この特別展を訪れたのは、もう10日前のことになる。NHK大河ドラマ『べらぼう』の影響もあり、この展示は特に混むだろうと予想して、開幕2日目に訪れた。予想はほぼ的中し、どの作品の前にも人だかりができていた。しかし、少し待っていると隙間ができる程度なので、丁寧に鑑賞する妨げとはならず、落ち着いた雰囲気の中で楽しめた。
江戸時代後期を代表する5人の浮世絵師の作品がずらっと並んでいるのはまさに圧巻であった。彼らの作品を見比べる機会は本を通してしか叶わないので行ったり来たりと往復しながら、それぞれの作品を見比べた。日ごろ広重の版画も素晴らしいと感じていたのだが、並べて見比べると、北斎の版画が群を抜いているという印象を強く受けた。
五人の浮世絵師に対して、一つの版画が写真の撮影を許されていたので(北斎だけ2版画)、それらとその作者を紹介することにしよう。
喜多川歌麿(1753年頃 - 1806年)は、版元の蔦屋重三郎と協力し、華やかで洗練された美人画を数多く制作した。代表作には、女性の性格や気質を描き分けたシリーズの「婦女人相十品」、江戸の美人を描いた作品で個性豊かな表現が特徴の「当時三美人」、吉原の遊女たちの生活を時間ごとに描いた連作「青楼十二時」などがある。彼の作品は人気を博したが、幕府の風紀取締りの対象となり、1804年には「太閤五妻洛東遊観之図」を描いたことで処罰を受け、晩年は厳しい状況に置かれた。
喜多川歌麿・教訓親の目鑑「俗二伝 ばくれん」。
この版画に対して次のような内容の説明があった(展示での原文のまま)。「ばくれん」とはすれっからしのことであるが、よく言えば伝法肌の粋な女性である。画中の文では、人目をはばからず、思わせぶりで、不届きなもの、なおかつ奉公の経験のない女性は浅はかだ、と嘆いているのである。しかしながら、これはお上向けの建前。こざっぱりとした美人が胸元を露にしながら、グラスで酒を勢いよくあおっている。酒の肴であろうか、片手で茹でた渡蟹を豪快に掴んでいる。着物は、剣菱、男山などの銘酒の商標柄になっており、酒好きであることを示唆している。

東洲斎写楽は役者絵で知られている。彼の活動期間はわずか約10か月(1794年~1795年)と非常に短く、その後、忽然と姿を消したため、「謎の絵師」として語られている。彼の作品は、役者の顔の特徴を誇張し、表情や仕草を大胆に描く大首絵が特徴的である。代表作には、「三代目大谷鬼次の奴江戸兵衛」、「市川蝦蔵の竹村定之進」、「嵐龍蔵の金貸石部金吉」などがある。写楽の正体については長年議論されているが不明である。また、彼の作品は当時の江戸では賛否が分かれたが、後世では高く評価され、特にドイツの心理学者ユリウス・クルトが彼の作品を絶賛したことで、世界的に知られるようになった。また、東洲斎写楽の作品は、蔦重によって世に送り出された。彼の浮世絵のすべてが蔦屋から出版されているため、彼が写楽をプロデュースしたことは間違いないとされている。
葛飾北斎(1760年 - 1849年)は、日本美術史において最も影響力のある画家の一人で、風景画、特に「冨嶽三十六景」で知られ、世界的な評価を受けている。北斎は江戸に生まれ、若い頃から絵に没頭していた。生涯にわたり30回以上も画号を変え、常に新しい表現を追求した。代表作には、「冨嶽三十六景」、弟子向けの絵手本である「北斎漫画」、滝を題材にしたシリーズの「諸国瀧廻り」がある。彼の作品は、日本国内だけでなく、19世紀のヨーロッパ美術にも大きなインパクトを与え、特に印象派の画家ゴッホやモネは、彼の構図や色彩に影響を受けたとされている。彼の画業は「ジャポニスム」と呼ばれる西洋の日本美術ブームを引き起こした。また、蔦重との関係は次のようである。北斎がまだ「勝川春朗」と名乗っていた若い頃からその才能を見抜き、蔦重は彼を出版事業に起用した。
葛飾北斎・冨獄三十六景「江戸日本橋」。

葛飾北斎・冨獄三十六景「神奈川沖浪裏」。
千円札の裏側に描かれている北斎の有名な作品である。この版画の説明は次のようであった(展示での原文のまま)。荒々しい波が狂ったようにうねりあがり、波にもまれた3艘の押し送り舟は、いまにも吞み込まれそう。激しく揺さぶられた船上の人々は為す術もなく、ただ必死にしがみつくばかり。遠くには富士の山容が見える。本図は世界的に良く知られた北斎の傑作で、《凱風海風》(未出品)《山下白雨》(No.52)とともに、《冨獄三十六景》中の三大名作といわれる。波が飛沫を上げながら高くせりあがった一瞬をとらえるという大胆な構図は、見るものを圧倒する。

歌川広重(1797年 - 1858年)は、風景画の名手として知られている。江戸の定火消同心の家に生まれ、若い頃から絵に興味を持ち、歌川豊広に師事した。彼の代表作には、「東海道五十三次」、「名所江戸百景」などがあり、江戸の名所を描いたシリーズで、構図の大胆さと色彩の美しさが際立っている。彼の作品は、特に「ヒロシゲブルー」と呼ばれる鮮やかな藍色が特徴で、彼もフランスの印象派画家に影響を与えた。
歌川広重・東海道五拾三次之内「日本橋 朝之景」。
この版画にも説明があった(展示での原文のまま)。このシリーズは旅人や土着の人々の哀歓や、四季折々の自然の風物、人情を詩情豊かに謳いあげ、当時、人気者だった弥次喜多もどきの滑稽な人物を画中に組み入れ、爆発的な人気を博した。広重はこのシリーズで一躍人気絵師に躍り出た。早朝の日本橋を大名行列の先頭が渡り始める。荷物の天秤棒を担いだ魚屋が、それぞれの店へと急ぐ。魚河岸でにぎわう日本橋が描かれ、シリーズの最初を飾るにふさわしい秀作に仕上げている。

歌川国芳(1798年 - 1861年)は、武者絵や戯画(風刺画)で知られ、ダイナミックな構図と斬新な発想に満ちており、従来の浮世絵の枠を超えた独創性を持っている。国芳は、特に「通俗水滸伝豪傑百八人」で人気を博し、武者絵の第一人者としての地位を確立した。巨大な骸骨が登場する幻想的な武者絵の「相馬の古内裏」、武蔵が巨大な鯨と戦う迫力ある構図に特徴のある「宮本武蔵の鯨退治」、寄せ絵の技法を用いたユーモラスな作品の「みかけハこハゐが とんだいゝ人だ」などが有名である。彼は幕府の厳しい統制に対して風刺画を描き、庶民の支持を集めた。例えば「源頼光公館土蜘作妖怪図」には、幕府の政策を批判する隠喩が込められている。これにより、彼は何度も奉行所に呼び出されることとなった。国芳の作品もまた、日本国内だけでなく、現代のアートや漫画にも影響を与えている。特に、彼のダイナミックな構図や奇抜な発想は、後の浮世絵師や現代のイラストレーターに受け継がれている。
歌川国芳・「小子部拪軽浦里捕雷」。

前述したように、江戸時代後期を代表する五人の浮世絵師の版画を見比べることができ、とても良い内容であった。歌麿の美人画の革新性と繊細な表現、写楽の豪快なデフォルメと役者の個性を際立させる表現、北斎の大胆な構図と卓越した描写、広重の詩的な風景描写と独特の構図、国芳のダイナミックな構図、奇抜な発想、風刺的要素を堪能することができた。もう一度鑑賞したいと思っているが、近ごろ訪れた人に聞くと、とても混んでいるということなので、二の足を踏んでいる。
