bitterharvest’s diary

A Bitter Harvestは小説の題名。作者は豪州のPeter Yeldham。苦闘の末に勝ちえた偏見からの解放は命との引換になったという悲しい物語

横浜市の郊外にある中山恒三郎家を訪ねる

桜の時期にはまだまだ早いけれども、ワシントンのポトマック河畔に桜の木を植樹することを最初に提案したのは、エリザ・シドモアさんである。この提案は何度も拒絶され、実現には24年を要した。彼女は紀行作家で、在横浜米国総領事館に勤務していた兄を訪ねて明治17年(1884)に来日、そのあとも何度か足を運んでいる。

これらの旅行をもとに明治24年(1891)に"Jinrikisha Days in Japan"を著した。昭和62年(1987)には恩地光夫さんが最初の1/3ほどを翻訳して、『日本・人力車旅情』として上梓された。横浜や東京の訪問地を紹介している(注:外崎克久訳『シドモア日本紀行』はすべてが翻訳されている)。

この記事では、知っている人の方が少ないことと思うが、横浜市都筑区川和町の豪商中山恒三郎さんを取り上げる。この旧家は江戸時代から酒類販売・荒物雑貨・呉服織物を手掛け、明治時代には醬油製造・製糸業などで家業を拡げた。

川和は平塚(徳川将軍家の御殿である中原御殿所在地)から江戸に抜ける中原街道に面した交通の要所で、中山家は地の利を生かして商売をしていたと思われる。

中山恒三郎さんは、商売の傍ら養菊の栽培にも力を入れ、明治末には1500種もの菊を栽培していた。自宅の菊園「松林圃」では、観菊展が開かれ各界から賓客が招かれた。シドモアさんもその一員だったのだろう、写真入りで訪れたときの様子を説明している。

私は、賓客たちが中山家に残した書画の話を聴くために、今週の日曜日(27日)に川和を訪れ、さらに中山家にも立ち寄り、いくつかの建造物を写真に撮った。

静かな佇まいの書院。この日もいっぱいの晩秋の陽を浴びて、訪問客はそれぞれに古き良き日を懐かしんでいたことだろう。

書院の庭先の向こうに、小高くなった場所に「松林社」がある。中山家の守り神だろう。

豪商であったころの名残りを伝える店蔵(左)と麴室(右)。

麹室の中は、民具・農具で溢れかえっていた。

横浜市歴史博物館では、中山家に残されている古文書を整理されているそうなので、いつの日か特別展が開催され、公開されることを楽しみにしている。