旅の締めくくりに訪れたのは、橿原考古学研究所附属博物館であった。ちょうど秋季特別展「きらびやかに送る ― 国宝・藤ノ木古墳出土品修理事業成果展 I」が開催されていた。
藤ノ木古墳は奈良県斑鳩町に所在する6世紀後半築造の円墳で、直径は約48メートルに及ぶ。盗掘を免れた極めて稀な発見例として知られ、内部からは二体分の被葬者とともに、金銅製冠・馬具・装身具・刀剣・ガラス玉など多数の副葬品が出土した。特に金銅製冠や華麗な飾金具は、被葬者がヤマト王権に関わる高位の人物であったことを示唆している。また石室は横穴式石室で、切石を用いた精巧な積み上げから高度な石材加工技術が確認される。周囲には法隆寺など古代史に関わる史跡が多く、斑鳩地域の宗教的・政治的背景と結びつけて考えることで、飛鳥時代への過渡期の文化や権力構造を理解するうえで重要な遺跡である。
地図を確認すると、この古墳は今回訪れた場所から離れ、奈良盆地北西寄り、法隆寺のすぐ近くに位置することが分かる。

Google Earthで俯瞰すると、左に藤ノ木古墳、右に法隆寺が並び、視覚的にもその歴史的共存関係が確認できる。

展示では、被葬者がどのような状態で埋葬されたかがわかりやすく示されていた。頭部には金銅製冠、胸元には大量のガラス玉や金具、腰部には馬具や帯金具、さらに儀礼用の刀剣が添えられていた。靴にも精緻な装飾が施され、それが単なる生活用品ではなく儀礼的意味を帯びていたことが理解できる。これらは被葬者が死後も権威を保ち続ける姿を表象した葬送観を示す重要な資料である。

特に、2振りの金銅製装飾大刀は注目に値する。刀身こそ腐食しているものの、柄や鞘には透かし金具や唐草文様が施され、高度な工芸技術と朝鮮半島文化の影響を示している。制作技法や性格から、これらは実戦用ではなく象徴的存在であり、被葬者の地位・権力・外交関係を示す儀礼具であったと考えられる。2振りが同格の装飾を備えていた点は、双殉制や二人の身分関係を考える上で興味深い。
同じく金銅製冠は、藤ノ木古墳の象徴的出土品である。透かし金具に植物文様が施され、立飾が付く構造は視覚効果と儀礼性の高さを示す。朝鮮半島、特に百済・新羅系との共通性が指摘され、国際交流や文化受容の実態を具体的に記録する遺物である。

そのほか、革製とみられる靴や豪華な馬具など、当時としては極めて珍しい出土品もあり、被葬者の社会的地位や服飾史研究に新たな視座を与えている。


続く常設展示では、黒塚古墳出土の三角縁神獣鏡や朝鮮半島からもたらされた鉄鋋、


縄文晩期の観音寺本馬遺跡の屈葬墓、

巨大な円筒埴輪、

古墳装飾用木製品、

飛鳥宮のジオラマ、

琥珀枕などが並び、

さらに国宝に新指定された太安萬侶墓誌も展示されていた。

太安萬侶墓誌は1979年に奈良市此瀬町で出土した銅板製の墓誌で、氏名や位階、居住地、没年月日が刻まれており、彼が奈良時代の上級官人であったことを裏付ける貴重な資料である。
これらはいずれも生活・儀礼・国際交流のあり方を示す重要な文化財であり、奈良盆地の古代史を総合的に理解する手がかりとなった。
今回の訪問を通じ、古墳時代から奈良時代に至る文化の連続性、そして外来文化を積極的に受容した日本列島の国際性を改めて実感した。好天に恵まれた一泊二日の旅では、弥生の大規模集落からオオヤマト古墳群、飛鳥宮、そして律令国家へと歩みを進める時代を象徴するキトラ古墳までを巡り、墓制を通して社会の複雑化を実証的に観察できたのは大きな収穫である。橿原考古学研究所附属博物館は、古代史を実物資料とともに多角的に理解できる貴重な場所であった。来年の二月には、再び古墳巡りをするので、それに向けて今回の知を整理し、さらに深い成果へと歩みを進めたい。