bitterharvest’s diary

A Bitter Harvestは小説の題名。作者は豪州のPeter Yeldham。苦闘の末に勝ちえた偏見からの解放は命との引換になったという悲しい物語

町田市立国際版画美術館で「楊洲周延 明治を描き尽くした浮世絵師」を鑑賞する

家からそれほど遠くないところに版画美術館がある。ここには、桜の花が綺麗な時期に、花見ついでに立ち寄ったことはある。しかし展示の内容を知って訪れたということはついぞなかった。今回、知人から楊洲周延(ようしゅうちかのぶ)の展示があり、しかも11月22日はシルバーデーで無料だということを教えてもらった。この日は午後から用事があったので、朝一番に少しだけれども時間を作り訪れた。

Wikipediaによれば、この美術館は日本国内では数少ない版画専門の美術館として、町田市内の芹ヶ谷公園内に、昭和62年(1987)開館した。国外からはヨーロッパ中世から現代まで、国内からは奈良時代から現代まで、広く版画作品を蒐集し、その収蔵数は27,000点以上に及ぶと紹介されている。

正門には、企画展の大きな掲示があった。

秋も深まった美術館。

美術館に隣接する芹ヶ谷公園。

10時開館だが、シルバーデーをうまく利用しようとする人たちの出足は早く、館についたころには長い列になっていた。

図録によれば、楊洲周延(1838~12)は次のように紹介されている。彼は幕末から明治末に活躍し、優美な美人画から躍動感のある役者絵、戦争絵、歴史画、時事画題を描き、「明治」という時代を描きつくした浮世絵師である。同時に、高田藩江戸詰藩士橋本直怨(なおひろ)の嫡男忠義(ただよし)として生まれ、幕末期には戊辰戦争に参戦した武士でもあった。若いころには歌川国芳の門で画技を学び、国芳が没すると3代豊国のもとへ移り、彼も没すると豊原国周(くにちか)の門下となった。慶応年間になると「周延」落款の作品も見られ、絵師としての歩みを始めた。しかし戊辰戦争に参加した時期には、絵師としての仕事は中断された。そして浮世絵界に明治8年(1875)頃戻ってきた。

明治10年(1877)、鹿児島・熊本を中心に起こった西南戦争の戦況を伝える戦争錦絵の需要が急増する。周延も激しい戦場の様子を臨場感あふれる表現法で描き出した。

戦争錦絵のあと、自らの可能性を拡げるように美人・役者・時事など多様なテーマに取り組んだ。中でも天皇・皇后・女官などの御所絵はこの時代特有の鮮やかな赤を用いて華やかに描き出した。
緋袴に袿(うちき)を身につけた女性たちに囲まれて、中央のお垂髪(すべらかし)をした女性は皇后のようである。

同時期に描かれた役者絵も、師匠の国周に倣いながらも、背景描写や人物配置でどこか異なる味を出そうと工夫をこらしている。

明治維新から20年、女性たちの生活様式に西洋化の波が訪れ、洋服や西洋風の髪型が現れる。この風景画では、明治天皇が右端に、パッスル・ドレスの女性3人が、雨上がりの後の虹とともに描かれている。

季節は春、洋装と和装の女性が一緒に描かれている。

楽器の合奏と合唱する男女が描かれている。大和田建樹(たけき)の唱歌「岩間の清水」を披露中。

明治22年(1889)に上野で「江戸開府三百年祭」が開かれ、旧幕臣たちを中心に江戸を回顧する風潮が沸き起こった。その当時を描くだけでなく、江戸市井の生活風俗も描いた。

明治20年代中頃より浮世絵界は錦絵の刊行数が減少して衰退期に入る。周延の制作点数もあまり多くないものの、バラエティーに富んだ揃物・新聞挿絵・門人育成などの幅広い活動が行われた。
中国に古くから伝わる24人の親孝行の逸話を描いた揃物。

浅草の新しいランドマークである「凌雲閣」と「鳳凰閣」を山の手の令嬢たちが訪問。

周延の門人である楊堂玉英が描いた江戸名所の江戸橋郵便局。

明治26年(1894)、帝国博物館総長・九鬼隆一から委託され、シカゴ・コロンブス万国博覧会に「江戸婦女」を出品、本作に描かれた多くの女性像は以後周延を象徴する画題となった。
江戸城大奥の様子を描いた揃物。江戸時代には大奥を描くことは許されなかったが、明治20年代後半になると、江戸時代を回顧する風潮とともに、当時を記録した書籍が次々と出版された。

時代かゞみは建武期から明治期までの各時期の女性風俗を描いた揃物で、図は元和の頃。

美人像を描いた揃物。


60歳代になっても、引き続き江戸風俗・美人画・歴史画に取り組んだ。

300点にも及ぶ作品を鑑賞し、楊洲周延にすっかりなりきったところで、仲間たちが待つ藤澤浮世絵館へと向かった。ここでは学芸員の方から説明を受けた後、「なぜか忠臣蔵」と「藤沢のヒーロー小栗判官江戸歌舞伎」とを鑑賞した。浮世絵漬けの1日であった。

浮世絵は、子供の頃はマッチ箱のラベルにも描かれているような身近な存在で、芸術品として感じたことはなかったけれども、今日では美術館に展示されるような存在となったことに、時の移り変わりを改めて認識させられた。