bitterharvest’s diary

A Bitter Harvestは小説の題名。作者は豪州のPeter Yeldham。苦闘の末に勝ちえた偏見からの解放は命との引換になったという悲しい物語

ディートンの「大脱走」を読む──独立宣言250年とアメリカの理念と現実

7月4日はアメリカにとって特別な日であり、イギリスからの独立を祝う記念日である。今年は独立宣言公布から250周年という節目の年でもある。しかし、この日を迎えるアメリカ人の表情には、必ずしも晴れやかな喜びが満ちているようには見えない。独立宣言が掲げた理想と現実との隔たりを、多くの人々が改めて意識せざるを得ない時代になったように思われる。

独立宣言の前文は、「すべての人は生まれながらに平等であり、生命・自由・幸福追求という奪うことのできない権利を与えられている」と高らかに謳い上げる。これはアメリカのみならず、人類普遍の理想ともいえる高邁な理念である。しかし今日のアメリカでは、拡大する経済格差によって、この平等の理念が十分に実現されているとは言い難い。さらに深刻化する社会的分断は、人々が生命・自由・幸福追求の権利を等しく享受できる社会への信頼を揺るがしているようにも見える。

こうした閉塞感が広がる現在から振り返ると、わずか12年ほど前の空気はずいぶん異なっていた。2014年当時、アメリカでは、2009年に「Yes, We Can」を掲げて誕生したオバマ政権のもとで、未来への期待がなお残されていた。その頃に出版されたアンガス・ディートン著『大脱走』も、世界が依然として大きな格差を抱えながらも、人類全体としてはかつてない繁栄を実現しつつあるという前向きな見方を示していた。

人類は誕生以来、そのほとんどの期間を貧困と困窮の中で過ごし、明日への希望すら抱くことが難しい生活を送ってきた。しかし、約250年前に始まった産業革命以降、寿命は延び、生活水準は向上し、多くの先進国では一般の人々でさえ、かつての王侯貴族にも及ばなかった豊かな暮らしを享受できるようになった。ディートンは、世界にはなお貧困から抜け出せない人々が存在するものの、人類全体としては「貧困と困窮からの大脱走」を成し遂げつつあると論じていた。

この書名は、60年前の映画『大脱走』に由来する。ドイツ軍の捕虜となった連合軍兵士たちが大規模な脱出計画を立て、収容所から76名が脱出を試みたものの、多くは再逮捕され、50名が処刑されるという悲劇に終わる。史実に基づくこの映画は、過酷な状況に置かれながらも自由を求めて行動する人間の果敢さと緻密さを描き出している。そしてディートンは、自由のない収容所を貧困に見立て、人類がそこから脱出しようとする営みを重ね合わせて論じている。

独立宣言の中で掲げられた自然権は、生命・自由・幸福追求である。ディートンも『大脱走』の中で、これらの権利がどの程度、そしてどのような形で達成されてきたのかを論じている。まず生命から始めることにしよう。この権利がどれほど守られているかを測る指標はいくつか考えられるが、ディートンは平均余命を中心に議論を展開している。誕生時の平均余命は、250年前までは30〜40年程度にすぎなかったが、今日の先進国の多くでは80年を超えている。

産業革命が最初に起きたイングランドとウェールズのゼロ歳児の平均余命の推移を見ると、第一次世界大戦期の死亡率の急上昇によって1918年に大きく落ち込んでいるものの、この時期を除けば、1850年の約40年から2000年の約80年へと、ほぼ一貫して上昇している。ところが、同時期の15歳からの平均余命を見ると興味深い現象がみられる。1850年から1920年頃まで、15歳の平均余命はゼロ歳児のそれとほとんど変わらない。すなわち、1850年当時、ゼロ歳児の平均寿命は約40年であったのに対し、15歳まで生き延びれば、その後さらに同じ約40年間生きることが期待できた。しかし1920年を過ぎる頃からは、ゼロ歳児も15歳児もそのあと同じ年限を生きられるという状況が変わる。2000年には幼児死亡率が劇的に低下したため、ゼロ歳児も、15歳まで生存した人も、等しく80歳前後まで生きられるようになる。

この変化は何を示しているのだろうか。1920年頃までは、15歳まで生き延びること自体が難しく、幼少期の死亡率が極めて高かったことを意味する。それが2000年頃には、幼児期に死亡することがほとんどなくなったことを示している。水道・下水道の整備による衛生環境の改善、細菌感染症への医療技術の進歩などが、幼児死亡率を劇的に低下させた結果と考えられている。

ディートンの著作では日本の状況は扱われていないため、厚生省の完全生命表を参照すると、次のような傾向が確認できる。平均余命が顕著に改善するのは第二次世界大戦後であり、1891年から1936年にかけてのゼロ歳児の平均余命は、男性で42〜43年、女性で40〜42年にとどまっていた。また、20歳時点の平均余命も、男性が39〜41年、女性が40〜42年であった。この時期、20歳まで生きた人の平均死亡年齢はおよそ60歳である。これらの数値から、日本では幼児期死亡率の低下がイングランドよりも遅れて進行したことが読み取れる。

日本の場合、江戸末期の都市では、し尿やごみを資源として再利用する循環型の仕組みが発達し、廃棄物の処理という点では当時のロンドンやパリより整った面があったとされる。一方、明治初期には急速な都市化の影響もあり、衛生環境が一時的に悪化した側面もあった。

イギリスと日本という二つの例を挙げたが、いわゆる先進国はイギリスに少し遅れる形で幼児死亡率の低下が進み、それに伴って平均余命が改善した。開発途上国や後進国では、第二次世界大戦後しばらく時間を置いてから平均余命の改善がみられるようになった。しかしディートンは、経済成長と命を救うこととの間には直接的な因果関係はほとんど存在しないと指摘する。それよりも、衛生や医療を改善し、それを持続的に維持するための制度こそが決定的に重要だと述べている。

この視点に立てば、江戸の都市で循環型の衛生システムが機能していたことも、制度的な要因から理解することができる。共同体による清掃や廃棄物の再利用の仕組みが整っていたことが衛生環境を支えていたのであり、経済的な豊かさそのものが衛生をもたらしたわけではないという点で、ディートンの議論と通じるものがある。

ディートンの本で次に扱われる話題は「お金」である。所得そのものは独立宣言で掲げられた「自由」と同義ではない。しかし、自由を実際に行使するためには一定の経済的基盤が不可欠である。その意味で、所得は自由を支える重要な条件の一つと考えることができる。

ディートンはアメリカの事例を用いて議論を展開する。国民の富を測る代表的な指標は一人当たりGDPである。その推移を見ると、1929年には8,000ドルを超えていたが、1933年の世界大恐慌期には5,695ドルまで落ち込んだ。しかし、2012年には43,238ドルに達し、1929年の水準を5倍以上上回った(なお、各年の数値は2005年ドルに調整した実質値である)。世界大恐慌期を例外とすれば、一人当たりGDPは長期的に増加してきたと言える。

貧困率の推移も興味深い。1959年には、全人口の22%、黒人の55%、65歳以上の35%が貧困状態にあったが、2011年にはそれぞれ15%、28%、9%となった。全人口の貧困率は1973年に11%まで低下し、その後は増減を繰り返している。また高齢者の貧困率は、高齢者向け社会保障制度の整備によって1970年代に急激に低下し、現在まで低水準を維持している。これらの統計から、アフリカ系アメリカ人とヒスパニック系アメリカ人の貧困率が依然として高く、高齢者の貧困率が最も低いことが分かる。

貧困の基準は国や組織によって異なるが、一般には「人並みに生活できない状態」とされる。先に示した数値もこの基準に沿ったものである。しかしディートンは、アメリカのような社会では、社会参加に必要な財源が不足していること、家族や子どもが隣人や友人に囲まれて「人並みの生活」を営めない状態こそ貧困とみなすべきだと主張する。この観点に立てば、貧困率は先の数値よりもはるかに高くなると考えられる。

年代別の貧困率を詳しく見ると、20世紀前半の後期から低下し始めた貧困率は、21世紀を迎える前頃から、65歳以上を除いて再び増加傾向にある。この傾向は、所得格差が拡大していることを示唆する。特に所得上位層の総所得に占める割合を見ると、世界大恐慌直前には上位1%が24%を占めていた。それが第二次世界大戦後から1980年代のレーガン政権下の税制改革までの期間には10%前後にまで低下した。しかしその後は急上昇し、リーマンショック前には23%に達した。リーマンショック時に一時的に低下したものの、現在は再び23%に戻り、高水準を維持している。

ここまではアメリカにおける貧困と格差を見てきたが、では世界全体はどのような状況にあるのだろうか。中国とインドという巨大な人口大国が、20世紀後半以降に急成長したことで、一人当たり国民所得の平均が大幅に上昇し、両国の国民の多くが貧困層から脱却した。これにより、世界全体で見ると、数十億もの人々がこの時代に豊かさを手にし、ディートンが本の表題に掲げた「貧困からの大脱出」を成し遂げたと言える。

一方で、開発から取り残されたサハラ以南のアフリカ諸国の多くは、依然として深刻な貧困状態にとどまった。その結果、世界全体では貧困人口が大きく減少した一方で、地域間の経済格差は依然として大きな課題として残されることになった。

ところで、ディートンは格差の発生そのものについて、必ずしも悲観的な見方をしていない。イノベーションは社会を変革する力を持つ。そしてイノベーションを起こした者は、その成果から得られる収益によって莫大な利益を手にし、一時的に格差は拡大する。しかし、こうした新しい技術や手法が社会に広く浸透するにつれて、より大きな集団がその恩恵を受けるようになり、社会全体が豊かになるとともに格差は縮小していく。

ディートンは、このプロセスが産業革命以後の世界で繰り返し観察されてきたと述べる。すなわち、イノベーションが格差を一時的に拡大させるが、やがてその果実が広く共有されることで社会全体の生活水準が上昇し、格差は再び縮小する。この循環こそが近代以降の経済発展の特徴であるというのが、ディートンの基本的な見立てである。

ここまで物質的な豊かさの拡大について論じてきたが、それでは精神的な充足も同時に達成されたのだろうか。アメリカ独立宣言では、幸福の追求が自然権の一つとして掲げられている。しかし「幸福」という概念は、時代や文化によって意味が大きく異なる厄介な語である。独立宣言における幸福も、今日一般的にイメージされる「快い感情」や「一時的な喜び」とは異なり、「自由な環境の中で、自らの意志と責任に基づき、徳を高めながら意味ある人生を追求すること」を指していた。すなわち、単なる一時的な喜びではなく、「人間としての尊厳を伴う生き方そのもの」を意味していたのである。

ディートンが『大脱走』で用いる「幸福」も、この概念に近い。原書では well-being という語が使われている。これはWHOの健康の定義にも用いられる概念であり、「身体的・精神的・社会的に良好で満たされた状態」を意味する。感情的で瞬間的な「happiness」とは異なり、持続的・長期的な満足や充実を表す概念である。今日のウェルビーイングの概念に近い側面を持っていると考えることができる。

ウェルビーイングのうち、身体的・社会的側面については、平均余命、一人当たりGDP、貧困率などが、その一端を示す指標として用いられる。それでは、精神的側面が良好であるかどうかは、どのように評価すればよいのだろうか。質的な側面を測定することには困難が伴うが、一つの方法はアンケート調査である。生活に満足しているか、人生に充足感を感じるか、この一週間でストレスを感じたかなどを問う設問を作成し、その回答を分析することになる。しかし、質問項目の設計や評価方法には慎重な検討が必要であり、容易ではない。

それでも、幸福感には長期的・持続的なものと、瞬間的・感情的なものがあるという区別は可能である。本書では前者を「満足度」、後者を「幸福度」と呼んでいる。満足度は「人生をどれほど満足と感じるか」を10点法で評価し、幸福度は「昨日ストレスや不安を感じたかどうか」で測定する方法が採られている。後者は他の要因との因果関係が捉えにくいのに対し、前者には収入との間に相関関係がみられると説明されている。

本書に掲載された図は細かく見づらいが、世界銀行のデータを用いた人生満足度と所得水準の散布図を参照すると、ディートンの説明と一致する傾向が確認できる。すなわち、高所得国(先進国)の人生満足度は高く、低所得国(貧困国)は低い。また、中南米諸国は概して満足度が高い一方で、東アジア諸国は低い傾向がみられる。さらに、図中の矢印は満足度の変化方向を示しており、いずれも右上を指していることから、収入の増加とともに満足度が上昇していることが分かる。

図1:人生満足度の国際比較

この本が出版された2013年当時には、人類の進歩に対する楽観的な見方がなお成り立っていた。しかし、その後の世界は『大脱走』で描かれたような楽観的な方向へは必ずしも進まなかった。格差は縮小に向かうどころか、むしろ拡大し、社会は深刻な分断へと向かっていく。そして7年後、ディートンは『絶望死のアメリカ』を上梓することになる。

彼はそこで、学位をほとんど持たない中年の白人層の間で、自殺だけでなく、薬物の過剰摂取やアルコール性肝疾患による死亡が急増していることを明らかにした。これらは単なる個人の問題ではなく、医療や教育をはじめとする社会制度の歪みがもたらした構造的な危機であると分析し、その是正を強く求めている。

こうした近年の暗い影を知るにつけ、私がかつて留学していた1970年代初頭の頃に肌で感じた「アメリカの希望」の記憶が鮮烈によみがえる。当時、同国では公民権運動が盛んで、社会を改善するためのさまざまな制度が実施されていた。同じ研究科にいたアフリカ系アメリカ人の友人も、公民権運動の成果によって広がった教育機会や社会的な機会の恩恵を受けた一人である。なかでも彼にとって最大の恩恵は、長く抱いていた夢が実現したことであった。

ある日、テニスをしていると、彼が突然コートに駆け込んできて、「白人の女性と結婚することになったよ」と満面の笑みで告げた。「え、誰と」と聞き返すと、「研究科の事務室の女性だよ」と答えた。そのときの彼の嬉しそうな表情は、今でも忘れることができない。当時のアメリカでは、異人種間結婚は法的には認められていたものの、社会的にはまだ珍しく、偏見も残っていた。だからこそ、彼にとってそれは単なる結婚ではなく、人種による壁を越えて一人の人間として認められたという深い喜びでもあったのだろう。このとき、アメリカは確かに夢をかなえることができる国なのだと、強く実感した。

しかし、分断が進み、建国250周年を素直に祝えない現在の姿を見ると、深い懸念を覚えざるを得ない。それでもアメリカという国家は、歴史的に卓越した復元力を示してきた。独立宣言が掲げた理念は、単なる歴史的文言ではなく、制度を通じて不断に更新され続けるべき規範的課題である。アメリカが再びウェルビーイング(幸福)を実現しうる社会を築き上げることは、自由と尊厳を求める世界の人々にとっても大きな意味を持つ──今日、建国250周年祝賀のテレビニュースを眺めながら、そう強く感じた。