bitterharvest’s diary

A Bitter Harvestは小説の題名。作者は豪州のPeter Yeldham。苦闘の末に勝ちえた偏見からの解放は命との引換になったという悲しい物語

佐藤雫著『言の葉は、残りて』を読む

この本は、鎌倉幕府第三代将軍・源実朝とその妻・信子の愛を主題としている。描かれるのは、武家の荒々しさではなく、王朝文化を思わせるような、雅で哀切なロマンスである。本書との出会いは、まさに偶然の産物であった。大学の図書館のオンライン検索で各新聞社の書評を探していたとき、沢木耕太郎の『暦のしずく』に目が留まった。ノンフィクション作家として知られる彼が、初めてと思われる時代小説に挑んだことに興味を覚え、地域の図書館で借りてみようと考えた。ところが、この本は人気が高く、貸出待ちは五十人近くに及んでいた。そこで購入を検討し、Amazonで価格を確認すると、二千円を超えていた。この価格では、期待外れだった場合の損失が大きいと感じた矢先、Amazonの「この本を求めている人は次の本も購入しています」というリストの中で、『言の葉は、残りて』という一冊に出会った。「言の葉」という言葉の響きに心を惹かれ、紹介文を読んでみると、実朝を題材にしていることが分かった。和歌に秀でた彼を捉えるのにふさわしい表現だと感じた。さらに価格を見ると七百円台。数日間の読書体験がこの価格で得られるならば、十分に価値があると判断し、購入することにした。

実朝の存在を初めて意識したのは、もうずいぶん昔のことになる。今から七十年ほど前――小学五年の遠足で鎌倉を訪れた日の記憶である。川崎郊外の小学校からバスで出発し、途中横浜を通過した際、バスガイドの女性が「ここは美空ひばりさんの生まれた所です」と説明してくれたのを、なぜか、その記憶だけを鮮明に覚えている。おそらく当時の若い女性にとって、美空ひばりは特別な存在だったのだろう。歌を交えて熱く語る姿が、今も記憶に残っている。肝心の鎌倉については、大仏の前で集合写真を撮ったことと、鶴岡八幡宮での解説しか覚えていない。八幡宮の階段の左手には大きなイチョウの木があり、それを背景にしながら、「ここで実朝が殺された」と教えられた。人が殺されるという事実は、小学生の私にはあまりに衝撃的で、強く印象に刻まれた。

鎌倉時代の初期は、近年のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(2022年)によっても広く知られるようになった。平家を追討するため、源頼朝は伊豆で挙兵し、幾多の曲折を経て鎌倉に幕府を開いた。その際に協力した北条、比企、三浦、大江などの一族は、御家人として頼朝を支えた。だが、ほどなくして頼朝は落馬が原因で死去する。その後、幕府の政治は「十三人の合議制」によって運営されることとなったが、実際には頼朝の存命中から死後にかけて権力争いが絶えず、粛清や謀殺を経て、権力は次第に北条家へと収斂していった。源氏の一族もまた、粛清の嵐に巻き込まれ、多くが命を落とした。頼朝と対立して討たれた弟・義経、権力闘争に巻き込まれた弟・阿野全成、そして長男・頼家もまた例外ではなかった。さらに、頼家の息子・公暁(善哉)によって、実朝もまた鶴岡八幡宮で暗殺されることとなる。

鎌倉幕府成立当初の世相は、殺伐としており、他者への信頼は希薄で、己の武力のみが頼りとされる時代であった。そうした荒々しい時代の只中にあって、第三代将軍・源実朝は、きわめて異色の存在である。武芸には秀でず、むしろ和歌をはじめとする文芸に深い関心と才能を示した。その文雅への志向は、初代将軍・頼朝が禁じていた高位官職への希求にもつながり、朝廷との関係を強める姿勢を見せた。また、当時の武家の棟梁たちが、妻を一族や有力御家人の中から迎えるのが通例であったのに対し、実朝は天皇家の血を引く公家・坊門信清の娘・信子を正室に迎えた。さらに、側室を持たなかった点も、当時としては異例である。子に恵まれなかった実朝は、当初、兄・頼家の子である善哉を養子としたが、後に善哉はその素行に問題があるとして僧籍に入れられ、将軍継嗣から外された。代わって、後鳥羽天皇の皇女・昇子内親王を、実朝と信子それぞれの猶子とすることで、皇室との結びつきを強めようと試みたが、これは彼の死によって実現しなかった。晩年の実朝は仏教への関心を深め、宋への渡航を願って船の建造を計画するなど、武家将軍としては異例の思想的広がりを見せた。その姿は、武力の時代にあって、言葉によって未来へつながろうとした稀有な存在であった。

実朝の時代は、京都から遠く離れた鎌倉の地において、朝廷の権力が及びにくい環境のもと、武士による新たな秩序が胎動し始めていた。源氏と北条家、さらに北条家と有力御家人の一族との間では抗争が絶えず、武力によって権力を確立しようとする時代である。そのような荒々しい時代にあって、武芸に秀でていないばかりか、むしろ武力を回避したいと願う実朝は、敵対する者との関係においても「言の葉」による対話と理解を求めた。そのような人物がどのように描かれているのかに心惹かれ、本書を手に取った。物語の扉を開く冒頭の描写は、実朝の内面を静かに照らし出すようで、ひときわ印象深い。なお、ここに登場する千幡(せんまん)は、実朝の幼名である。

千幡は御所の庭を一人歩いている。
雨上がりの少しひんやりとした白い朝だった。風が吹いて、草花に宿る朝露が陽の光を受けて輝いていた。
(きらきら光る、玻璃の玉みたいだ……)
千幡は透き通った露の玉を見て、いつだったか父の膝の上で目にした、都の商人が持っていた玻璃の玉を思い出す。
その輝きに引き寄せられるように草の中に分け入った。早朝の御所はまだひっそりとしていて、そっと寝所を抜け出した千幡に乳母も女房たちも気づいていないのだろう。
鶴岡八幡宮の森だろうか、遠くの梢で鳴く山鳩の歌が朝もやの中に聞こえる。衣の袖がしっとりとするのにも気づかず、千幡はしゃがみ込み一つ一つの煌めきをじっと見つめた。露の玉に映った己の顔に、少し驚いて離れた。すると露の玉は晴れだした空を映し、今度は淡く蒼く光った。色が変わったことが不思議で、珠玉を手に取るように、露を指でつまんだ。その瞬間、透明な玉は千幡の小さな手の中で水となって消えた。

この描写には、荒々しい武士の町・鎌倉とは思えない静寂と雅の香りが漂う。まるで都の庭園を思わせるような情景である。作者の筆は繊細で、淡い色彩に彩られた四季の移ろいを鮮やかに映し出す。その風景には、実朝や信子の感情が投影され、豊かな感性によって物語が紡がれている。二人は、源氏と公家という異なる血筋の宿命を背負っている。対立する宿命の中で、「言の葉」によって愛を繋ごうとする儚い希望が、物語の根底に静かに流れている。この景色には、どこか懐かしさを帯びた既視感があった。そして記憶の奥底に眠る王朝の残響が、静かに呼び起こされた。平安時代一条天皇中宮・定子が和歌を通して交わした哀愁に満ちた愛の記憶が、ふと脳裏に浮かんだ。参考文献には、倉本一宏著『藤原氏――権力集中の一族』が挙げられており、作者がこの王朝的背景を意識していたことがうかがえる。文章は端正で美しく、静かな余韻を残す作品である。実朝の「言の葉」は、『金槐和歌集』として結晶し、時を超えて今もなお、静かに息づいている。

読後に知ったことだが、作者はこの作品でデビューし、第三十二回小説すばる新人賞を受賞している。また、今年上梓された『残光そこにありて』では、幕末の幕臣小栗忠順が描かれている。再来年のNHK大河ドラマ『逆賊の幕臣』では、小栗忠順が主人公となる予定であり、機会をとらえてぜひ読んでみたいと思っている。そして最後に、本作を通じて、実朝の『言の葉』が時を超えて響き続ける理由を、あらためて胸に刻んだ。