bitterharvest’s diary

A Bitter Harvestは小説の題名。作者は豪州のPeter Yeldham。苦闘の末に勝ちえた偏見からの解放は命との引換になったという悲しい物語

「湘南ひらつか七夕まつり」に出かける

平塚で、4年ぶりに制限のない七夕祭りが開催された。この街には、戦前は、海軍の火薬廠があった。このため、第二次世界大戦も終わりに近づいた頃、米軍の攻撃を受けて、焼け野原になった。街の復興を願って、1950年から、七夕祭りが行われるようになった。仙台の七夕祭りも有名で、こちらの方は江戸時代の伊達藩の頃に始まり、7月ではなく8月に飾られている。

それではいざ七夕祭りに参ろう。平塚駅西口で降り、人の流れに乗って、紅谷パールロード左端から祭りに参加した。

目の前に現れた飾りは、歌舞伎十八番。これは7代目市川團十郎(江戸時代)が制定した市川家の歌舞伎十八番物を指しているが、それ以前から歌舞伎全体の中の人気演目を指す言葉として使われていたようだ。十八番の中で演じられる回数が多いのは、「助六」「勧進帳」「暫」である。ここに飾られているのは「暫」のようである。中央左側は、清原武衡が彼の意に従わない人々を斬ろうとしているところに、「しばらく」という声とともに、ヒーロー・鎌倉権五郎景政が、颯爽と花道から登場した所だろう。

次に目についた飾りは、源氏物語。来年のNHK大河ドラマは「光る君へ」。源氏物語の作者・紫式部の雅な宮廷生活でのロマンスが、来年は評判になることだろう。これに因んでの飾りである。

今年の大河ドラマは「どうする家康」。なかなか判断できない家康の精神的な葛藤を描き出したユニークな作品になっているが、その家康が飾りの題材として使われていた。

家康は平塚とは関係が深い。彼は平塚と江戸との間の交通の便をよくするために、中原街道を設けた。平塚側の起点は中原という地名で、かつて小田原城主の大森氏が、この地域を開拓したときに中原(中国の「ちゅうげん」にあやかって)と名づけたといわれている。家康は中原に御殿を設け、鷹狩りの時の宿舎とした。

平塚は、江戸時代には東海道の宿場であった。そのため、富士山を背景とした浮世絵が描かれている。その関連と思われるのが次の飾りである。

紅谷パールロードに別れを告げて、次は、湘南スターモールに入る。飾りの様子がガラリと変わって、吹き流し。


WBCでの優勝に感謝する飾りもある。

そして、最後は七夕らしく、願いを込めての飾りである。

コロナの危険がないとも言えないので、例年と比べるとまだまだ控えめなお祭りだったようだが、長く続けて欲しいと願って、帰路についた。