bitterharvest’s diary

A Bitter Harvestは小説の題名。作者は豪州のPeter Yeldham。苦闘の末に勝ちえた偏見からの解放は命との引換になったという悲しい物語

あつぎ郷土博物館に縄文時代を特徴づける土器を観に行く

あつぎ郷土博物館に行ってきた(9月16日)。ボランティア仲間から特別展が開催されていることを聞き、そのホームページで調べたら終了間近だと分かったので、おっとり刀で出かけた。交通案内を調べたら途中の道路が渋滞していたので、電車・バスを使用した。

厚木駅北口から、あつぎ郷土博物館行きのバスを利用。どうせ空いているだろうと高を括っていたら、そんなことはなく、途中に大学があり通学生でほぼ満員。運良く座れたからよかったものの、そうでなかったら30分近く、若い人達の中に埋もれて立ち続けることになり、見学のための体力は失われていただろう。大学前の停留所に着き、列をなして学生たちが降りたあとには、やはり博物館を訪ねるのだろうと思しき身なりの方と私の二人が、ぽつんと取り残された。

さらに10分近く走った後、終点の博物館に到着した。ここの博物館は3年前に新築され、こじんまりとした綺麗な施設である。

館内には特別と常設の展示室がある。常設展では、1200万年前の化石から現在までの「あつぎ」の風土・考古・歴史・民族・生物について、分かりやすい構成で伝えている。今日の目的は常設展ではなく、特別展「有孔鍔(つば)付土器と人体装飾文の世界」である。縄文時代には、人々は1万年にもわたって定住型の狩猟採集生活をした。定住を始めたことで、採集に必要な道具だけでなく、生活を便利にさらには豊かにするモノを作り出して利用するようになった。その代表的なものが、移動には不便な土器である。縄文の人々は、様々な形態の土器を生み出したが、中期(4500~5500年前)には、口縁に孔が開きそして鍔を有する有孔鍔付土器を生み出し、さらには中央部に人体に似せた装飾を設けることもした。これらの土器は、関東地方や中部地方を中心に見られるが、出土量の多さでは中部高地が目立っている。今回はこれらも含めて展示されていた。

それでは展示を見てみよう。最初は、国重要文化財の有孔鍔付土器。甲府市の一の沢遺跡出土である。口縁の近くに孔があり、その下は鍔のように広がっている。

胴体部を拡大、目、口そしてまた目だろうか?

甲州市安道寺出土の山梨県重文、

胴体部、中央に見えているのは蛇だろうか?

山梨県大木土遺跡出土、

笛吹市釈迦堂遺跡出土、国重文のミニチュア有孔鍔付土器、

何に使われたのだろう?特殊な形をしている諏訪市ダッシュ遺跡出土(諏訪市博物館所蔵)、

渋さが優っている長野県井戸尻遺跡出土、

寒川町岡田遺跡出土、

厚木市林南遺跡第7地点出土(手前)

胴体部、両側に蛇?それとも両手?

有孔鍔付土器が終焉を迎えるころの伊勢原市西富岡・向畑遺跡出土の小把手付壺、

ここからは人体装飾文がより鮮明な土器たちである。
元代表だろうか?厚木市林王子遺跡出土、

胴体部を拡大、神奈川県立歴史博物館にある頭部だけの土偶(?)と表情がよく似ている。

国重文の笛吹市釈迦堂遺跡出土、

胴体部を拡大、横に広げているのは手だろうか?先端は手首のように見える。

平塚市上ノ入B遺跡出土、

胴体部、対称性を強調した抽象化された人間だろうか?構図がとても面白い。

相模原市指定有形文化財の大日野原遺跡出土の人体文付土器、

胴体部を拡大、きれいな幾何学模様だ。魚のようにも感じられる。

調布市指定有形文化財の原山遺跡出土、

胴体部を拡大、怒っているのだろうか?目と口を強調しているのが印象的。

諏訪市ダッシュ遺跡出土(諏訪市博物館所蔵)、

胴体部を拡大、ひょうきん!印象に残る表情である。

有孔鍔付土器はなぜ使われるようになったかについてはいまだに解明されていない。有力な説は太鼓。

もう少し有力な説は酒造。縄文後期になると、注口土器が現れる。これは酒を注ぐためと説明する研究者もいるようだが、果たしてどうなのだろう。

縄文時代中期の土器は、装飾性に優れていて、見る人の目を楽しませてくれる。今回の有孔鍔付土器も、胴体部の装飾から、この時代の人々の精神的な豊かさを伺い知ることができ楽しめた。常設展も厚木の歴史が分かり、優れた展示であった。

1時間おきにしか出ないバスに乗り込んで帰路に就いた。例の大学の前では、学生たちが長い列を作ってバスを待っていて、乗り切れない。朝にもまして詰め込まれ、学生たちは身動きができない。さらに途中の停車所からは、杖を突いた老人たちが、入り口のステップへと乗り込んできた。押し合いへし合いになるほどの混雑で、老人たちが転ばないかと心配になった。はるか昔の高校生のころにしか経験したことのないような光景に出会い、びっくり(もっともその頃は若い人だけで、老人が乘ってくることはなかった)。長い車中だったのだが、その長さを感じることはなく、学生たちの毎日の通学の苦痛とこの路線上に住む人々の不便さに胸が痛んだ。博物館の余韻もすっかり冷めたころ、終点の厚木駅に到着した。博物館で味わった楽しさと、満員のバスに対する不安・不満とが入り混じった、複雑な一日だった。