今年の3月は気候の変化が激しく、寒かったり暑かったり晴れだったり雨だったりと、旅行は運まかせである。何が幸いしたのか今回はとてもついていて日和に恵まれた。目的は前後で分かれていて、前半は広島の友達を訪ねること、後半は大学時代の友人たちと小豆島・倉敷を巡ることであった。
広島までは、家から4時間程度。それほど遠さを感じる距離ではない。新幹線の中では、中野剛志著『政策の哲学』を読んだ。なかなかの良書なので、時間があるときに紹介したいと思っている。
広島の友達は、今年度で停年退官である。退職時の忙しい時にもかかわらず、わざわざ時間を作ってくれたのだろう。中心街のホテルで美味しい中華料理を食しながら話に興じた。その後、縮景園(1620年に広島藩初代藩主浅井長晟により造園)で大名庭園を散策し、広島名物のお好み焼きを楽しみ、退職後の彼の人生に幸が多いことを願って別れた。
縮景園。

次の日は、後半の目的地に向かうまでの時間を利用して、広島平和記念公園を訪れた。「広島の復興を象徴する斬新で意欲的な橋」と紹介されている平和大橋。私の影がうつりこんで、少し気持ちの悪い写真になってしまった。

平和大橋から元安川を望む。

丹下健三さん設計の国立広島原爆死没者追悼平和祈念館。訪問者が多く、入場券を買うための長い列ができていた。漸く売り場に着くと、「東京から来てくれたのですか」と感謝された。館内は撮影禁止。80年前の原爆投下にもかかわらず、この惨状が今起きたことのように身近に感じた。

平和祈念館から、平和記念公園、慰霊碑、原爆ドームをみる。

慰霊碑。

原爆の子の像。 戦後に原爆症を発症して死去した佐々木禎子を始めとする原爆の犠牲となった子どもの慰霊碑である。

幼い子が鐘をついているのが印象的であった。

原爆ドーム(広島県産業奨励館)。

平和大通りを広島駅の方に歩き、電車道とぶつかったところに白神社があった。16世紀ごろまではこの辺は海で、船舶がしばしば座礁したため、岩上に白い紙を立て舟の安全をはかった。その後、小祠を建て白神と称した。後の毛利・福島時代には広島の総氏神となった。

神社の近くにあった旧国泰寺愛宕池。この寺は、毛利氏の時代に僧・恵瓊(えけい)が安国寺として創建、福島氏の時代に国泰寺として開基された。浅野氏が藩主として入国し菩提寺となった。現在は、別の場所に移転している。

この後、姫路経由で小豆島に向かう。姫路駅新幹線改札付近で見つけた「灘のけんか祭り」の神輿。

姫路港から小豆島・福田港にフェリーでいった。小豆島のホテルから見たサンセット。

旅の前半は無事に終了した。友達は、上海にある大学に特賓教授として招かれたそうで、今後5年間は日本と中国を行ったり来たりの生活になるとのことだった。国際関係が厳しくなっている時代にあって、広島の悲劇を再び繰り返さないためにも、民間での交流はとても大事なので尽力して欲しいと願っている次第である。