bitterharvest’s diary

A Bitter Harvestは小説の題名。作者は豪州のPeter Yeldham。苦闘の末に勝ちえた偏見からの解放は命との引換になったという悲しい物語

東南アジア・南アジアに関する良書を読む

近年、東南アジア・南アジアの経済成長は著しく、ニュースでも明るい話題として報じられる機会が多くなってきた。これに刺激を受けて、この地域の歴史的な背景を知りたいと思い、関連する書籍を立て続けに読んでみた。

最初に読んだのは、アンソニー・リード著『世界史の中の東南アジア』である。結論から先に言ってしまうと「秀作」、いやそれ以上である。多くの歴史書が王朝の移り変わりを描いているのに対し、アナール学派の影響を受けているのであろう、気候・宗教・経済・外部などテーマごとに書かれている。訳者のあとがきには「東南アジアは世界にも類をみないほどの多様性を抱えながら、内部を貫く共通性ゆえにひとつの全体として捉えられるという認識を前提として執筆されている」と記されている。ここでの共通性は、①火山噴火や地震が頻発する熱帯の水域に位置すること(環境)、②女性の経済的役割が大きいこと(ジェンダー)、③多くの人びとが国家の影響の外側に生きてきたこと(非国家)、である。一方で、地域ごとに言語・宗教・生業が異なるとという事実を受け入れながら、多様性を維持し乗りこなす智慧を働かせているとも説明されている。華厳経の教えの中にある「一即多・多即一」に近い考え方である。この本を読み終わった時、世界から紛争をなくすための智慧を東南アジアから発信できるのではないだろうかと感じた。


次は、タンミンウー著『ビルマ 危機の本質』(ビルマの国名はミャンマーで、面積は日本の1.8倍、人口は半分弱)。タンミンウーは、国連事務総長であったウ・タントの孫で、米国育ちである。多くの人がミャンマーに希望を抱きながらも、裏切られる度ごとに、絶望感を抱いてしまう。タンミンウーは、ミャンマーの政治家や軍人たちが国を良くしようとそれぞれ努力しているのだが、その時々の対応でしかなく、将来のあるべき姿を示せないことに歯がゆさを感じている。偶像化されたアウンサンスーチーに対しても同様で、将来を見据えた政策を打ち出さないことに失望している。ミャンマーには135民族、6系統の言語が存在する。ミャンマーの中心部にはビルマ族とモン族(18世紀にビルマ族に敗北)、北部高地にはカチン族(中国との境)、東部にはシャン族(ラオスとの境)やカレン族(タイとの境)、そしてバングラデシュに接するアラカンに住む人々がいる(特にアラカンにはアラカン人・ビルマ人・ベンガル人・インド人、仏教徒イスラム教徒が住み民族・言語・宗教の境が曖昧で、難民となったロヒンギャも居住。かつてここにはアラカン王国が存在したが、18世紀にビルマ王朝が征服した)。東南アジアの国々が多様性を克服していく中で、ミャンマーでは内乱が続き、多様性を活かすための智慧が働かない。タンミンウーは精力的に支援しているものの思うようにはいかず、破綻国家になってしまうのではないかと危惧している。本を読んで悲観的になることが多かったが、多様性を克服するための智慧が働くことを願いたい。

この後は東南アジアから離れてインド。先ず取っつきやすいところから、池亀綾著『インド残酷物語 世界一たくましい民』である。著者は建築会社に勤める技術者だった。インドに派遣される機会があり、そのときの印象が余りにも衝撃的であったことから、人類学を学び直し、この分野の専門家となる。この本は人類学に関する専門書ではなく、彼女がフィールドワークをしているときの体験談を綴ったものである。場所はインド南部のカルナータカ州(面積も人口も日本の半分ぐらい)、言語はドラヴィダ語族に属するカンナダ語、州都はIT産業の中心地として知られているベンガルールである。紹介される人々は、いわゆるエリート階層ではなく、市井の人々とインドのカースト制度の中で枠外に置かれている不可触民(ダリト)である。インドの憲法カースト制度は禁止されているが、結婚相手となると同じカーストに属さないと難しい。そのようにとても重苦しく憂鬱な慣習の中で、人々がいかにしなやかに生活しているかを、軽やかなタッチで描写してくれる。

最後は辛島昇著『インド文化入門』。南インド史の研究者として高名な方で、8年前に亡くなられた。この本の紹介で「どの地方、どの民族のカレーを食べてもカレーとしてのカテゴリーに収まっているように、インド文化圏は多様な中にも統一性が保たれている」と書かれている。これは、アンソニー・リードのところで見た「多様性を抱えながらも共通性によって一つの全体として捉えることができる」と同じである。内容は、放送大学の講義で使ったそうで、15講から成り立っている。物語、遺跡、陶磁器、刻文、カレーライス、絵画、映画、新聞といった身近なところにあって興味を引くものを手掛かりに、インド文化を理解してみましょうとするもので、どこから読み始めても大丈夫だが、最初の「ラーマーヤナ」だけはおおよその様子を知るために最初に読んだ方がよい。

個人的には、インドに一度、シンガポールとタイには複数回、ベトナムは二回、マレーシアとカンボジアはそれぞれ一回訪れたが、それももう10年以上も前のことになる。その時は、それぞれの地域の情報をインプットして訪問したのだが、知識としてはまとまりがなかった。今回これらの書物を読むことで、特にアンソニー・リードの著作によって、この地域が持つ多様性について良く理解できた。そして最後に訪れた後の10年間にも、ミャンマーなどを除く多くの国は、さらなる教育の充実とナショナルアイデンティティの確立をして、高い経済成長と高度近代主義を成し遂げ続けた。振り返ると、マレーシアに行ったときに民族(マレー系・華人系・インド系)・宗教(ムスリム・仏教・キリスト教ヒンズー教)の対立をいかに克服したかについて説明を受けたが、そのときはあまり実感が湧かなかった。遅まきながら、これらの本を読んだことで、十分とはいかないまでもかなりの程度まで理解できる知識を得た。そして、高度近代主義が経済面だけでなく政治面でも強く打ち出され、豊かで、自由で、格差の少ない社会が作り出されることを望んでいる。