bitterharvest’s diary

A Bitter Harvestは小説の題名。作者は豪州のPeter Yeldham。苦闘の末に勝ちえた偏見からの解放は命との引換になったという悲しい物語

高崎市・かみつけの里博物館を見学する

高崎市には歴史博物館が多い。今回はその一つのかみつけの里博物館の見学である。

博物館の入り口。

展示室に入ると大きなジオラマがある。6世紀初めに榛名山が噴火し、保渡田古墳群とその周辺が受けた影響を描き出してくれる。右上には二子山古墳・八幡塚古墳・薬師塚古墳があり、右下や左上に集落がみられる。

古墳時代の豪族の館のジオラマもある。三ッ寺1遺跡からは、豪族の館跡が発見された。これは古墳時代のものとしては初めてのものであり、これまでに発見されている豪族居館としては、最も整った構造である。榛名山東南麓の井野川流域を拠点とした王は、この館にあって、上毛野を代表する勢力として活動した。この居館の中には、政治の場と祭祀の場が一緒に取り込まれ、王の活動を支える補助部門も付属するなど、構造的に作られている。

発見された遺物。





八幡塚古墳のジオラマ

埴輪。









高崎市下芝五反田遺跡出土の朝鮮三国系の軟質土器。朝鮮半島の技法でつくられた土器を朝鮮三国系土器と称している。その中には、祭祀などで使用される硬質な陶質土器と、日常生活で使われる赤焼きの軟質系土器の二種類がある。ここに展示されている土器は、日本へ渡来した半島の人たちが、生活道具として、土器技術を忘れないうちに作ったもので、渡来第一世代がこの地にいたことを示すものである。


飾履(高崎市下芝谷ツ古墳出土)。5・6世紀ごろの朝鮮半島では、金製・銀製・金銅製の装身具が豪族たちの身分差を示すために使い分けられていた。同じころ、半島の影響を受けた日本でも、金色の装身具・武器・武具・馬具が流行した。中でも装身具は、冠・耳飾り・帯金具・飾履(しょくり)など多彩だった。足元を飾る飾履は19の出土記録があるのみで、全形をとどめるものは5,6例に過ぎない。飾履を入手するルートを有していた豪族は非常に限られていて、極めて貴重な装飾品である。


帰りのバスまで時間があったので、近くの寺・大円寺を参詣した。
山門。

本堂。箕輪城主長野業盛の大きな絵馬が、壁の右上に飾られている。彼は上杉氏側の武将として活躍したが、武田信玄の猛攻によって破れ、自害した。

高崎市指定重要文化財大円寺木彫阿弥陀如来坐像が祀られている御堂。

これで3泊4日のクラス会ならびに古墳巡りの旅は終わりである。長野と群馬の二つの古墳は、これまで見学したいと思っていたが、コロナなどの影響もあり、なかなか実現出来なかった。今回、中学の時のクラス会が久しぶりに開催され、その前後を挟むようにして古墳巡りを加えた。二つの古墳とも、想像を超えて輝いていた。尾根の上に作られた森将軍塚古墳は、曲がった形の前方後円墳で苦労して築造したことがよくわかった。また保渡田古墳群は、復元した古墳と草に覆われた古墳の対比が見事で、古代と現在の姿の両方を知ることができ、有意義であった。次は、新潟で縄文時代の土器を見たいと思っている。