bitterharvest’s diary

A Bitter Harvestは小説の題名。作者は豪州のPeter Yeldham。苦闘の末に勝ちえた偏見からの解放は命との引換になったという悲しい物語

武相寅歳薬師如来霊場(7):福泉寺・祥雲寺を訪ねる

今日は横浜線のさらに北側の長津田駅から町田駅までの間にある二つの寺をめぐった。

最初に訪問する寺院は福泉寺。長津田駅からそれほど遠くないところにある。駅周辺には、この地域では大規模といえる大林寺がある。

そして板碑(写真右)は横浜市内では最大の高さで180cmを誇る。

国道246号線に沿って歩いていると、福泉寺の石碑が目に入ってきた。

本堂には小ぶりな金色の薬師如来、その左右には日光・月光が祀られていた。

ホームページに紹介されている縁起によれば、福泉寺は明応元年(1492)に尊祐により開山された。そして江戸時代、長津田の領主岡野房恒により、村の鎮守である王子権現の別当寺にされた。しかし檀家を持たない祈禱寺であったため、明治20年ごろには衰退した。明治時代後年になると山崎戒心が近隣信者の協力を得て小さな建物を建てて復興した。昭和45年には現在の本堂が再建されたそうである。

境内には、様々な石像が安置されていた。弘法大師立像、

ぼけ封じの楽壽観音、

掃除小僧、

また縁起にあった王子神社の鳥居、

本殿、

次の寺に向かう途中、つくし野駅近くで旧大山街道(現在国道246号線)を見つけた。

江戸時代の庶民は、この道を通って、「大山詣り」を楽しんだことだろう。

1985年の「金曜日の妻たちへⅢ恋におちて」、1990年の「ダブル・キッチン」、2016年の「僕のヤバイ妻」で、TVドラマのロケ地となったつくし野の駅前、

そうこうしているうちに目的地の祥雲寺に到着した。

祥雲寺も、この寺院のホームページで縁起を紹介している。大永6年(1526)に、寥堂秀郭を開山とし、小田原北条家の武運長久を祈願されて建立された。当時、北条家より寅の判の朱印地寄付があり、徳川時代になっても、家光をはじめとする将軍から9通の朱印地として寄付された。伽藍は享保年間の災禍や関東大震災の被害を被りながら復興。昭和51年に本堂・客殿、平成3年より寺院所有地の整備が始まり、平成14年には瑞祥閣が落慶したとなっている。

本堂には小ぶりで金色の薬師如来が祀られていた。住職のお話では、この薬師如来は昭和60年に原町田の宗保院より祥雲寺に安置されたとのことであった。

山門、

観音堂

池、

境内には様々な石仏があった。
十二支の守り本尊

小僧さんの十二支像

六地蔵

いねむり小僧、

帰路途中、町田市中央図書館の前に、モダンな彫刻が設置されていた。石仏ばかり見てきたので、とても新鮮に感じられるとともに、現実の世界に呼び戻された。