝ちえた偏見からの解放は命との引換になったという悲しい物語

長野県千曲市の森将軍塚古墳を訪れる

多くの人がコロナは収束したと思っているのだろう。そして堰を切ったように集まる機会が増えた。今回もそのひとつ。中学2年まで在籍した学校の仲間から、クラス会を開催するので参加して欲しいと連絡があった。これには高校時代と退職する頃に参加しただけで、同級生たちの顔はほとんど思い出せない。どうしようかなと悩んでいたのだが、前後に楽しい古墳巡りを入れて、参加することにした。

前に入れたのは長野県千曲市にある森将軍塚古墳。少し変わった古墳で、尾根の上にあり、地形の関係で変形の前方後円墳になっている。ここへは、北陸新幹線長野駅に行き、JR信越本線しなの鉄道に乗り換えて屋代高校駅前で下車。さらに歩いて23分。

長野駅で昼食をとろうと予定していたのだが、乗り換え時間があまりなく、降車駅にお店ぐらいあるだろうと東京の感覚で向かったのが大間違い。そこには自販機の他は全くなにもない。駅からは、山の中腹に古墳が見えているが、随分と遠くにあるように感じられる。

当然のこと、駅にはバスやタクシーなどの交通手段は見当たらない。仕方がないので、目的地までの間でコンビニに出会うことを期待してトボトボと歩いた。住宅だけが並んでいる道に沿ってだいぶ歩いたと思った頃、大きな公園が現れ、子供たちが賑やかな声を上げ走り回っている。そこは目指した森将軍塚古墳近くの公園だった。

公園内にある古墳館に入ると、やはり自販機以外はなにもない。昼食はあきらめて、近くにいた学芸員に古墳まではどのくらいかかるのかと聞くと、バスがあるという。歩くと坂道で20分以上かかると言われた。先々のことを考えて、体力を残しておきたかったので、バスで上がることにした。乗り場を教えてもらいそちらに向かった。乗客は私だけ、貸切状態での利用となった。古墳に着いたところで40分後に迎えにきて欲しいと依頼して、バスを降りた。

この辺りは古事記では科野(しなの)のクニと呼ばれていた。古墳時代前期(4世紀初めから中葉)のものとして、長野県内の各所で前方後方墳が発見された。その後ヤマト王権とのつながりができたのだろう、前方後円墳が各所で構築された。特に長野市南部から千曲市にかけて、森将軍塚古墳、川柳将軍塚古墳、倉科将軍塚古墳など県内最大級の前方後円墳が集中して築造された。6世紀になると、前方後円墳の中心地は善光寺平から飯田盆地へと移動した。また7世紀になると科野のクニは、令制国信濃国となった。

それでは森将軍塚古墳を見てみよう。この古墳は4世紀末築造、全長が約100メートルである。古墳の前方部から後円部を望む。地形の関係で、前方部と後円部を一直線上に構築できなかったようで、後円部が右側に傾いているのが特徴である。前方部も後円部も円筒埴輪で囲まれ、前方部は祭祀を行うところで、後円部は墓である。

前方部から後円部を望む。祭祀は上にある墓を拝みながら行ったのだろう。

後円部を見る。景色の良いところで、墓の中に眠っている王は、眺望を楽しめたことだろう。

古墳から善光寺平を見る。古代の景色を想像してみる。一部は水田で、他は雑木林だったのだろうか。

古墳館を上から見る。

古墳を側面から見たところ。前方後円墳は、階段のようになっているものが多いが、この古墳にはそのようなものは見かけられない。狭隘な場所のため、余地がなかったのだろう。葺石が綺麗に並んでいる。今日に続く大型土木工事の始まりとも言える。また古墳の周りには幾つもの組合式箱型石棺が発見されている。これは古墳との関係が深かった人々の墓と考えられている。

有明山将軍塚古墳。全長が33mの小規模な前方後円墳で、6世紀代の築造と考えられている。林となっているため、全容を写真に収めることはできない。

森将軍塚古墳の後、尾根に沿って13基ほどの小円墳が築造された。これらは森将軍塚古墳を祖先と仰ぐ人々の墓として築造されたのであろう。

2号墳。上の写真で一番右側にあるもので、小円墳の中では最も大きく最初に築造された。

前方後円墳の周りにあるる組合式箱形石棺の復原展示で、13号石棺である。

この古墳はテレビでも紹介されたことがあり、一度訪問してみたいと思っていたが、今回、願望が叶ってよかった。テレビでは、俳優がかなりの急坂を息を切らせながら登っていく様子が映し出されていたが、今回は古墳までのバスが利用できとても快適であった。変形した前方後円墳は、葺石できれいに整備されていて、古代の出来立ての頃を余りあるほどに想像させてくれた。また古墳からの善光寺平の眺望は素晴らしく、千曲川によって作られた盆地の様子がよく分かった。この後、古墳館に戻って見学した。