7月中旬、町田市の薬師池公園に古民家を見に訪れた際、咲き始めたばかりのハスの花を目にした。それから一か月が過ぎたので、さすがに盛りは過ぎているだろうと思っていたところ、「今が見頃です」という思いがけない記事を見つけた。ハスの花は朝方に咲き、昼を過ぎるころにはしぼんでしまうという。見頃は7時から9時頃までとされている。
薬師池公園は交通の便があまり良い場所ではなく、公共交通機関を利用する場合は町田駅からバスに乗ることになる。今年のような暑さの中でバスを待つのは気が進まず、車で向かうことにした。しかし、公園沿いの鎌倉街道は幹線道路であり、この周辺は信号が多いため、朝方は渋滞しがちである。そこで、9時頃には到着できるよう、少し余裕をもって家を出た。
普段散歩している恩田川にほぼ沿うように上流端まで進み、菅原神社の交差点で鎌倉街道に入る。鎌倉に幕府が置かれると、鎌倉から東国各地へ放射状に道が整備され、これらが総称して鎌倉街道と呼ばれるようになった。このため、鎌倉街道は一つの道を指すのではなく、鎌倉へ向かう複数の道の総体を指している。薬師池公園の前を通る道も、その一つである。
鎌倉街道の先には御家人に与えられた領地が広がり、その管理のために人々の往来があった。鎌倉で緊急事態が生じれば、武士たちはこの道を通って鎌倉へ馳せ参じた。鎌倉時代には、薬師池公園の前を鎌倉へ向かって駆ける武士の姿があったに違いない。
鎌倉幕府滅亡後には、最後の執権・北条高時の遺児である時行が、幕府再興を目指して信濃から鎌倉へ向かった際、この鎌倉街道を通ったとされる。菅原神社付近では、足利尊氏の弟・直義と戦火を交えた。この戦いの地は「井出の沢」と呼ばれている。
このように歴史的なゆかりのある鎌倉街道だが、心配していた渋滞もなく、予定通りの時間に到着することができた。駐車場に車を置き、薬師池公園へ向かおうとすると、公園関係者と思われる男性が声をかけてきた。
「ハスの見学ですか」
そう話しかけてくる。
「そうです」
と答えると、「今年はなかなか咲かなくて」と言う。記事には「見頃」と書かれていたのに、と不審に思い、
「まだ見頃ではないのですか」
と尋ねると、
「なかなか咲きそろわなくて。ぽつりぽつりと咲いているだけなんです」
と続けた。
せっかく訪れたのに、と少し残念に思っていると、「去年も同じでした。毎日来ている人もいて、残念がって帰っていきます」とも語る。どうやら、一斉に花が咲きそろうのは難しく、今年も昨年同様、少しずつ、長い期間にわたって、まるで出し惜しみするかのように咲いているらしい。
「あの辺に綺麗なところがありますから、暑さに気をつけて楽しんでください」
そう言い残し、彼は仕事場の方へ戻っていった。私たちは、教えてもらった場所へと向かった。
公園関係者が勧めてくれた場所では、いくつかの花が開花しており、同じくらいの数の蕾が次の順番を待っていた。ハスの花は開花してから四日ほど咲き続ける。朝に開き、昼には閉じるという動きを繰り返し、四日目の最後の日には昼を過ぎても開いたままになり、その後、花びらが散っていくという。

ハスは葉も大きいが、花もまた大輪である。大きいものでは20〜30センチほどにもなるという。


ハスは一つの茎に一つの花をつける。その凛とした姿には、高貴な雰囲気が漂っている。

花が散った後に残る花托には、種子がいくつもできる。蜂の巣のように穴が並んだ独特の形をしている。

これは四日目の花だろうか。花びらが今にも散りそうになっている。

花が落ちて花托だけになると、どこか少し不気味な印象を与える。

蕾。明日には開花するのだろうか。

これらのハスは「大賀ハス」と呼ばれている。大賀一郎が1951年、千葉県の検見川遺跡で2000年以上前のハスの実を発掘し、そのうち一粒が発芽に成功したことから「大賀ハス」と名付けられた。発芽した株は国内外の多くの施設へ根分けされ、町田市の円林寺や個人宅にも伝わった。1982年には、これらから株の一部が薬師池公園のハス田へ移され、現在に至っている。
2000年以上前の種が発芽するという事実自体が驚異的だが、ここで見たハスの花が、かつて古代の人々が目にしたであろう姿を受け継いでいるのかと思うと、その生命力と悠久の時間の流れを感じずにはいられなかった。
ハスは仏教では貴重な花とされ、如来や菩薩が座る台座はハスの花を象った蓮華座である。また、極楽浄土にはハスの花が咲き乱れているという。泥の中から清らかな花を咲かせる姿だけでも特別なものに思えるが、その種が2000年以上の時を経て蘇ったのである。こうして大賀ハスを目の前にすると、ハスが古くから特別な花として見られてきたことも、なるほどと思えてくる。大賀ハスの奇跡的な蘇りも、さもありなんと思った。