bitterharvest’s diary

A Bitter Harvestは小説の題名。作者は豪州のPeter Yeldham。苦闘の末に勝ちえた偏見からの解放は命との引換になったという悲しい物語

早春の四国・中国旅行-寺院巡り・金泉寺(三番札所)

1番札所から始めて、順打ちに行けるところまで行こうと計画していたが、あいにくの雨ですっかりやる気が失せ、1番の霊山寺の後は2番を飛ばして3番札所だけを巡った。

3番札所は金泉寺である。霊山寺からは歩いて50分ほど、車なら7分ほどのところにある。我々は車で向かった。車中からは、菅笠を被ったお遍路さんが、雨に打たれながらも懸命に歩いている姿を目撃した。この日のように天気の悪い時や、寒い時や暑い時は大変だろうと同情した。

ウィキペディア金泉寺の歴史を調べると次のように紹介されている。寺伝によれば、天平年間(729~749)に聖武天皇の勅願により行基が本尊を刻み、金光明寺と称したといわれている。弘仁年間(810年~824)に、弘法大師が訪れた際に、水不足解消のため井戸を掘り、黄金井の霊水が湧出したことから寺号を金泉寺としたという。亀山法皇(天皇在位1259~1274)の信仰が厚く、京都の三十三間堂をまねた堂を建立、千躯の千手観音を祀った。また、背後の山を亀山と名付け山号を亀光山と改めた。『源平盛衰記』には、元暦2年(1185)に源義経屋島に向かう途中本寺に立ち寄ったとの記載がある。天正10年(1582)年には長宗我部元親による兵火で大師堂以外の大半の建物を焼失したが、建物はその後再建され現在に至っている。境内からは奈良時代の瓦が出土しており、創建は寺伝のとおり奈良時代にさかのぼると推定されている。

それでは境内を見ていこう。
入母屋造楼門の山門。鮮やかな朱が目立つ。そして手前は極楽橋

本堂。聖武天皇勅願時の寺なので、軒丸瓦の上半分は菊の御紋になっている。

大師堂。

八角観音堂義経が祈願した聖観音が祀られている。

鐘楼。

多宝塔

不動明王の化身とされる俱利伽羅(くりから)龍王像。剣に龍がしがみついているが、これは仏と人が一体になっていることを著しているそうである。

左端が満願弁財天社。すべての願いを叶えてくれるありがたい弁天が祀られている。

怠け者の遍路さんだったが、二つの寺を参詣したので、この続きはまたということにして、暖かい温泉が待つ旅館へと向かった。

次は、神社を紹介する。