bitterharvest’s diary

A Bitter Harvestは小説の題名。作者は豪州のPeter Yeldham。苦闘の末に勝ちえた偏見からの解放は命との引換になったという悲しい物語

天橋立を見学するー三方五湖と五老ヶ岳へ

8月も末になれば涼しくなるだろうと申し込んでおいた天橋立への旅行は、見事に裏切られすさまじい酷暑の中でとなった。これに雨が降ったら最悪だったのだが、ギラギラと輝く太陽と真っ青な空が迎えてくれた。旅行を申し込んだ時は、雪舟天橋立に関わる裏話を読んだばかりだったので、歴史散策を楽しもうと目論んだ。しかしこの猛烈な暑さでは歩き回ることは熱中症にも直結するので、風光明媚な景色を汗を流さずに享受しようと方針を変更した。旅行の日程を詳細に見ると、福井県から京都府に至る若狭湾の海岸に沿って、景色の良いところを巡るように組まれている。久しぶりに、歴史のことは傍に置いて、景色を楽しもうと心新たにして旅路についた。

今回の旅行の一日目は、新幹線で岐阜羽島駅まで行き、そこからバスで三方五湖・五老ヶ岳公園を見学して、宮津のホテルに宿泊。二日目は、四所駅から栗田(くんだ)駅まで京都丹後鉄道、伊根では伊根湾巡りの遊覧船、天橋立の傘松公園ではリフト・ケーブルカーと、景色だけではなく乗り物も楽しめるようになっていた。

綺麗な景色を記録に残せるようにと、魚眼レンズが使える一眼レフのカメラを携行した。車中では時間を潰すために、関口正司著『J・S・ミル-自由を探求した思想家』を読んだが、新富士駅の近くでは、前から一度富士山を撮ろうと考えていたので写真に専念した。富士山に最も近づいたとき、水墨画の夏珪の構図に似せて、右下に富士山、左上の空間は大きくして、「辺角の景」に挑戦してみた。

富士宮市は製紙工場が盛んなところなので、工場の一角から覗くようにした富士山。会社の宣伝も入り込んでいるのだが、やはり邪魔に感じられる。

浜松付近の農村風景。立派な耕運機を操作して、実りの秋を喜んでいるように見えてほほえましい。

岐阜羽島駅で降り、バスで高速道路に入り、途中の賤ヶ岳SAで昼食をとり、三方五湖へと向かった。賤ヶ岳は、徳川家康柴田勝家が戦ったところである。今年のNHK大河ドラマ「どうする家康」で丁寧に描いてくれることを願ったのだが叶わなかった。サービスエリアの南西3kmの辺りにその場所がある。

三方五湖は、淡水の三方湖、汽水の水月湖・菅(すが)湖・久々子(くぐし)湖、海水の日向(ひるが)湖からなり、地下で繋がっている。しかし水質が異なるために、水の色は各々異なる。また水月湖の湖底から7万年間にわたって蓄積された地層がボーリングされた。これは年縞と呼ばれ、考古学や地質学での年代測定の「世界標準ものさし」に採用されている。

山頂公園へと導くリフト。左側は日本海若狭湾、右側にひっそりと見えるのは日向湖

山頂公園から見た三方五湖。右側は日本海、中央は水月湖、その奥は三方湖水月湖の左奥で繋がっているところは菅湖、左は久々子湖。その手前にある日向湖は山に隠れてみることができない。

水月湖とその奥の菅湖、右奥は三方湖

水月湖三方湖

若狭湾。山頂公園から南西方向、五胡が南東から南の方向だったので、さらに西の方を向いたところ。

反対側に出て北東方向。ロープウェイを登るときに見た岬。

公園にはメヴィウスの輪もあった。「無限に続くメヴィウスの輪のように二人の愛が永遠に続くように」というメッセージがこめられている。

レインボーラインを走っているときの車窓から見た日向湖。この湖だけは前に述べたように海水で、水産業が盛んで「はまち」の養殖が行われている。

次は舞鶴湾を一望に見渡せる五老ヶ岳公園へ向かう。

五老スカイタワーをエスカレーターで登る。

舞鶴湾の全景。

舞鶴国際埠頭。

舞鶴湾入口。

宿泊はホテル&リゾーツ京都宮津。中央に緑の帯のように微かに見える天橋立の向こうに陽が沈み、部屋の窓から静かなサンセットを楽しめた。明日はいよいよ、この天橋立の見学である。