bitterharvest’s diary

A Bitter Harvestは小説の題名。作者は豪州のPeter Yeldham。苦闘の末に勝ちえた偏見からの解放は命との引換になったという悲しい物語

武相寅歳薬師如来霊場(8):東光寺・安全寺・野津田薬師堂を訪ねる

遂に最終日。残された三つの寺を巡るだけとなった。すっきりしない日が続いたが、今日は午後には晴れて気温が高くなるというので、その前に出かけることにした。訪問するお寺はいずれも町田市の中央東側で、電車の駅からは遠く、バス利用の不便なところである。これまで散策も兼ねて、最寄り駅から徒歩でお参りをしていた。しかし今回は、最終目的地の寺院がある薬師池公園の周りを散策することにして、お寺巡りは自家用車を利用した。参考までに徒歩でのコースは、永山駅から町田駅までとなる。およそ3時間、鎌倉街道に沿ってである。

最初に訪れたのは東光寺。町田市史によれば草創はとても古い。平安時代の斉衡・元慶(854-884)に、上総・下野などで蝦夷俘囚の反乱が起きたとき、朝廷は入唐八家で有名な円仁を東方宣撫した。円仁は東国各地に東光寺を建てたが、この寺もその中の一つとされている。そのあと江戸時代前期の寛文4年(1664)に含室傳秀が開山、さらに明治維新後に廃寺となっていたこの寺を中村秀雄和尚が復興した。

本堂には、小ぶりで金色の新しい薬師如来が、左右に日光・月光菩薩を伴って、一つの厨子の中に祀られていた。

境内の小高いところには、千手観音が安置されていた。

山門、

次は安全寺。町田市史にはこの寺の縁起は次のように記されている。開山は伊俊、室町時代の嘉吉2年(1442)寂した。また寺の過去帳には、正長・永享のころ(1430年前後)、孤岩が開山と記されている(同一人物の可能性もあるようだ)。

薬師堂には、同じ厨子の中に、くすんだ金色の薬師如来(高さ1尺5寸)、日光・月光菩薩が一緒に祀られていた。受付の人の話では、江戸時代のものらしい。この周りには同時期と思われる十二支も安置されていた。

本堂、

境内にはいくつかの石仏があった。六地蔵

最近造られるようになったのだろうか、全ての老人の最大の悩みを解決してくれる「ぼけ封じ観音」、

掃除小僧

鐘楼、

武相寅歳薬師如来霊場巡りもいよいよ最後。野津田薬師堂で受付の案内の女性に、「ここが25寺目で最後です」と告げたところとても喜んでくれ、「私もここの薬師様が一番いいと思っている。最後に選んでくれてありがとう」といわれた。そして「ぜひ結願(けちがん)をしてください」とも言われた。

野津田薬師堂は通称で、正式には福音寺薬師堂という。町田市の観光ガイドによると、明治16年(1883)に再建された。この堂の薬師如来天平年間(1270年前後)に行基により彫られたと、現存する寺の巻物には記されているそうである。古来より、眼病に御利益があるとのことであった。

この寺の釈迦如来は、町田市にある木の仏像では最も古い仏像であることが認定され、町田市の文化財に指定されている。釈迦堂の中には、屋敷のような構えの構造物があり、その内部の中央に薬師如来、右側に日光菩薩、左側に月光菩薩がそれぞれの厨子に安置されていた。薬師如来は木造で、厨子一杯に納められており、のぞき込まないと全体が見えない。今回これまでに参拝した新しい薬師如来と比較すると素朴な感じで、長いこと信仰を支えてきたのだと思うと、感慨深いものがあった。

野津田薬師堂の周辺には薬師池がある。

周囲は公園になっていて、あとひと月もすると、菖蒲がきれいに咲くことだろう。小さな谷戸を利用して棚田となっている菖蒲の畑に水を引き込んでいた。

最後に結願証をもらうために受付に寄った。住職も副住職も出かけているということで、郵送してもらうことにした。

これで、8日間かけての霊場巡り、そして25寺院のそれぞれの薬師如来の参拝を完結した。今年はさぞかしご利益に恵まれ、健康な日々を送れるだろうと期待して、帰路についた。