2024-04-01から1ヶ月間の記事一覧
シリーズ「津軽・弘前を旅する」の記事は、近代化を象徴する建物で締めくくることにしよう。まずは経済の血液ともいえる金融の分野、その中で中核をなす銀行から始めることにしよう。もうすぐ、渋沢栄一が新一万円札になって登場する。銀行には、一万円札を…
弘前城の北には、江戸時代の趣を残した中・下級武士の屋敷街がある。そして、そこには武家屋敷が4軒ほど保存されている。この地域は、「弘前市仲町伝統的建造物群保存地区」と呼ばれ、昭和53年(1978)には、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。広さ…
弘前城の桜を思う存分に楽しんだ後、南に1.5kmほど離れている最勝院五重塔*1を見学に行った。この五重塔は重要文化財に指定されている。弘前市のホームページによれば、次のように説明されている。「この塔は、寺伝によれば初代藩主為信の津軽統一の過程で戦…
禅林街の案内板のタイトルは「史跡 津軽氏城跡 弘前城跡長勝寺構」で、弘前城の一部であることを示している。そして、そこには次のように記されていた。「戦国時代に堀越城を拠点として津軽統一を成し遂げた津軽藩祖為信が新城(弘前城)を計画し、2代信枚が…
江戸時代の弘前藩主は津軽氏である。移封されることもなく、江戸時代ずっと続いた。菩提寺もずっと弘前にあったが、戦国時代には藩主とともに移動している。その菩提寺は長勝寺である。司馬遼太郎さんの『街道をゆく』の中の「北のまほろば」の中で、長勝寺…
今回弘前を訪れた主な目的は、満開のソメイヨシノを心ゆくまで堪能することであったが、その他にもいくつかの目的があった。その一つは、小説や紀行文で興味深く描かれている弘前の地を踏み、そこの歴史に触れてみたいという願いであった。青森県は、江戸時…
これを逃したら二度とチャンスは訪れないだろうと、ちょっと大げさ過ぎるが危機感を抱き、すべての予定をキャンセルして(これも大げさ)、みちのくの弘前公園を訪れた。目的はもちろん満開のソメイヨシノを堪能することである。弘前公園は日本三大「桜の名所…
高校生の頃か大学生の頃か定かではないのだが、学生時代に感銘を受けた書物の中に、ルイス・ベネディクトさんの『菊と刀』がある。文化人類学に関心を持っていた頃で、国ごとにあるいは地域ごとに行動が異なるのはなぜだろうと疑問に感じていた。ベネディク…
辰野金吾は明治を代表する建築家である。彼は嘉永7年(1854)に佐賀県に生まれる。工部大学校(東京大学工学部)の第一期生として入学し、ロンドン出身の建築家ジョサイア・コンドルに学び、明治12年(1879)に卒業した。英国に留学し、バージェス建築事務所、ロン…
今回紹介するのは美術館。それも長い歴史を誇る民間の大原美術館である。岡山駅からは山陽本線を利用して倉敷駅で降り、さらに歩いて15分ぐらいのところにある。 開館はなんと昭和5年(1930)で、これから6年後には開館100年を迎える。創立者は倉敷の実業家・…
鳴門大橋を渡ると、ここは四国・阿波国(徳島県)である。「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆あほなら踊らにゃ損々」の掛け声で始まる阿波踊りで有名なところである。今日では阿波踊りはブランド化されているので、何か特別な踊りのように思えるが、本を正せば盆…
明石海峡大橋と鳴門大橋が開通して以来、淡路島を素通りする観光客も増えたようだが、今回は淡路島に立ち寄り、伝統文化を鑑賞することとした。最近は、淡路島と言われると、たまねぎを思い浮かべる。栽培が始まったのは130年前で、昭和39年には栽培面積が30…
四国・中国旅行の最終日は一人旅となり、かねてから訪れたいと思っていた倉敷の町に赴いた。前日までは案内してくれる友達に伴われての見学だったので、効率的に要所を見ることができたが、この日は足の赴くままである。とりあえずの目標を決めて、山陽本線…
吉備国と言われたときに真っ先に思い出すのはなんだろう。奈良時代の学者・政治家で遣唐使でもある吉備真備を浮かべる人は歴史に興味のある人だろう。奈良から平安時代にかけての貴族で、道鏡が天皇になることを妨げた和気清麻呂を知っている人はさらに進ん…
1番札所から始めて、順打ちに行けるところまで行こうと計画していたが、あいにくの雨ですっかりやる気が失せ、1番の霊山寺の後は2番を飛ばして3番札所だけを巡った。3番札所は金泉寺である。霊山寺からは歩いて50分ほど、車なら7分ほどのところにある…
ここからは寺院巡りで、四国遍路に関連した寺から紹介する。四国遍路の由来は、四国八十八ヶ所霊場会のホームページで紹介されていて、それをまとめると次のようになる。古くから四国は国の中心地から遠く離れており、様々な修行の場であった。讃岐で生誕し…