先日、東京都埋蔵文化財センターを訪問し、多摩ニュータウン地域における縄文時代から現代に至るまでの歴史について話を伺った。
なかでも特に印象深かったのは、江戸時代における産業の変遷と景観の移り変わりである。当時、この地域でも江戸の消費市場向けに野菜栽培が始まったものの、世田谷や三鷹・武蔵野といった近郊農家との競争に勝てず、やがて薪(まき)や炭の生産へと転換していったという。
こうした野菜栽培や薪炭生産に移行する以前、多摩丘陵はシラカシやスダジイなどの常緑広葉樹(照葉樹)の原生林に覆われ、鬱蒼とした森が広がっていたと考えられている。しかし、江戸の人口増加に伴う燃料や農地需要を支える近郊生産地として伐採が進み、代わって落葉広葉樹の二次林(雑木林)が形成されていった。
その要因は主に三つある。第一に畑地への転換、第二に落ち葉を堆肥として利用するための落葉広葉樹への切り替え、第三に薪炭材の確保である。特にクヌギやコナラは、伐採後も切り株から新芽が伸び、15〜20年で再生する「萌芽更新(ほうがこうしん)」の特性を持つため、優れた資源として積極的に利用・管理され、これが現在の里山の景観につながっているとのことだった。
現在の東京近郊では、かつてのような常緑樹林が見られる場所はほとんどない。しかし、同じ多摩丘陵の東端に位置する川崎市北部の「東高根森林公園」には、シラカシ林が奇跡的に開発を免れ、当時の豊かな森の面影を残しているという。そう聞き、さっそく現地を訪ねてみた。
東高根森林公園は多摩丘陵の東端に位置する。「今昔マップ」で明治時代の地図を確認すると、多摩丘陵の特徴である複雑な「谷戸(やと)」地形が刻まれているのが分かる。地理的には、北から順に二ヶ領用水(戦国時代末期〜江戸初期に開発)、五反田川、そして森林公園を挟んで南側に平瀬川が流れている。二ヶ領用水と五反田川は久地駅付近で合流し、さらに下流で平瀬川も合流して多摩川へと注ぐ。つまり森林公園は、五反田川と平瀬川という二つの河川に南北を挟まれた丘陵地に位置しているのだ。

(図:今昔マップによる東高根森林公園の地形)

(図:東高根森林公園の案内図)
公園入口付近には「けやき広場」があり、幼稚園児やシニアの方々の憩いの場となっていた。近くには池もあり、弥生時代にはこの周辺の谷戸で水田稲作が行われていた可能性もあるという。当時の人々の暮らしに思いを馳せながら歩いた。
(写真:けやき広場)
園内で最も高い平坦部は現在「古代芝生広場」と呼ばれ、弥生時代後期(3世紀頃)から古墳時代後半(6世紀頃)にかけての竪穴建物跡(住居跡)が約60軒確認されている。広場全体では約100〜150軒の住居跡が存在したと推定されている。
弥生時代の人々は、この台地に竪穴住居を構えて集落を形成し、周囲の谷(現在の湿生植物園付近)では湧水を利用して稲作を行っていたのだろう。また、台地周辺のシラカシ林からは耐久性の高い木材を得て鍬(くわ)や鋤(すき)の柄を作り、どんぐりなどの木の実を採集して食料としていたと考えられる。

(写真:シラカシ林に囲まれた古代芝生広場)
この広場に残るシラカシ林は、関東地方では一般に沖積低地や台地縁辺の適湿な場所に多く見られる植生だが、多摩丘陵の尾根上にこれほどまとまって残る例はきわめて珍しい。東高根森林公園のシラカシ林は、丘陵上でありながら土壌が適湿で、人為的な攪乱も比較的少なかったため、自然林に近い姿を保ってきたと考えられている。現在、シラカシは社寺林や屋敷林、斜面林などにわずかに残る程度で、多くの林が失われてしまった。そのため、このシラカシ林は多摩丘陵本来の照葉樹林の姿を伝える貴重な森として、神奈川県の天然記念物に指定されている。
林内を観察すると、樹高20メートルを超える高木層までシラカシが優占し、その下層にはシロダモ、ネズミモチ、ヤブツバキ、アオキなどが、草本層にはジャノヒゲ、ヤブラン、イノデ、ベニシダ、ヤブコウジ、キヅタなどが見られる。いずれも冬でも緑を保つ常緑植物で構成されている。
一方、園内にはクヌギやコナラを主体とする二次林もある。ここでは、高木層にコナラ、クヌギ、エゴノキ、イヌシデ、ヤマザクラなどが生育し、亜高木層・低木層・林床にはガマズミ、ヒサカキ、カマツカ、コゴメウツギ、アオキ、ムラサキシキブ、アズマネザサなど多様な植物が見られる。
こうした里山の林は、人間が定期的に伐採や下草刈りを行うことで維持される。しかし、人の手が入らなくなると、やがてシラカシを中心とする極相林(自然林)へと遷移していく。東高根森林公園は、この「人間の営み」と「自然の遷移」の両方を同時に観察できる貴重な場所である。

(写真:コナラとクヌギの林)
園内では、そろそろ見頃を迎えるアジサイも咲き始めていた。この公園を訪れると、人間の営みとともに林の植生が変化してきた歴史を、まさに肌で実感することができる。

(写真:咲き始めたアジサイ)
人の手によって維持されてきた里山は、燃料革命や人口減少によって管理されなくなり、その姿を大きく変えつつある。近年、全国の街中へのクマの出現が社会問題となっているが、これもまた奥山や里山における「人間の営みの変化(薪炭利用の停止や過疎化、境界線の曖昧化)」がもたらした結果の一つなのだろう。この問題の解決には、人と自然との関係性の変化を正しく理解し、考慮することが重要であると強く感じた。