今回読んだ本を紹介しようと思って書き始めたが、書いても書いても、説明しきれないので、思い切ってものすごく短くまとめることにした。

今回の本で、エマニュエル・トッドさんは、宗教ゼロ状態という用語を新たに導入した。形式的に宗教行事に参加している状態を宗教ゾンビ状態としていたが、これとは異なる今日のアメリカの状態を正確に表すためにこの用語を使った。宗教ゼロ時代では、宗教は生活の中で全く無視されるので、プロテスタントとしての勤勉さを失い、欲望だけがむき出しのニヒリズム(虚無)を生み出していると指摘している。そして、現在のアメリカの政治形態を少数の超富豪者によって支配される「リベラルな寡頭制」とした。アメリカは1965年に宗教ゼロ時代に入ったが、西洋の諸国はこれよりは一世代遅れて宗教ゼロ時代になったとし、アメリカと同じように問題を抱えるようになったとしている。
ロシアについては、宗教ゾンビ状態でかつ共同体家族であることから、まだまだ組織を守ろうとする力が働き、「権威主義的民主主義」であると位置づけた。途中の説明をすっ飛ばしていきなり彼の結論を示すと、今回のウクライナ侵攻は、ロシアが成功し、西洋が敗北するだろうと予想している。
最後にこの本の中で最も強い印象を受けた部分は、直系家族である日本やドイツのリーダーがなぜ不幸であるかを説明している個所である。そこ(p192)を抜きだすと以下のようである。日本がアメリカを目標にできた頃は良かったが、もしアメリカから突き放された時、危惧されることは何かについて重要な示唆を与えてくれている。
個人主義的文化の国、たとえばアメリカ、イギリス、フランス(中央部)では、権力の座につくことは「問題」ではなく「最高の栄誉」である。個人としてのリーダーは、大成した個人として、絶対的な個人として、リーダーになることに幸せを感じる。
ところがドイツや日本の直系家族型文化ではそうはならない。社会全体を調和的に進行させる全般的な諸条件が整っていれば、すべての階層の個人は、自分より上にある何らかの権威によって安心感を得る。ただしリーダーだけは違う。彼らには自分に安心感を与えてくれるような上位の権威は存在しないからだ。国がそこまで強固でなければ、リーダーたちが感じる居心地の悪さはそこまで深刻な問題にならない。国際社会ではたいていの場合、外部に権力者が存在し、自分自身の意思決定能力は問題にならないからだ。しかし、その国が周辺国を支配するようになった場合、このタイプの国の指導者は要注意である。直系家族の本質的な価値は(父親の息子に対する)権威と(兄弟間の)不平等であることを思い出してみよう。兄弟間の不平等は、人間における不平等、民族間の不平等へと変質する。「権威」は、より弱い民族を支配する「権利」に変わる。これが国際関係の次元に昇華されると、非常に強力な国家のリーダーにとって次のことを意味するようになる。「我が国は他国より優れている。だから他国は我が国に従わなければならない。自分の上位には権威がなく、自分で決めなければならないから居心地はよくないが、とにかく我が国は他のすべての国より優れている。それだけでも喜ばしいことだ」。だから要注意だと私は言ったわけである。
ロシアや中国のような共同体家族の場合は、権威主義は平等主義によって補正される。兄弟間の平等が人間の平等と民族間の平等につながる。ここにまず「共産主義的普遍主義」、続いてプーチンの「一般化された主権主義」の人類学的源泉を見出すことができる。「一般化された主権主義」とは、多極的世界を前提とし、そこではすべての「極」は他の「極」と対等な関係にあるが、それぞれの「極」は、その勢力圏において権威主義的に存在するというビジョンである。したがって、ウクライナがロシアと対等だとは、おそらくロシアの指導者は考えつきもしなかったことだろう。彼らの頭の中では、モスクワとキエフ(キーウ)の関係を支配しているのは「権威の原則」だからである。