bitterharvest’s diary

A Bitter Harvestは小説の題名。作者は豪州のPeter Yeldham。苦闘の末に勝ちえた偏見からの解放は命との引換になったという悲しい物語

森将軍塚古墳館で大規模な竪穴式石室を見学する

古墳を見学した後は、出土品を展示している古墳館を見学した。2階の展示室に入室してまず目につくのは、中央部に設けられた大きな竪穴式石室である。古墳での埋葬方法は、竪穴式石室、粘土槨、横穴式石室など複数種類ある。竪穴式石室は、他の埋葬施設と同じように棺を納める場所であるが、その納め方に次のような特徴がある。棺を収納した後、側壁をさらに積み上げ、大きな石などで蓋をして、棺を守るように包み込むように守る施設で、縦方向からの作業に特徴がある。

森将軍塚古墳の竪穴式石室は、長さ7.6m、幅2m、高さ2.3mで日本最大規模、床面の幅が特に広いのが特徴である。この石室は、「墓壙」と呼ばれる二重の石垣で構築された穴の中に築かれる。墓壙は、長さ15.0m、幅9.3m、高さ2.8mである。石室内には先ほど説明したように木棺が納められる。
竪穴式石室を見てみよう。石を並べていくだけの構造物だが、科野のクニの王の遺体を埋葬するために、多くの人の労力と協力を必要とする作業を伴っている。そして置石で内部の空間を維持させる工法も持ち合わせていなければならないことも分かる。


森将軍塚古墳のジオラマ。古墳が築かれた時代の人々は、田の作業に疲れた時、一休みしながら、遠くに目線を置いてこの大きな構造物を山の中腹に眺めたことだろう。

埴輪。左奥から円筒埴輪、壺型埴輪、円筒埴輪。手前は左から家形埴輪片、匏(ふくべ)型土製品。埴輪で墓を囲むことで、死者が住む特別な聖域にしたのだろうか。このころの宗教観については、あまり分かっていないようである。

墓の中に埋葬されていた副葬品。三角縁神獣鏡の一部と模型。ヤマト王権との繋がりを示すもので、それが強い場合には中国製の大型の鏡が、弱い場合には和製の小さな鏡が贈られたようだ。とても貴重なものだったことだろう。

剣。鏡と同様、これも威信材の一つ。

剣と管玉。

矢じりと管玉。

埴輪を棺として利用。この時代は幼児の死亡率が高かった。幼児を葬るときに、二つの埴輪を向かい合わせにして繋げ棺にした。

須恵器大甕。5世紀初め、日本で須恵器が焼かれ始めた頃のもので、形の特徴や材質の分析から大阪府堺市近くで作られ、ここに運ばれてきた。古墳時代の物流を示す貴重な遺物である。鏡や剣だけでなく、日用品も交流品として使われていたことを示す。

古墳から出土した土器。

この時代の土器(灰塚遺跡)。土師器が多い。須恵器はまだ貴重品だったのだろう。

また屋外には古墳時代のムラが復元されていた。人々は竪穴住居で生活していた。

倉庫は、湿気ないように、高床になっている。

住居をもう少し詳しく見ていこう。



見学が終わった後、しなの鉄道で長野へ向かった。列車は一時間に1~2本しか来ない。全ての人がと言っていいくらい、車での生活になっているので、極めて補助的な役割しか担っていない。

昨日、森将軍塚古墳を見学してきたと、ボランティアの仲間に紹介したところ、長野と東京を行き来している人がいて、新幹線からも見えると教えてくれた。大きな構造物をつくったものだと、いまさらながら感心させられた。古墳を作る技術が、農業技術の発展をもたらし、この発展が、さらなる土木工事の発展をもたらしたのだろう。技術史の観点からも、この古墳が教えてくれるものは大きい。