bitterharvest’s diary

A Bitter Harvestは小説の題名。作者は豪州のPeter Yeldham。苦闘の末に勝ちえた偏見からの解放は命との引換になったという悲しい物語

小春日和のなか小田原城を訪れる

小春日和の月曜日(15日)、小田原城に出かけた。ここは、戦国時代には小田原北条氏、徳川時代には大久保氏、稲葉氏、再び大久保氏が城主となった。

室町時代末期に、伊勢宗瑞あるいは北条氏綱がそれまでの城主の大森氏から小田原城を奪ったとされている。戦国時代には小田原城は大きな改築を少なくとも二回施されたようである。一回目は明応地震(1498)のあとで宗瑞あるいは大森氏によってなされ、二回目は上杉氏・武田氏の侵攻に備えて永禄9年(1566)に三代当主の北条氏綱によってなされ、「難攻不落、無敵の城」といわれた。

戦国時代末期になると、天下統一の仕上げを企んだ豊臣秀吉は、隠居北条氏政と五代当主氏直に対して開戦し、小田原城を総攻撃した。秀吉の兵糧攻めにより、3か月の籠城戦のあと小田原城無血開城された。北条氏の領土は徳川家康に与えられ、家康は腹心の大久保氏を小田原城に置いた。江戸時代になるとこの地は小田原藩となった。初代藩主の大久保忠隣(ただちか)は、無断婚姻を理由に改易され、そのとき城は破却された。そのあとの城番時代を経て、稲葉氏が寛永9年(1632)に入封した。しばらく稲葉氏が藩主を勤めたあと、再び大久保氏が貞享3年(1686)に入封して明治維新まで藩主を続けた。

江戸時代には小田原城は何回か大地震にあった。寛永10年(1633)の小田原地震、元禄16年(1703)の相模トラフ巨大地震で大きな被害を受けたが、そのつど再建された。さらに天明2年(1782)の小田原地震で大きく傾いたが、このときも修復された。

明治維新のあと明治3年(1870)に小田原城は解体されたが、昭和35年(1960)に再現された。そのとき参考にしたのは、天守閣木組み模型である。大久保家所蔵のものは焼失しているが、小田原市大久保神社、小田原城天守閣(東大からの寄贈)、東京国立博物館(神奈川県立歴史博物館で展示)所蔵のものが残っていて、神社と東博のものは類似しているが、東大のものはそれらとは異なっている。昭和35年の再現のときは東大と神社の模型が利用され、平成の大改修では東博の模型が参考にされて天守最上階に摩利支天が設けられた。なお神奈川県立博物館の説明によれば、この模型は天明度の修復にあたった川部匠太夫が制作したとなっている。

それでは整備された小田原城を見ていこう。小田原城小田原駅からそれほど遠くない。東海道線を熱海の方に沿うように歩いて5分程度である。城への入り方はいくつかあるが、江戸時代の正規ルートである馬出門を目指した。
f:id:bitterharvest:20211117110152j:plain
小田原城の近くまで来ると右手に堀が見えてきた。城主の稲葉正勝(春日局の子)が大規模な工事により近世城郭として整備したときに、この二の丸東堀も形作られたとされている。

写真は二の丸東堀。赤い橋は学橋(馬出門はさらに一つ奥の橋を渡る)、左奥の白い四角い建物は二の丸隅櫓。
f:id:bitterharvest:20211117104834j:plain
二の丸東堀より天守閣を望む。
f:id:bitterharvest:20211117104904j:plain
馬出門(うまだしもん)。三の丸から二の丸に向かう大手筋上に設けられた重要な門で、控え柱に屋根がついている。
f:id:bitterharvest:20211117104940j:plain
馬屋曲輪。
f:id:bitterharvest:20211117105004j:plain
住吉橋。
f:id:bitterharvest:20211117105034j:plain
銅門(あかがねもん)。二の丸正面にある。名前の由来は、扉の飾り金具に銅を使用していたことからとされている。
f:id:bitterharvest:20211117105101j:plain
常盤木橋
f:id:bitterharvest:20211117105123j:plain
常盤木門。
f:id:bitterharvest:20211117105144j:plain
本丸から小田原城を望む。
f:id:bitterharvest:20211117105204j:plain
小田原城全景。
f:id:bitterharvest:20211117105222j:plain
天守閣から小田原市街を望む。
f:id:bitterharvest:20211117105243j:plain
天守閣から小田原駅、丹沢を望む。
f:id:bitterharvest:20211117105313j:plain
菊の展示会。小田原城を模している。
f:id:bitterharvest:20211117105343j:plain
帰りに駅の近くの北条氏政(第4代当主)・氏照(氏政の弟で八王子城主)の墓所を訪れた。 五輪塔前の平たい石の上で二人は自刃したと伝えられていると案内板に書かれていた。
f:id:bitterharvest:20211117105410j:plain
造りものかと間違えたが、生身の「墓守猫」。微動だにしないのにただ驚嘆した。
f:id:bitterharvest:20211117105439j:plain
今回は城を中心に見学した。他方で、北条五代の藩主たちは先進的な政治を行ったことでも知られているので、次の機会にはこれに関わる遺跡を訪れたいと思っている。