bitterharvest’s diary

A Bitter Harvestは小説の題名。作者は豪州のPeter Yeldham。苦闘の末に勝ちえた偏見からの解放は命との引換になったという悲しい物語

神奈川県立歴史博物館で「華ひらく律令の世界」を見学する -仏具-

前回のブログでは国や郡の有力な初期寺院を紹介したので、今回はこれに次ぐ寺院からの出土品を中心に説明する。国分寺の造営によって仏教は地方に浸透し、8世紀から9世紀にかけては集落に隣接した場所で、仏教寺院が建立された。このようなものを「村落内寺院」と呼んでいる。

愛名宮地遺跡(厚木市)も、厚木市を含む古代東国の集落内に仏教信仰が浸透していたことを裏付けてくれる。この遺跡から発掘された瓦塔は、木造の塔を模倣して作られた土製の小塔で、仏教信仰の対象とされていたであろう。基壇の上に軸、屋蓋、相輪が重ねられ、平安時代(9世紀前半頃)に製作されたと考えられている。瓦塔が出土したところからは、「寺」と書かれた墨書土器、鉄鉢形土器、大量の灯明皿、鉄釘などが出土しているので、仏堂などの仏教関連施設であったと想定されている。
瓦塔

土師器と須恵器

鉄製品の釘

8世紀後半から9世紀にかけては、仏教が一定の浸透を見せたとされ、その一端に葬送方法がある。奈良・平安時代には土葬・火葬で埋葬され、火葬では土師器・須恵器・灰釉陶器の蔵骨器が用いられた。
野川南耕地古墳群(川崎市宮前区)の蔵骨器

武蔵国国分寺周辺からも仏教関連の遺物が発掘されている。観世音菩薩像は、武蔵国分寺尼寺寺域確認調査時(昭和57年)に、僧寺と尼寺の間を南北に走る東山道武蔵路に当たる道路遺構上面から発見された。頭部に阿弥陀如来の化仏を施した低い三面宝冠をいただいている。白鳳時代後期(7世紀後半~8世紀初頭)頃に制作されたと考えられている。

武蔵国分寺関連遺跡の緑釉陶器

多喜窪横穴墓群(国分寺市)の緑釉陶器

武蔵国都築郡からの仏教関連の遺物が見つかっている。
北川表の上遺跡(横浜市都筑区)の灰釉陶器、

須恵器。

武蔵国橘樹郡からの仏教関連の遺物が同じように発見されている。
有馬古墓群台坂上グループ(川崎市宮前区)の須恵器、

細山古墳群大久保古墓(川崎市多摩区)。

最後は神事に関連する遺物である。荷物の輸送のために川が利用されたようで、高座郡では小出川の旧河道が発見され、川津(荷の積み下ろしをする場所)があった。そこからは木製の人形が出土している。これらはケガレを払う儀式によって川に流されたと考えられている。ケガレを移す先は人形で、多くは木製であった。同じように人の顔が書かれた土器も発見されている。これらも祓いなどに使われたと考えられている。
箱根田遺跡(三島市)の土師器(人面墨書)。


南鍛冶山遺跡(藤沢市)の人面墨書、

灰釉土器。

この展示は素晴らしいと思う。律令制が敷かれたころの地方の状況については書物を読んだだけでは具体的なイメージが湧かず、どの程度、行き渡っていたかについてはかなり疑問に思っていた。今回、神奈川県下の国衙、郡家、官寺などから出土した遺物により、かなりはっきりとイメージを得ることができた。これは県下での高速道路を始めとする大型工事の恩恵ともいえるのだが、他方で大型工事が過去の遺産にダメージを与えてもいるので、文化遺産の保護を徹底して欲しいと改めて思った。