高校生の頃、物理は悩ましい科目だった。授業で出てくる式がなぜ正しいのかが理解できず悩んだ。まるで、神の啓示でもあるかのように提示されるので、何も考えずに受け入れなければならないように感じ、それに反抗する感情さえ生まれた。
半世紀以上も経って、高校生の時に抱いた疑問をやっと解消してくれたのがこの本である。この本には、物理は物理現象をシミュレーションすると書かれている。そう、物理的な現象を正確に再現できるようにしてくれるものである。そうであるとすれば、高校で教わった方法(いわゆる物理学)だけでなく、他にもいくつかの方法があっていいことになる。物理学は、神の啓示ではなく、物理現象を説明するための一つの物語に過ぎないこととなる。あの時、授業での内容に従わずに、自分で新たな物語を作ってもよいのだと、一言教えてもらっていれば、随分と救われたことだろう。
この本の内容は、私の高校時代の再現でもある。AIは人間の力を超える恐ろしいものであると思われているが、そうではないというのがこの本の主張である。人間の脳は現実世界をシミュレーションしているとみなしている。そして、人工知能も脳と同じように現実世界のシミュレーションをしているに過ぎないと看破している。それぞれが、別の方法でシミュレーションしていると、著者は考えている。
著者は、物理学者で、非線形非平衡多自由度系の研究者である。非線形非平衡多自由度系は、「線形」でなく、「平衡」でなく、「少ない自由度」ではない物理現象である。ここで、「線形」は、二つのものが同時に存在する時、二つのものが別々に存在した場合の重ね合わせで理解できるというものである(例えば、1.5ボルトの乾電池を直列につなげば3ボルトとなる)。「平衡」は、時間的変化がないことである(今見た状態が永遠に続く)。少ない自由度は、数少ないものによって決定されるということである。
1990年代に、非線形非平衡多自由度系の研究が盛んに行われたそうである。チャットGPTに代表される大規模言語モデル(LLM)は、その中身において、非線形非平衡多自由度系と何ら変わらないそうである。この時の研究から類推して、大規模言語モデルというのが現実世界のシミュレーションの範囲にとどまるだろうというのが、筆者の論点である。
人工知能の研究史、大規模言語モデルで用いられている深層学習、効率的な脳などの興味を惹く話題が、平易な言葉で説明されていたので、半日ほどで読むことができた。高校時代に抱いた疑問にも答えてくれた素晴らしい本であった。