bitterharvest’s diary

A Bitter Harvestは小説の題名。作者は豪州のPeter Yeldham。苦闘の末に勝ちえた偏見からの解放は命との引換になったという悲しい物語

東北北部縄文の旅:亀ヶ岡遺跡

三内丸山遺跡を出るころに降り始めた雨は、亀ヶ岡遺跡がある「つがる市」に入ったころには、横殴りの本格的な雨になった。冬場のために設けられた防雪棚もなんのその、雨は激しくバスの側面をたたいていた。ここでの訪問場所は3か所で、つがる市縄文住居展示資料館カルコ、亀ヶ岡遺跡、縄文館(木造亀ヶ岡考古資料室)だ。

亀ヶ岡式土器は、縄文時代晩期の東北地方と南北海道の土器の総称だ。教科書にも出てくる名称なので、さぞかし立派な遺物がみられるのではと期待を込めて、バスガイドさんの説明を聞いていると、どうもそうではないらしいということが分かってきた。

彼女は申し訳なさそうに教えてくれた。江戸時代初期の元和8年(1622)に、弘前藩津軽信牧が、西津軽藩亀ヶ岡に城を建てようとして、土木工事を始めたところ、土偶、甕、壺などがザクザク出土した。城の建設は一国一城令により中止されたが、出土した遺物は好事家によって集められた。『元禄日記』元和9年条には「奇代の瀬戸物を掘り出した」と書かれているので、その当時でも「お宝もの」だった。歴代の藩主がこの地を訪れる際には鑑賞したが、江戸への土産にも使った。そのうち全国的にも有名になり、文人や骨董愛好家の手に渡り、中には堺から外国へも流れてしまったものもあった。多量の逸品が江戸時代に散逸してしまい残念だとのことだった。

亀ヶ岡遺跡と言えば、遮光器土偶で有名だが、これもつがる市にはなく、トーハク(東京国立博物館)にある。「貴重な遺産がこの地域から奪われた」と言ってしまうと、言葉がきついかもしれない。しかしエジプトやメソポタミアの古代の貴重な遺産が海外に持ち出されたのに似ている。国外と国内という事情はあるが、取り戻すことはできないのだろうか。せめて散逸してしまった遺産のデジタル情報を集めて、亀ヶ岡から出土したものを一堂に会して、デジタルミュージアムでも用意できたら素晴らしいのではとも考えた。

そうこうしているうちに、最初の訪問場所のカルコに着いた。雨が激しく降り続いていたので、運転手さんが気を利かせてバスを玄関に横づけにしてくれた。見学者の我々は、バスのステップから、館内へと飛び込んで、濡れずに済んだ。

カルコの1階の正面には、大きな遮光器土器が飾ってあった。もちろん模造品だ。このあとも模造品をいくつも見ることになるが、地元の人たちの帰ってきて欲しいという思いは強いのだろう。
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別のところには、遮光器土器の復元がある。本物からかたどりして造ったので、精巧にできているそうだ。
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2階に上がると、田小屋野貝塚から出土した人骨があった。田小屋野貝塚縄文時代前期中葉~中期中葉(5,500~4,500年前)の円筒式土器文化を中心とする遺跡で、この遺跡の南側約400mに亀ヶ岡遺跡がある。亀ヶ岡遺跡が晩期の遺跡なので、それよりも2,500~1,500年も前の遺跡だ。7,000年前に起きたとされる縄文海進によって、周囲に展開する津軽平野には、淡水と海水が混在した古十三湖の水域が広がり、人々はヤマトシジミを食料にした。集落が形成され、貝殻の捨場が貝塚となった。日本海側にはほとんど貝塚はないので、田小屋野貝塚は貴重な遺跡だ。
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この地方の土器の変遷が分かるように、時代順に土器が並べられていた。まずは、前期の円筒下層式土器。
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中期の円筒上層式土器。
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ここからは後期の十腰内式土器。
縄文の人の心のように素朴だ。
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そして晩期の亀ヶ岡式土器だ。
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様々な形の土器が、自己主張しながら張り合っている。
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食器棚に並べたいようなかわいらしい土器だ。
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上段は浅鉢だろうか。曲線を駆使した模様がユニークだ。
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次は亀ヶ岡遺跡へと向かう。明治20年に遮光器土偶が発見された場所だ。現在は広場になっていて、入り口には大きな遮光器土偶(もちろん模造品)が待ち構えていた。
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木造駅には、竹下内閣のふるさと創生事業で作られた「しゃこちゃん」と呼ばれる巨大な遮光器土偶があるが、今回はリフォーム中ということで見学できなかった。

そして、今日の最後の訪問場所の縄文館に向かった。
ここは亀ヶ岡遺跡から出土した遺物の展示館だ。個人から寄贈された土器類がたくさんあった。散逸した土器がこうして再開している場面を見るのは嬉しいことだ。

注口土器は何に用いたのだろう。お酒を入れる容器を想像させてくれるが、現代的すぎるかもしれない。
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この時代の特徴の一つである漆塗りだ。
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のんびりとした素朴さを感じさせてくれる壺型土器の勢ぞろい。
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何のための道具なのだろう。右にあるのは蓋に見える。
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歪みがひょうきんさを与えてくれる。
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とても簡素。
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茶器に使えそうな素朴さが良い。
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右側に進む模様と、左側に進む模様が並行し、少しゆがんだ形状とのアンバランスが面白い。
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浅鉢だろうか、落ち着いた感じだで、簡素な模様が良い。
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墨のように暗い壺。
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亀ヶ岡の3施設については、つがる市学芸員の方が親切に説明してくれた。このため楽しく見学することができた。しかし展示物に対する説明書きが整備されているとは言えない状態だったので、学芸員の方の説明なしでは、理解しにくかったことと思う。3万人程度の小規模な市が、これだけの文化遺産を維持することは大変だろうが、デジタル化などの新しい技術を取り入れて、来るべき世界遺産登録に向けて、遜色のない施設になるように努力して欲しいと感じた。学芸員の方の話では、3年後に新しい施設ができるということなので、素晴らしい博物館が誕生することを期待したい。

外に出ると、雨も上がり、紅葉がとてもきれいだった。そして、今夜の宿泊地の大鰐スキーの上にあるホテルへと向かった。
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