bitterharvest’s diary

A Bitter Harvestは小説の題名。作者は豪州のPeter Yeldham。苦闘の末に勝ちえた偏見からの解放は命との引換になったという悲しい物語

長野・善光寺を訪れる

この季節は日が長い。長野に戻り、ホテルにチェックインしてしばらく休んだ後でも、陽が高かったので、善光寺詣りをすることにした。善光寺には子供の頃からたびたび訪れているので、よく知っているはずの寺だが、その由来については知らない。Wikipediaで調べてみると、その創建は不明であった。善光寺縁起に関する一番古い記録の『扶桑略記』(1107年以前成立)によれば、「欽明天皇13年(552)10月13日、百済国から阿弥陀三尊が渡来し、摂津国難波津に着いた。その後37年を経て仏法が一般に行われるようになった。この三尊がわが国最初の仏像であるところから本師如来と呼ばれるようになった。推古天皇10年(602)4月8日、仏の託宣があり、信濃国水内郡にお移しした。この仏像がすなわちいま善光寺の三尊である。ある記に云う。信濃国善光寺阿弥陀仏がすなわちこの像である。推古天皇の御時壬戌4月8日、秦巨勢大夫に命じて信濃の国にお送りした。」となっている。

善光寺長野駅から2kmの距離にあり、歩いて30分弱である。歩き疲れたと感じた頃、仁王門に辿りついた。流石に立派な門である。大正7年(1918)に再建された。

高村光雲作の仁王門。


山門へと向かう参道

釈迦堂。本尊の銅造釈迦涅槃像は重要文化財

重要文化財の山門。寛延3年(1750)に完成。


大勧進天台宗の本坊。善光寺無宗派の単立仏教寺院である。山号は「定額山」で、山内にある天台宗の「大勧進」と25院、浄土宗の「大本願」と14坊によって維持・運営されている。

国宝の本堂。


重要文化財の経堂。宝暦9(1759)年に完成。内部には元禄7年(1694)に寄贈された鉄眼黄槃版『一切経』全6771巻が納められている。

むじな灯籠。下総国のむじなが、殺傷をしなければ生きていけない自らの罪を恥じ、人の姿に化けて参詣した。むじなは灯籠を寄進したいという願いを持っていたが、宿坊でむじなの姿のまま入浴したところを人に見つかり逃げ去った。むじなの思いを宿坊の住職が知って灯籠を立てた。

日本忠霊殿。戊辰戦争から第二次世界大戦までの戦没者を祀る慰霊塔で三重塔の形になっている。

ぬれ仏。明暦の大火を出したといわれる八百屋お七のためという伝承があるため「八百屋お七のぬれ仏」ともいわれる。

帰りは流石に疲れたので、長野電鉄善光寺下駅よりホテルに戻った。

善光寺はいつ訪れても混んでいたが、この日は夕方だったためか、山道にはそれなりの人数の参拝者がいたが、境内に入るとがら空きで、初めてゆっくりと参拝することができた。また国宝や重要文化財の建物も人に邪魔されることなく、その重厚な姿を写真に収めることもできた。