bitterharvest’s diary

A Bitter Harvestは小説の題名。作者は豪州のPeter Yeldham。苦闘の末に勝ちえた偏見からの解放は命との引換になったという悲しい物語

武相寅歳薬師如来霊場(5):林光寺・東観寺・寶塔院・萬藏寺を訪ねる

今日は、最高気温が20℃に達しないので、寺院巡りに向いているが、どんよりしているのが気になる。案の定、途中から雨が降り出し、5寺巡ろうと思っていたが、他のアクシデントも重なって、最後にと予定していた寺は、次の機会となった。訪れるところは、横浜線鴨居駅周辺と中山駅までとした。

最初に訪れたのは、林光寺。寺院の入り口には、奇妙なことに、二つの寺の名前が記されている。

砦のような楼門が現れた。

山門の手前には池、

そして石仏、

山門をくぐってすぐのところに薬師堂があり、薬壺を持った立派な薬師如来が祀られていた。あとで調べて分かったのだが、ここは西光寺で、かつて鶴見川沿いにあったが、一度移転したあと、明治11年に、林光寺の境内に移ってきたとのことであった。このため入り口にはこの寺の名も記されていたのだと納得した。

林光寺の山門、

そして本堂。林光寺のホームページによれば、室町時代後期の宝徳元年(1449)に僧・義慶が開祖、戦国時代末の慶長年間(1596-15)に僧・誓順が再興、文政元年(1818)と明治27年(1894)の災禍で堂塔焼失、昭和49年より平成7年まで長い期間をかけて復興された。鴨居山の中腹1万坪の境内に本堂・薬師堂・楼門・客殿・庫裡などで大伽藍を構成している。今回の霊場巡りでは、これまでで一番大きな規模の寺であった。

境内には藤の花も、

墓所からみた薬師堂と鴨居の街、

次は東観寺へ行く。山門、

東観寺の創建年代は不詳だが、天平年間に行基がこの地に観音菩薩を安置して草創したと言われている。平安時代に快圓が堂宇を修造、そのあと廃寺となっていたが、戦国時代に小机城主笠原越前守信爲が開基となる。そして江戸時代の初めに法印義印(慶安5年(1652)寂)が再興したとされている。本堂、

池、

観音堂では、右側に木造の薬師如来が祀られていた。中央は聖観音像だが、公開されるのは10年後とのこと。左には勢至菩薩像が並んでいた。

次は寶塔院。創建年代は不詳、正徳年間(1711-15)に堂宇を建立した祐圓を中興とする。

観音堂。金色の薬師如来が祀られていた。

本堂、

最後は萬藏寺。創建年代は不詳。文禄元年から住職を務めた法蔵法印が中興したとされている。仁王門、

金色の光背を有する木造の薬師如来が祀られている薬師堂、

本堂、

観音菩薩

もう一つお寺を回ろうとしたが、間違って住宅街に入り込んでしまい道が分かりにくくなってきたことと、雨が降り出したことが重なり、残念ながらここで中断した。

今回参拝したお寺のほとんどは、荘厳で見ごたえがあった。この辺りは鎌倉時代から交通の要所だったので、その名残があるのだろうと推察した。