bitterharvest’s diary

A Bitter Harvestは小説の題名。作者は豪州のPeter Yeldham。苦闘の末に勝ちえた偏見からの解放は命との引換になったという悲しい物語

早春の四国・中国旅行-寺院巡り・霊山寺(一番札所)

ここからは寺院巡りで、四国遍路に関連した寺から紹介する。四国遍路の由来は、四国八十八ヶ所霊場会のホームページで紹介されていて、それをまとめると次のようになる。古くから四国は国の中心地から遠く離れており、様々な修行の場であった。讃岐で生誕した弘法大師(空海)もたびたびこの地で修行し、八十八ヶ所の寺院などを選び四国八十八ヶ所霊場を開創したと伝えられている。その八十八ヶ所霊場を巡礼することが遍路で、当初は修行僧などが中心であった。その後、弘法大師信仰が高まり、日本全国から多くの人が遍路するようになったということである。

遍路の始まりについては、51番札所の石手寺に衛門三郎伝説が伝わっている。コトバンクでの説明を引用すると次のようである。

伊予国浮穴(うけな)郡荏原の郷に衛門三郎という強欲非道な長者がいた。ある日きたない乞食僧が門前に立って食を乞うたが三郎はこれを追い返した。僧は懲りず、毎日のように門前に立ったので、激怒した三郎は手にした箒で僧の持つ鉢をしたたか打った。鉢は8つに割れて虚空に飛び散った。その夜から三郎の子が1人ずつ死んでいき、8日にして8児を失った。三郎は初めて乞食僧が弘法大師であったことを知り、自らの罪業に気づき、大師に一目会って謝罪したいと思い巡拝の旅に出た。八十八ヵ所を5回、10回と巡ったが会えず、21回目に老いと病のため12番札所の焼山寺で倒れた。そこに大師が現れ、修行によって罪業は消滅したと告げ、なにか来世に望みはないかと尋ねた。三郎は「来世は一国一城の主として生れたい」と答えたので、大師は小石を拾い「衛門三郎再来」と書いて左の手に握らせた。天長8年(831)のことという。のち道後湯築城主河野息利の一子息方が生れたが左の手をかたく握って開かない。河野家では安養寺の僧を招いて祈祷をさせると初めて手を開き、衛門三郎と記した1寸8分の石が現れた。これにより石を宝殿に納め、安養寺を石手寺と改めたというのである。

最初に紹介するのは、1番札所の霊山寺(りょうぜんじ)である。今回は友達の車で行ったが、電車で行くときは高松駅から高徳線で坂東駅で降り、そこから歩いて10分のところにある。

この寺の歴史は、ウィキペディアでは次のように紹介されている。

寺伝によれば奈良時代天平年間(729年 – 749年)に聖武天皇の勅願により、行基によって開創された。弘仁6年(815)に空海がここを訪れ、21日間留まって修行したという。その際、天竺の霊鷲山で釈迦が仏法を説いている姿に似た様子を感得し、天竺の霊山である霊鷲山を日本、すなわち和の国に移すとの意味から竺和山霊山寺と名付け、持仏の釈迦如来を納め霊場開創祈願をしたという。その白鳳時代の身丈三寸の釈迦誕生仏が残っている。また本堂の奥殿に鎮座する秘仏の釈迦如来は、空海作の伝承を有し、左手に玉を持った坐像である。室町時代には三好氏の庇護を受けており、七堂伽藍の並ぶ大寺院として阿波三大坊の一つとして栄えたが、天正10年(1582)に長宗我部元親の兵火に焼かれた。その後徳島藩蜂須賀光隆によってようやく再興されたが、明治24年(1891)の出火で、本堂と多宝塔以外は再び焼失したが、その後の努力で往時の姿を取り戻し1番札所としてふさわしい景観になった。

山門は入母屋造楼門である。

本堂。

本堂の内部。地蔵菩薩三尊像が祀られているはずだが、確認はできなかった。

大師堂。全身漆黒の大師像が祀られている。

鐘楼堂。

多宝塔。応永年間(1394〜1428)の建造で、600年近い歴史を持ち、五智如来像が祀られている。

不動明王堂。

明治の庭で、阿弥陀如来が座している。

さすがに1番札所ということもあり、境内も広く、本堂・大師堂も立派である。1番札所から88番札所まで順番に回ることを順打ちというそうだ。このため霊山寺から始める人も多いのだろう。遍路さんのためのお店もあって、遍路となるための衣服・道具もここで整えることができる。最近はインバウンドの人にも人気があるようで、外国からの人の姿をちらほら見かけた。

なお近くには、鳴門市ドイツ館がある。ここ坂東町には、大正6年(1917)から3年間、第一次世界大戦時に捕虜となったドイツ兵を収容した「板東俘虜収容所」があった。人権を尊重して自主的な生活を認めたので、ドイツ兵たちは様々な活動に取り組んだ。中でも盛んだったのが音楽活動で、ベートーヴェンの「交響曲第九番」が、アジアで初めてコンサートとして全楽章演奏された。捕虜への待遇が優れていたことから、板東俘虜収容所は模範収容所と評価されている。

次は3番札所の金泉寺である。