bitterharvest’s diary

A Bitter Harvestは小説の題名。作者は豪州のPeter Yeldham。苦闘の末に勝ちえた偏見からの解放は命との引換になったという悲しい物語

横浜北部の中世城郭の茅ヶ崎城を訪れる

横浜市の港北ニューたんに住んでいたころ、センター南駅へと通じる道沿いに小高い丘があり、その頂でときどき工事をしてたので、「何をしているのかな」と疑問に感じていた。それも不快感に近く、「せっかくの自然を壊さないでもよいのに」とも思っていた。この地を去ってから10年近くたつが、それが中世の城跡であることを最近知った。かつて遠目に見た風景は、公園へと整備するための工事だった。いまは茅ケ崎城址公園となり、中世の城郭の遺構を伝えてくれる。先日この近くに行く機会があったので訪れてみた。

茅ヶ崎城址公園は、横浜市の北部、横浜市営地下鉄センター南駅の近くにある。
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公園の入り口には案内図があり、城跡の全体が分かるようになっている。
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案内によれば、茅ヶ崎城は15世紀の前後に築城されたそうだ。15世紀後半に最大の構えとなり、16世紀中ごろには二重の土塁とその間に空堀が設けられた。室町時代関東管領上杉氏、戦国時代の後北条氏により築城された。

中世の城の中核をなすのは、郭(くるわ、曲輪とも書く)である。そこは戦時の時に兵たちが駐屯する場所である。郭は複数あり、それぞれが土塁、石垣、堀などで囲われており、郭への出入り口は虎口と呼ばれた。

茅ヶ崎城にも、案内図にある中郭、北郭、西郭、東郭と、現在は民家になっている北東郭がった。

城主や兵たちは、平時は郭には住まず、ふもとの根小屋に住んでいた。
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戦争になると、根小屋から城主や兵たちがここに立てこもって戦った。さらには領内の百姓も避難する場所として用いたことであろう。

郭は山の頂を削平して作られた。どの郭は草が生い茂っていた。最も大きな中郭も次の写真のだったが、ベンチに座ってお昼を食べるビジネスマンの姿も見受けられた。
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土塁もあるのだが、少し土が盛り上がっているようには見えるけれども、はっきりとはわからない。
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郭への出入り口の虎口も2か所見つかっている。
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茅ヶ崎城址公園とともに、近くにある正覚寺も訪れた。このお寺は、花菖蒲やあじさいで有名だ。梅雨時のこれらの花に恵まれるころは人込みができるが、今の時期は静かなお寺だ。正覚寺天台宗の寺院で、1593年の開基とされている。豊臣秀吉が朝鮮に兵を送った文禄の役のころだ。

まずは山門。
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本堂は、文化の時に焼失、文化8年(1811年)に再建、関東大震災で半壊、1925年に改修され、現在に至っている。
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鐘楼堂も立派だ。
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横浜市の港北ニュータウンは、若い人が多く、活気に満ちた街だ。この街は、1974年に造成工事が始まり、1980年代の半ばごろに大規模集合住宅ができ始め、多くの人々とが住むようになった。それまでは横浜北部の静かな集落だったので、このころから住んでいる人は隔世の感を覚えるであろう。