bitterharvest’s diary

A Bitter Harvestは小説の題名。作者は豪州のPeter Yeldham。苦闘の末に勝ちえた偏見からの解放は命との引換になったという悲しい物語

辰野金吾設計の東京駅・駅舎を上から眺める

辰野金吾は明治を代表する建築家である。彼は嘉永7年(1854)に佐賀県に生まれる。工部大学校(東京大学工学部)の第一期生として入学し、ロンドン出身の建築家ジョサイア・コンドルに学び、明治12年(1879)に卒業した。英国に留学し、バージェス建築事務所、ロンドン大学で学んだ。明治17年(1884)にコンドルが退官したあと工部大学校教授に就任した。明治31年(1898)に帝国大学工科大学学長に、明治35年(1902)に工科大学を辞職した。明治36年(1903)に葛西萬司と辰野葛西事務所を開設した。大正8年(1919)にスペイン風邪に罹患し、64歳で亡くなった。

辰野金吾が最も設計したかった建物は、おそらく国会議事堂であっただろう。テレビ東京の「美の巨人たち」は、2011年の夏に建築シリーズ「国会議事堂」を放映している。その中で、国会議事堂の設計を巡って、建築界の大御所・辰野金吾と官庁建築の第一人者・大蔵省臨時議院建築部の妻木頼黄とが激しく争ったことを紹介している。その様子は、木内昇著『剛心』にも詳しく描かれている。妻木も辰野も本人が選ばれそうになった時、運がなかったとしか言いようがないのだけれども、亡くなってしまう。

辰野の作品の中で、特に優れているのは東京駅の丸の内駅舎(中央停車場)だろう。赤煉瓦に白い花崗岩を使った「辰野式」洋式の重厚な駅舎は、オランダのアムステルダム中央駅を参考にしたと言われている(写真はWikipediaより)。

先日、大学の同期会がKitte丸の内(JPタワーの低層階)であった。JPタワーは東京中央郵便局の跡地に建てられ、高さが200m近くある(写真はWikipediaより)。跡地再開発に当たって、当時の鳩山邦夫総務大臣が「重要文化財の価値を有する建物を再開発で取り壊すのは、トキを焼き鳥にして食べるようなもの」と異議を申し立て、古い建物の一部が低層階として残された(写真はWikipediaより)。

低層階の屋上は展望台になっていて、ここからは東京駅を上から眺めることができる。
丸の内駅舎と駅前広場、

丸の内駅舎の南側、

東京駅、

丸の内ビルディング(丸ビル)。

東京駅を上から眺めるのは、おそらく初めてである。駅の周りに立ち並ぶ建物もすべてと言っていいくらい、高層のものに建て替えられてしまい、東京駅のところだけが窪地となり、昔の面影を残している。鮮やかなレンガ造りの明治の西洋建築と、ガラス窓の反射がまぶしい平成・令和の近代建築が調和し、平穏で綺麗な街を醸し出していると感じた。